4月の緊急事態宣言発動、菅官房長官は強い慎重論だった 民間臨調が報告書発表
弁護士や大学教授などで作る民間のシンクタンクが、新型コロナウイルスをめぐる政府などの対応を調査・検証した報告書をまとめた。安倍晋三首相(当時)をはじめとする政治家や官僚、専門家など83人にヒアリングを行い、政策の決定過程や問題点を指摘、「予備役」制度の導入などの提言を盛り込んだ。史上初の緊急事態宣言発動に至る経緯も詳述。菅義偉官房長官(当時)が強い慎重論を唱えたものの、最終的に安倍首相が決断したことを明らかにしている。
報告書を取りまとめたのは、元朝日新聞社主筆の船橋洋一氏が理事長を務める一般財団法人アジア・パシフィック・イニシアティブが設置した「新型コロナ対応・民間臨時調査会」(以下「民間臨調」と略す)。民間の助成金を受け、プロボノとして参加した6人の弁護士を含む19人のメンバーが調査、インタビュー、執筆を行ったという。
私は10月7日の事前ブリーフィングに参加し、報告書全文を入手した。約450ページに及び、検証された論点は多岐にわたるが、国民生活に甚大な影響を与えた緊急事態宣言(4月7日)、解除(5月25日)の経緯を中心に見ていく。
安倍首相の回想「一番決断が難しかったのは…」
報告書の中で注目すべきは安倍首相の回想だ。辞任表明後の9月11日に民間臨調のインタビューに応じて次のように語った。
官邸内にかなり慎重論があったというが、その慎重論の中心が菅官房長官だった、菅長官は緊急事態宣言を発出した場合、経済、特に経済弱者への負担が巨大になることを懸念していた、と報告書は指摘している。
「最低賃金引き上げに熱心な長官は一貫して経済へのダメージを懸念していた」との内閣官房幹部の匿名証言も紹介している。一方、積極論を唱えたのが、西村康稔経済再生・コロナ担当相。発出の2、3日前に最終的に安倍首相が決断した時が、安倍首相のリーダーシップを最も感じた瞬間だったと述懐したという。
安倍首相は3月28、29日ごろ、西村担当相に「やっぱり早めに出した方がいい雰囲気だよな」などと話したの対し、西村氏は「早めに出す方がいいと思っています」と答えたという。安倍首相が、危機感でややパニック状態に陥っていた社会の「雰囲気」を相当気にしていた可能性がある。
緊急事態宣言の解除後まもなく、菅氏が「Go Toキャンペーン」実施を主導したことからすれば、菅氏が緊急事態宣言の発動に強い慎重論を唱えていたことは驚くべきことではないかもしれないが、調査で裏づけられたのは初めてだ。首相になった菅氏の考えを知る上でも、重要な事実と言える。
「緊急事態宣言で大きな減少効果があったわけではない」
当時メディアは連日危機を煽る報道を行い、緊急事態宣言を早く発動すべきという世論に大きく傾いていた。東京都と大阪府の両知事や日本医師会も緊急事態宣言の積極論を唱えた。
これに対し菅氏が政府内で慎重論を唱えていたことについては、様々な評価があるかもしれない。
ただ、菅氏の懸念していた通り、国民生活、経済へのダメージは、甚大だった。リーマン・ショックを大きく上回り、4~6月期のGDPは年換算27.8%縮小、倒産件数、失業者も急増した。経済的落ち込みは戦後最悪となった(ロイター通信参照)。
実は、後になって判明したことだが、国内の流行のピークは3月末で、その後4月初めから急速に減少し始めていた。
報告書は、その事実を踏まえ「宣言により感染減少のスピードを多少加速させた可能性はあるものの、少なくとも緊急事態宣言に大きな減少効果があったとは確認できない」と指摘している。
とすれば、本当に緊急事態宣言の発動は必要だったのか?もっと穏当な、別の取り得る手段はなかったのか?という疑問はやはり残る。私自身、そうした疑問は緊急事態宣言の前夜に指摘して以来、完全には拭い切れていない。
だが、報告書はその問いにまでは、踏み込んでいない。
小池知事の「ロックダウン」発言が政策決定に大きな影響
他方で、報告書は、緊急事態宣言の発動タイミングが、東京都の小池百合子知事の「ロックダウン」発言の影響を受けて遅くなった、という興味深い事実を指摘している。
「事態の今後の推移によりましては、都市の封鎖、いわゆるロックダウンなど、強力な措置をとらざるを得ない状況が出てくる可能性があります」
小池知事がこの発言をしたのは、東京五輪の延期決定直後の3月23日だ。
小池氏には、これまでも権限のないことを口走る前科があった。4年前の都知事選に出馬表明した際も「都議会を冒頭解散したい」と発言。地方自治法上、議会を解散できるのは、知事に対する不信任案が可決された場合だけだ。だが、メディアは発言をそのまま報じた。
今回の「ロックダウン」発言も、メディアは、中国や欧州で行われていた都市封鎖のような権限が知事にないことを指摘せずに、ロックダウンに現実味があるかのように報道してしまった。
それによって根拠のない情報の拡散等、社会的な動揺が広がった。そのため、官邸内で「ロックダウン」に関する社会不安を抑えるまで緊急事態宣言を発出すべきでないとの慎重論が強まったという。最初に引用したように、安倍首相もそのように述懐している。
報告書は「小池知事のロックダウン発言がなければ緊急事態宣言のタイミングは、あと一週間は早められた」という内閣官房スタッフの匿名証言と、「そこ(小池知事の発言)が一つの大きなターニングポイントになった」「結果として緊急事態宣言が遅れた部分が私はあったと思います」という宣言積極派の西村担当相の証言を伝えている。
緊急事態宣言の発動自体の賛否は別にして、小池知事の発言が政府の政策決定に大きな影響を与えたという事実が重要だ。
民間臨調の調査では、安倍首相や菅官房長官、西村担当相、加藤勝信厚労相、専門家会議副座長を務めた尾身茂氏ら、ほとんどのキーパースンが進んでインタビューに応じた。
ただ、こうした重要人物の中でインタビューに応じなかった人が一人いる。小池知事だ。小池知事は自身がインタビューに応じる代わりに、東京都の幹部を紹介したという。報告書では、その幹部は匿名になっている。(*)
「専門家の意見に従っていたら一生解除できないと思った」
緊急事態宣言を求める世間の「雰囲気」(安倍首相)に押される形で発動したものの、報告書は、官邸が「出口戦略」を全く描けていなかったことも明らかにしている。「多分6ヶ月くらいはだめだろう」と考える人もいた、との官邸スタッフの匿名証言や、「どういう形の収束をするかというのは、正直言ってすべて見えてるわけではありませんでした」との加藤勝信厚労相(当時)の回想を紹介している。
政府が「出口戦略」の検討を始めたのは、延長が決まった後の5月4日以降だと指摘している。解除の基準を明確にするよう求める声が日本商工会議所会頭や大阪府知事などから相次いだためだ。
当初の緊急事態宣言は1ヶ月間、5月6日までだったが、4月下旬には専門家などから延長論が出るようになった。報告書は、「専門家の意見に従っていたら、一生解除できないと思った」との官邸スタッフの匿名証言を載せ、政治主導で解除を進めたと指摘している。
検証されなかった論点:医療崩壊危機の現実味と解除時期
だが、報告書では、検証で抜け落ちている部分がある。当初「出口戦略」を描いていなかったことから、解除の時期が遅れたのではないか、という疑問点だ。
というのも、緊急事態宣言は「医療崩壊」を防ぐ、というのが最も重要な目的だと言われていた。3月下旬以降、医療提供体制がひっ迫した状況は深刻だという指摘が、メディアの報道や医療関係者から盛んになされ、緊急事態宣言やむなしの世論が形成されていった。逆に言えば、「医療崩壊」危機が遠のいたのであれば、その段階で緊急事態宣言による行動制限(報告書は「ソフトロックダウン」と表現)を緩和することができたはずだった。
西村担当相もインタビューで「実際には、大事なのは病床なのです。病床数がしっかりあれば、感染者数が多少増えても対応できますし、しかも、感染はゼロにできません」と語っている。ただ、メディアは連日「感染者数」ばかりフォーカスした報道をしていた(その傾向はいまだに変わらないが)。
5月中旬ころから政府側から「病床のひっ迫状況は改善しつつある」という情報発信が増えていった。実は、その情報発信をいち早くしたのが、菅官房長官だった。もともと発動に慎重だった菅氏による、解除に向けた世論形成が狙いだった可能性がある。
病床のひっ迫状況は、最も深刻とされた東京都でも、実は4月下旬からかなり改善しつつあったことが、私の調査で明らかになっている(東京都、病床確保数も不正確と認める 緊急事態宣言延長前2000→3300床に修正)。4月末から5月上旬にかけて東京都内の病床使用率は9割などと報道され、とても緊急事態宣言を解除できる状況にないと伝えていたが、これは東京都の不正確な発表に基づく誤報だった。
東京都は、4月末までに3300床(うち重症者用400床)の病床を確保。重症者病床の使用率は25%程度まで低下し、軽症者療養ホテルもガラガラであったが、そのことを当時タイムリーに公表していなかった。入院患者数も退院・療養者を差し引かずに過大に発表し続けていた。そのため、専門家も政府も「依然として医療現場の逼迫が続いている」という認識に基づいて延長決定を行っていた。こうした不正確な東京都の発表は、宣言延長後しばらくして明らかになり、メディアの報道や政府側の情報発信も変化し始めた(NHKも事実上の訂正を行った)。
緊急事態宣言の発動がやむを得なかったとしても、その重要な根拠たる医療提供体制についての正確な情報把握が遅れたことにより、解除の判断が遅れてしまったのではないか。
いや、そもそも(最も病床がひっ迫したとされる)東京都は、4月上旬の「医療崩壊」危機を招いた過失がなかったのか。東京五輪延長前の2〜3月にかけて、厚労省から指示されていた病床確保にきちんと取り組んでいたのか。
以上のような論点や検証は、民間臨調の報告書には盛り込まれていなかった。
次の「備え」に向けた重要な提言も
とはいえ、もちろん短期間で政策決定のキーパースンをほぼ網羅的にインタビューし、政府から独立した立場で詳しく検証した報告内容は、非常に大きな意義がある。短期間で集中的にこれだけの調査を行った民間臨調のメンバーには、深く敬意を表したい。
報告書は、日本独自の感染症対策で対応した、いわゆる「日本モデル」を「場当たり的な判断の積み重ね」だったと指摘している。本稿では詳しく触れられなかったが、「あの時が一番悔やまれる」という官邸スタッフの証言とともに、3月の欧米に対する水際対策の失敗にも言及している。様々な事実と課題を浮き彫りにしており、多くの人が読むべきものだ。今月18日に電子出版、23日に書籍出版される。
結局「備え」の欠如が一番大きかったと思うが、報告書には今後の「備え」に向けて多くの提言もなされている。
私が民間臨調の中心メンバーの一人に「提言の中でも特に実現してほしいものは」と聞いたところ、「予備役制度」だと答えてくれた。
確かに、これがすでに当時あれば緊急事態宣言の発動はなかったであろう、と思われる重要な提言だ。その提言内容を最後に引用しておきたい。
提言:感染症危機発生時における政府及び地方自治体の十分な有事対応体制を確保するため、感染症危機管理に関する予備役制度を創設する
全国に広く影響が波及し大規模な危機管理オペレーションが必要となる感染症危機の特性に対応するため、政府及び地方自治体内部の感染症危機管理に関する人員体制に加え、大学に在籍する社会医学系専門医等の研究者や、医師・看護師・保健師のOB等の専門能力を有する人材を広く民間から供給する予備役制度を構築し、政府及び地方自治体、特に検疫所・保健所・地方衛生研究所・医療機関の危機時のサージキャパシティを確保する。
(報告書p.429)
(*) 10月7日の事前ブリーフィングで事実確認。