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広島在住アメリカ人、96歳元広島市長、広島出身映画監督…『オッペンハイマー』へのそれぞれの視線

宮崎園子フリーランス記者
©Universal Pictures. All Rights Reserved

 原子爆弾の開発を指揮したアメリカの物理学者の葛藤と苦悩を描き、今年のアカデミー賞で作品賞、監督賞など最多7部門を受賞した映画『オッペンハイマー』(3月29日公開)の試写会が12日夜、79年前にその原爆が投下された広島の地で開かれた。宣伝担当者によると、この日の試写会が、報道や関係者以外対象としては全国初という。特別に招待された地元の高校生や大学生ら計約110人が鑑賞。アメリカ出身で広島在住の詩人・絵本作家のアーサー・ビナードさん、元広島市長の平岡敬さん、呉市出身の映画監督・作家の森達也さんの3人が、上映後のティーチインに登壇し、それぞれの感想と思いを語った。

上映後に登壇した(左から)平岡敬さん、アーサー・ビナードさん、森達也さん=2024年3月12日、広島市中区、宮崎園子撮影
上映後に登壇した(左から)平岡敬さん、アーサー・ビナードさん、森達也さん=2024年3月12日、広島市中区、宮崎園子撮影

 「私は広島の立場から、核兵器の恐ろしさが十分に描かれていないと思った。オッペンハイマーの人生、非常に複雑な彼の性格を描いたものだから、核兵器の問題を追及するのは無理かもわかりませんけど」。映画の感想を聞かれた平岡さんはそう答えた。終戦時17歳。地元紙の新聞記者を経て、戦後50年となる1995年前後に広島市長を2期8年務め、核兵器廃絶を広島から世界に訴えてきた平岡さんは、広島に生きる人たちの責務について「広島の惨劇を伝え続けるしかない。それに尽きる」と力を込めた。

平岡敬さん 1927年生まれ。大阪、朝鮮半島、広島で育ち、京城帝大在学中に終戦を迎える。1952年中国新聞社入社、同社編集局長、中国放送社長などを経て1991年より広島市長を2期8年務める。著書に『差別と偏見』(未来社)、『希望のヒロシマ』(岩波新書)など。

作品への思いを語る元広島市長の平岡敬さん。終戦当時17歳だった=2024年3月12日、広島市中区、宮崎園子撮影
作品への思いを語る元広島市長の平岡敬さん。終戦当時17歳だった=2024年3月12日、広島市中区、宮崎園子撮影

 映画は本国アメリカでは昨年7月に公開。同日公開となった映画『バービー』の画像とのコラージュで、原爆のキノコ雲を模した髪型のバービーや、キノコ雲を背景にポーズを取るバービーなどのファンアートがSNS上で拡散されたことに対し、日本国内からは批判の声が上がった。また、映画の内容についても、広島や長崎の被害が描かれていないことを問題視する声も上がっていた。

『オッペンハイマー』配給:ビターズ・エンド  ユニバーサル映画 © Universal Pictures. All Rights Reserved.
『オッペンハイマー』配給:ビターズ・エンド  ユニバーサル映画 © Universal Pictures. All Rights Reserved.

 そうした指摘について、自身も映画制作者である森さんは、直接話法的であるテレビとは違って、映画の表現が間接話法であり、ゆえにまどろっこしさやわかりにくさがあるという自身の考えを述べた上で、「僕は的外れだと思う。実際の広島・長崎の映像を入れればいいとか、そんな問題じゃない」と指摘した。

映画制作者の立場から思いを語った森達也さん=2024年3月12日、広島市中区、宮崎園子撮影
映画制作者の立場から思いを語った森達也さん=2024年3月12日、広島市中区、宮崎園子撮影

森達也さん 1956年、広島県呉市生まれ。明治大学情報コミュニケーション学部特任教授。1998年、オウム真理教の現役信者を被写体とした自主制作ドキュメンタリー『A』を公開。ベルリン映画祭に正式招待され、海外でも高い評価を受ける。関東大震災から100年となった2023年、自身初の劇映画作品として制作した『福田村事件』が公開。

 「核開発をやってしまったアメリカの代表として責任を取るために」この日の登壇を決めたというビナードさんは、広島や長崎の体験は映画の中で描写されていないものの、オッペンハイマーという人物が徹底的に描かれていることによって、観客がオッペンハイマー、つまり核兵器開発のインサイダーの立場となって核開発の残酷な流れに立ち会うことができる、と評した。そして、開発段階ではインサイダーであった科学者たちすら、核兵器を使うか使わないか、使うとしたらどこでかといった決定においては蚊帳の外でしかない冷酷な現実について言及した。

思いを語るアーサー・ビナードさん=2024年3月12日、広島市中区、宮崎園子撮影
思いを語るアーサー・ビナードさん=2024年3月12日、広島市中区、宮崎園子撮影

アーサー・ビナードさん 1967年、アメリカ・ミシガン州生まれ、広島市在住。詩人・俳人・随筆家・翻訳家。コルゲート大学(ニューヨーク州)卒業と同時に1990年に来日、日本語での詩作を始める。詩集『釣り上げては』(思潮社)で中原中也賞、『ここが家だーベン・シャーンの第五福竜丸』(集英社)で日本絵本賞、『さがしています』(童心社)で講談社出版文化賞絵本賞を受賞。文化放送でパーソナリティーも務める。

 「半世紀以上経って情報公開されたものが増えたからか、マンハッタン計画のセキュリティクリアランス(機密情報へのアクセス)がもらえない下々のアメリカ人、下々の日本人、人口比率でいうと99.9%の僕らが、初めて核開発の中に入れる。結局、広島や長崎の人たちの体験を外しているのではなく、そもそもマンハッタン計画に関わった選ばれしインサイダーたちは、みんな広島や長崎を何とも思ってない」

 森さんは、オッペンハイマーの人間的弱さがあってこそ、この映画が成り立っていると指摘した。「オッペンハイマーの悔恨や後悔のシーンが延々続く。本当に悩み多き人というか。でも、弱いオッペンハイマーがマンハッタン計画のリーダーだったからこそ映画がリアル。もし、自信たっぷりで傲岸不遜で自分を信じて揺るがないエドワード・テラー(「水爆の父」と呼ばれた物理学者)のような男が原爆を作っていたら、絶対おもしろくない。オッペンハイマーが悩み続けるからこそ、この映画はできた」

『オッペンハイマー』配給:ビターズ・エンド  ユニバーサル映画 © Universal Pictures. All Rights Reserved.
『オッペンハイマー』配給:ビターズ・エンド  ユニバーサル映画 © Universal Pictures. All Rights Reserved.

 日本公開前から様々な議論を呼んでいる本作が問うているメッセージとは何か。ビナードさんは「100人に聞いたら100の、1000人に聞いたら1000の答えがある。平岡さんが受け取ったメッセージと森さんが受け取ったメッセージは異なる」とした上で、自らの受け止めは「『お前考えろ』って。3時間見たけど3000時間かけて考えてわかるかどうか。メッセージ性よりも思考の刺激とか疑ることにつながる。ハリウッドからこういうものが出てくるのはちょっと前代未聞に近い」。

 今年のアカデミー賞は、『オッペンハイマー』のほか、『ゴジラ-1.0』『君たちはどう生きるか』『関心領域』など、戦争をモチーフにした作品の受賞が目立った。このことについて森さんは、「それは当たり前。ただ、ウクライナとパレスチナの二つが大きくフィーチャーされてるけれど、まだまだたくさんある。ミャンマー、香港、スーダン。メディアが伝えていないだけ。メディアが伝えないと不可視になってしまうけど、実際今起きている」。その上で、若い世代にこう呼びかけた。「知ることは、何かが隠されてること。だから、どこかでまだまだたくさんの人がうめいて、苦しんで、助けを求めてるという想像力を持ってください」

若い世代への思いを語る森達也さん=2024年3月12日、広島市中区、宮崎園子撮影
若い世代への思いを語る森達也さん=2024年3月12日、広島市中区、宮崎園子撮影

 「現状を伝えていくために、日本から見た戦争の悲惨な状況だけではなく他の視点も交えた伝え方ができればいいなと考えた。どのような方法で次の世代に伝えていけばいいか」。参加した高校生からのそんな問いに、森さんは、映画の中で描かれる、トリニティ実験を見守る研究者たちが放射線に対して無防備な様子に言及しながらこう答えた。「アメリカ人はほとんど核兵器をわかっていません。放射線をわかっていない。巨大な爆弾ぐらいにしか思ってない」

 森さんは、核兵器のプロパガンダ映像や音楽、兵士の教育用フィルムなどを編集でつなぎ合わせて制作された1982年の映画『アトミック・カフェ』を鑑賞することを勧めながらこう続けた。「プロパガンダの怖さは、無知なままでやっちゃうこと。結果として核兵器のことがわからないまま、あれが戦争を終わらせたみたいな言説に繋がってしまう」

 一方で、日本での戦争の語られ方の中に視点の多様さが欠如していることについても疑問を呈した。「第二次世界大戦のときに日本はアジアに対して何をやったか。中国で、朝鮮で、東南アジアで、散々加害してきた。だからあなたの言う通り視点がたくさんいるのは本当に大事なこと。スマホでいろんな情報を入れることができるし、しかも自分で発信もできる。それを有効に使うべきだと思う」

トリニティ実験が行われたロスアラモスで購入したというTシャツを着て登壇したアーサー・ビナードさん=2024年3月12日、広島市中区、宮崎園子撮影
トリニティ実験が行われたロスアラモスで購入したというTシャツを着て登壇したアーサー・ビナードさん=2024年3月12日、広島市中区、宮崎園子撮影

 映画のポスターには、「THE WORLD FOREVER CHANGES(世界が完全に変わる)」というフレーズが記されている。これについて、アーサーさんは、「世界が決まったとき、システムができたときに僕らはいないのに、その後使われる。だから使われる側としてどうするかを自分たちが考えなきゃいけなくて、核廃絶は目指すべきだと思うし、僕もできることはやりたいけど、でもchange the world じゃなくて、change yourself。自分が変わらない限りは、世界は変わらないし、世界は変わらなくても自分が変わる意味や必然性は見つけられる。大きなプロジェクトは着々粛々と続いて、今は核の平和利用の危険が高まっている。僕らはもういろんな危険に囲まれてるから、近いものを見失わずに大きい視点を持つことが重要」

壇上のスクリーンにも「THE WORLD FOREVER CHANGES」のフレーズが投影された=2024年3月12日、広島市中区、宮崎園子撮影
壇上のスクリーンにも「THE WORLD FOREVER CHANGES」のフレーズが投影された=2024年3月12日、広島市中区、宮崎園子撮影

 映画は、第二次世界大戦下、アメリカで立ち上げられた極秘の原爆開発プロジェクト「マンハッタン計画」の進行と、自らが開発に関わった原子爆弾が広島と長崎に投下されたことに衝撃を受け、冷戦期には水爆開発に反対するようになったオッペンハイマーに対して機密情報へのアクセスを認め続けるかを検討する密室の聴聞会や、上院で行われた公聴会とを行き来しながら展開される。舞台は冷戦期までのアメリカだが、戦中戦後の時代の空気を知る平岡さんは、映画に描かれる空気と今の社会との間の共通点を指摘する。

戦争体験を踏まえて自身の思いを語る平岡敬さん=2024年3月12日、広島市中区、宮崎園子撮影
戦争体験を踏まえて自身の思いを語る平岡敬さん=2024年3月12日、広島市中区、宮崎園子撮影

 「科学的な成果が国家によって殺人武器に使われてしまうというところが、今の日本にもある。例えば、学術会議の会員を政府が任命しませんでしたね。学問を政治の僕にしようということを許していると、学問の独立や自由がなくなって国家の思う通りになってしまう」。そして、映画でも描かれる「赤狩り」についても語った。「お前は共産主義者じゃないか、スパイじゃないかとつるし上げるあの空気は日本にもあった。戦前も戦後も。1950年、朝鮮戦争があったころ共産党は非合法になって、とにかく共産主義者は全部公職からあるいは社会から排除された。こういう時代を来させちゃいけない。共産主義がいいと言ってるんじゃない。いろんな考え方を排除していくと言うのは、赤狩りの風景を見たらわかりますね。オッペンハイマーはスパイの汚名を着せられて社会から抹殺される。ああいう時代の空気は、絶対来させちゃいけない」

 そして、こんな言葉で締め括った。「私たちは今、平和、平和と言っているけど、平和と平気で言える時代がいい。平和と言ったら『お前は非国民だ』と言われかねない時代が来るかもしれない。そうならないために若い人に頑張ってもらいたい」

登壇した(左から)アーサー・ビナードさん、平岡敬さん、森達也さん=2024年3月12日、広島市中区、宮崎園子撮影
登壇した(左から)アーサー・ビナードさん、平岡敬さん、森達也さん=2024年3月12日、広島市中区、宮崎園子撮影

 『オッペンハイマー』は、3月29日(金)より全国ロードショー。 IMAX劇場全国50スクリーン、Dolby Cinema全国10スクリーン、35mmフィルム版109シネマズプレミアム新宿にて同時公開 。配給:ビターズ・エンド/ユニバーサル映画。

『オッペンハイマー』配給:ビターズ・エンド  ユニバーサル映画 © Universal Pictures. All Rights Reserved.
『オッペンハイマー』配給:ビターズ・エンド  ユニバーサル映画 © Universal Pictures. All Rights Reserved.

フリーランス記者

銀行員2年、全国紙記者19年を経て、2021年からフリーランスの取材者・執筆者。広島在住。生まれは広島。育ちは香港、アメリカ、東京など。地方都市での子育てを楽しみながら日々暮らしています。「氷河期世代」ど真ん中。

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