映画『リッチランド』が描く「キノコ雲を誇る人々」を見て考える「唯一の戦争被爆国」日本の"矛盾"
地元高校のフットボールチームのトレードマークは、キノコ雲とB29爆撃機ーー。太平洋戦争中、アメリカが進めた原子爆弾製造計画「マンハッタン計画」遂行のために整備された核燃料生産拠点ハンフォードで働く人たちのベッドタウンとして生まれたリッチランドの街には、「原爆開発の地」という自らの歴史を誇る人たちがいる。そんな彼らの語りと、その歴史によって苦しむ人たちの声を記録した映画『リッチランド』がこの夏全国で順次公開中だ。8月3日からは広島で、同9日から長崎での公開が始まる。東京での公開が始まった7月に来日し、広島を訪れたアイリーン・ルスティック監督に、作品に込めた思いを聞いた。
秘密裏に進められたマンハッタン計画。その主な実働拠点は、原爆開発のための研究所が設立されたニューメキシコ州ロスアラモス、ウラン精製工場のテネシー州オークリッジ、そして、核燃料生産工場が置かれたワシントン州ハンフォード。リッチランドは、ハンフォードで勤務する人たちの多くが暮らしたベッドタウンだ。街には、国家を支える重要な拠点となった歴史への誇りが色々な形で根付いている。
ーーリッチランドとの関わりの入り口と映画制作に至った経緯を教えてください
初めてリッチランドを訪れたのは2015年です。映画を撮りながらアメリカ中を旅している中で、1日だけリッチランドに立ち寄り、その時に街の歴史を知りました。私だけでなく多くのアメリカ人が知らないという事情には、ハンフォード・サイトという場所が、マンハッタン計画の中でも最も秘密にされていたということがあるからです。他の各軍事施設の施設よりもずっと広大な地域を擁しているにも関わらず、最も秘密にされていた場所でした。
何も知らないままにその街に訪れると、原爆のシンボルがあちこちに視覚的に張り巡らされていて、そのことがとてもショックでした。どうしてこの街は原爆を自慢するんだろうかと好奇心をそそられました。
もっとリサーチをしなければと、読書などをすると、ハンフォード・サイトの大地の汚染規模を知ることになりました。一番興味をそそられたのは、どうしてこの人たちはこんな矛盾を抱えていながら、こんなにもこの土地を愛せるのだろう、と。自分の街を毒しながら、どうして愛することができるのか。どうしてこのような矛盾を受け入れてここに暮らし続けることができるのだろうか、というのが、私が発見した問いでした。
ーーリッチランドに巡り合う以前は、核問題に関してどの程度知識があったのですか
私自身は平和主義者で反戦主義者。この映画を作る前の理解がどういうものかというと、日本での破壊や被害の規模についての意識はとてもありました。世代を超えた影響力のある非常な核兵器だということも知っていましたし、被爆者の状況についても理解がありました。
ただ、自分自身が平和主義だと言っても、現在において核を判断するということは危険ではないかなと思います。1940年代の人たちのそのときの価値判断や考え方、切迫した状況の中でどう思ってどう行動したかに対して、これは良かった、間違っていたと一概に言えない。私自身はちょっとわからないと言わざるを得ない。
ーー核兵器の保有国が、その中に被爆者を抱えているという問題が淡々と描かれてる印象を受けましたが、そのように意図されたのでしょうか
私はメッセージを伝えるということよりも複雑さに興味を持っている。実はアメリカにおける核兵器の被害についての映画はアメリカに案外多くて、非常に強いアクティビスト的なメッセージのある、訴えかけるような作品だったりするんですが、既にこういうものがあるのなら私がやらなくてもいいと思ってました。結論がわかっているものに対して映画を作る必要は感じません。
もし自分がメッセージ映画みたいなものを作ろうとしていたらリッチランドの人々の協力を得ることができなかったし、彼らはこの映画を見てくれなかったと思う。そうすると、せっかくの人間についての理解を深める経験を逃してしまうことになっていたとも思います。この映画をたくさんのリッチランドの人が見てくれたのは、おそらくこれが自分たちを攻撃するものではないということ、あるいは、あらかじめメッセージが決められた映画ではないからだと思うんですね。
ーー人々の誇りに焦点をあてた前半部分だけでも十分に気づきの多い映画ですが、広島の被爆者の孫や、現地の先住民の方など、被害者が登場する後半を入れたのはやはり、別の側面を知ってほしいという思いがあったからですか
前半の部分があるからこそ、後半に登場する、実際の環境によってダメージを受けた先住民の人たちや、広島の被爆者の家族といった人たちの語りに耳を傾けることを促してくれていると思っています。この映画は、リッチランドの人たちの心も開いている。そうでなければ、他の人の意見に耳を傾けるような余裕はなかったと思う。
ーー高校生たちが議論する姿は非常にメッセージとしては強かったです。あのような風景は、広島や長崎にこそ足りない風景ではないかと感じました
自分自身に17歳の子どもがいることもあり、最初から私は若い人の声を入れることは大事なことだと思ってました。若い世代は年配者と比べて、情報へのアクセスがふんだんで、インターネットから様々なことを学び、自分自身の知識を汲み上げていく力を持っています。それまで撮影していたリッチランドの関係者たちは、自分たちの歴史に非常に固執している年齢層の高い人たちだったこともあり、地元の若い人にも話を聞けば、おそらく考え方や喋ることが違うのではないか、変わってくるのではないかと期待していました。
実際に、彼らは非常にオープンでお互いに耳を傾け合う議論をしてくれました。いわゆるレガシーや街にあるシンボルのようなものからの距離感を彼らが勝ち得ているからではないかと思います。そうしたものからの自由も、そうしたものを捨て去る勇気も、彼らにはあると思います。日本でも、世代を重ねるにつれて、その歴史との距離を持つことによって自由になっていったり、重荷を下ろすことができるようになっていると思いませんか。
ーー「矛盾」の中に暮らすリッチランドの人々を見て、日本の私たちもやはり「矛盾」を抱えていると思いました。「唯一の戦争被爆国」と言いながら、核の傘の下で暮らしているという矛盾です。この矛盾について、どのようにお考えですか
今言われたことには同感ですし、この映画を見て日本人のみなさんにも考えていただきたい。リッチランドを通して、自らの歴史にも思いをめぐらすことができればありがたいです。
私には、ホロコーストで死んだ親族がいて、イスラエルにも親族がいます。イスラエル人の歴史を振り返ってみても、自分が被害者であるという強迫観念にとらわれ、それが非常に大きな暴力を導いてしまっているということが現実として起きている。歴史的に被害史観みたいなものに囚われてしまってる人の見えない矛盾みたいなものなので、それは多くの国で様々な人々が抱えている問題ではないかと思います。
もう一方で、リッチランドには自分たちが被害者であることを一切認めようとしない人がいる。我々はとても強いアメリカ人であるという自己イメージに基づいている場合に、自分たちの仕事のおかげでアメリカが戦争に勝ったのだという物語が壊れてしまうことを恐れている。その自己像にとらわれているというのも、もう一方では言えるかもしれません。
ごく普通の人が、実はいろんな被害を人に被らせてしまうということがあり得るのだ、という感じで、この映画を見ていただくこともできるのではないでしょうか。
アメリカが囚われてしまっている心理をほぐすことはすごく難しいと思います。冷戦中には、安全のために私達は核兵器を作っているのだという、抑止という名の負のサイクルを生んでしまい、安全のためにやる巨大なことが非常に大きな負の遺産になって私たち自身がダメージを受けているっていうサイクルができあがってしまった。このサイクルをほぐすのは容易なことではない。これはイスラエルが安全のためにガザを攻撃するという論理にもぴったり一致していて、どういう解決策があるか私はわからないけれども、非常に深いアメリカや他の国における社会心理みたいなものに深く根付いてしまっていると思うのです。
映画『リッチランド』は、全国で順次公開中。8月3日から広島・横川シネマや横浜・シネマジャック&ベティなど、8月9日から長崎セントラル劇場など。