貿易交渉の前に拉致問題で米国に助けを求める摩訶不思議
フーテン老人世直し録(438)
皐月某日
米中貿易摩擦は「戦争前夜」の様相である。トランプ大統領が5日にツイッターに「2千億ドル相当の中国製品に対し、関税を現行の10%から25%に引き上げる」と書き込むと、6日にライトハイザー米通商代表が「10日の午前0時1分から引き上げる」と時期を設定した。トランプ政権の中国に対する戦争宣言である。
これを受けて7日のニューヨーク株式市場は600ドル以上値を下げ、東京市場でも大幅な株安・円高が進行した。日経平均株価は7日が335円、8日には321円値下がりし、円相場も1ドル111円台から一時は109円台の円高になった。
一方の中国は、9日からワシントンで予定されている貿易交渉に劉鶴副首相を訪米させる。交渉を中断して米国と対峙すれば本当に戦争状態になり、米中双方はもちろん世界経済全体にも悪影響を及ぼす。いったんは米国に譲歩するように見せながら、しかし次の手を考えているように思う。
米国のやり方は最終局面で強烈な攻撃を仕掛けて譲歩を迫るのがいつものことだ。フーテンは何度もそうしたやり方を見てきた。例えば、ベトナム戦争でも戦争出来ない状態に米国が追い込まれ、和平を求めているにもかかわらず、最終局面になると米国は最も激しい北爆を行った。
和平交渉でのポジションを少しでも有利にしたいための北爆である。我々日本人には理解しがたい考え方だが、米国を見ていると常に和平の前に最も激しい攻撃をかけ、それを耐えた相手に一目を置きながら手を結ぶ。
中国はそうした米国の習性を見抜いているのではないかとフーテンは思う。だから米国から脅しをかけられても簡単には引かない。米国からかけられたのと同じ攻撃をやり返し、しかし相手を上回る攻撃はせず、じっと相手の攻撃に耐えて妥協点を探る。フーテンにはそれがこれから大国を目指す国のやり方に思える。
80年代から90年代にかけての日米貿易摩擦を思い起こせば、日本には米国から攻撃されたのと同等の攻撃をやりかえし、一歩も引かずに妥協点を探る姿勢はなかった。米国から言われたことを不利益を最小にする方法でしのいだ。その姿勢が米国をイラつかせ、だから米国が日本に一目置くことはない。腹の中で馬鹿にしている。
米中貿易戦争が鎬を削る中、目を日本に転ずれば、そこには摩訶不思議な安倍外交がある。何を国益と考えているのかフーテンにはまるで理解できない。米国にとって貿易の敵は中国だけでない。日本経済こそかつて繁栄した米国の製造業を錆びつかせた憎い敵(かたき)である。トランプはラストベルト(錆びついた工業地帯)の支持者の前で必ず日本を名指しし報復を誓っている。
その日米貿易交渉を前にして、安倍総理はなぜか拉致問題に前のめりになった。拉致被害者の家族が高齢化しているため急がなければならないと言うが、そんなことは前から分かっている。それよりなぜ貿易交渉の直前に急に取り上げ、しかも貿易交渉で日本を敵と見ている米国に協力を求めるのか。外交をどう考えているのか不思議でならない。
安倍総理は「自分が金正恩委員長と向き合わなければならない」と言うが、向き合えば拉致問題が解決するわけではない。物事には順序があるわけで、2014年5月にストックホルムで日本政府と北朝鮮政府の協議が行われた。ストックホルム合意と言うが、北朝鮮は「拉致は解決済み」の姿勢を改め、「特別調査委員会」を設置して調査を行い、日本側も制裁の一部を解除することにした。
ところが北朝鮮側の調査結果を安倍政権が受け取ろうとしない。受け取れる内容ではなかったと言われる。拉致被害者は2名いるが帰国を希望していない。その他の拉致被害者は既に死亡しているという内容だったと報道されている。
その内容では支持率が上向かないと思ったのか、安倍政権は2016年に北朝鮮が核実験とミサイル実験を行ったことを口実に、ストックホルム合意に基づく日朝交渉を中断し、北朝鮮に対する独自制裁を課した。そしてその後は最も厳しく北朝鮮を非難し続けてきた。
仮に安倍総理が金正恩委員長と向き合えば、ストックホルム合意から話は再開されるというのが物事の順序だと思う。かつては受け取らなかった調査内容を受け取る気になったのか、それとも別の内容があると確信しているのか。しかし北朝鮮があの時の調査は間違いでしたと言うわけはないとフーテンは思う。受け取る気になったと思うのが普通である。
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