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岸田総理が「アジア安全保障会議」で「宏池会」の宣伝をしたのには驚いた

田中良紹ジャーナリスト

フーテン老人世直し録(651)

水無月某日

 10日からシンガポールで開かれた「アジア安全保障会議」で基調講演を行った岸田総理大臣は、日本の防衛力の強化などを柱とした「平和のための岸田ビジョン」を打ち出したが、講演の冒頭で自身の所属する派閥「宏池会」に言及し、宮沢元総理がPKO協力法を成立させ、自衛隊をカンボジアに派遣した話を披露した。

 ロシアのウクライナ侵攻で世界が軍拡の時代を迎えていることから、日本の防衛力や日米同盟の強化を訴えることは予想していたが、「宏池会」という派閥名を出して宮沢元総理の功績を紹介したことにフーテンは引っかかるものを感じた。

 「宏池会」は池田勇人、大平正芳、鈴木善幸、宮澤喜一の各総理を輩出した名門派閥であるが、宮沢元総理が退陣した後は分裂を繰り返し、昨年10月に岸田総理が誕生するまでおよそ30年近く権力の中心から外れていた。そのことを本人が強く意識していることはフーテンも承知している。

 従って麻生太郎自民党副総裁を中心に、分裂した旧宏池会を再結集させる「大宏池会構想」を実現し、現在の自民党第一派閥である安倍派(清和政策研究会)を上回る数を確保しようとする動きがあることも承知している。

 そのことは当然ながら安倍晋三元総理も意識していて、自身の影響力が削がれぬように様々な発言を繰り返して岸田総理の政策に注文をつけ、安倍元総理の路線が変更されないよう努めていることも承知している。

 来月10日に行われる参議院選挙の注目点は、与野党の戦いというより、岸田総理が「黄金の3年間」を手にしたうえで、安倍元総理との権力闘争に勝てる体制を作れるかどうかにあり、それまで岸田総理は自民党内に敵を作らぬよう、誰にでも迎合する姿勢を見せていることも承知している。

 そうした時期に開かれた「アジア安全保障会議」で岸田総理は、安倍政権時代に日本が打ち出し米国も同調した「自由で開かれたインド太平洋構想」を、さらに推進していく考えを訴えるところで、「宏池会」という派閥名と宮沢元総理の功績に言及したのである。

 派閥とは何か。フーテンが思い出すのは日本が世界一の債権国になった1985年に、米国議会の調査団が日本の国会を視察し、若手政治家、政治学者、政治記者と懇談した時に米国側から質問されたことだ。それを説明すると日本の政治が民主主義を装った非民主主義の仕組みであることを暴露することになる。だから誰も正直には答えられなかった。

 正直に答えれば、日本には絶対に政権を奪おうとしない野党がいて、過半数を超える候補者を選挙で擁立しない。だから国民が政権交代させようとしてもできない。その代わり疑似的政権交代が自民党の中で行われた。つまり派閥が総理候補を担いで疑似的政権交代を目指す。だから自民党政権は派閥による連立政権だった。

 自民党内の疑似的政権交代に参加できるのは自民党員だけである。つまり国民を政権交代に参加させないようにしたのが、かつての日本政治のカラクリだった。それを社会党や共産党は容認し、憲法改正させない議席を目指して「9条守れ」と言うのが仕事だった。

 米国の調査団にそれを言えば、日本が民主主義国ではないことを認めることになる。だから日本側は「政治家と官僚が使命感を持ってやっているから問題ない」と訳の分からぬことを言って切り抜け、米国側は納得できないまま懇談は終わった。

 そんな政治が長続きするはずはないとフーテンは思い、政権交代可能な仕組みを作らなければと思ったが、権力を奪うより「9条守れ」が重要だと思う国民が多く、米国の軍事力で守られることを「奴隷になる道」とはつゆほども思っていない。

 その状況をぶっ壊したのが小沢一郎氏で、自民党は2度野党に転落したが、しかし権力を奪っても昔の野党癖の抜けない勢力がいて、権力を維持する術を知らない。官僚を取り込むよりむやみに対立するポーズを作ることに力を入れ、政権運営を自ら難しくした。

 気が付けば再び自民党内の派閥抗争が蘇ってきた。現在の自民党における安倍一派の「積極財政論」と、岸田・麻生一派の「緊縮財政論」は、戦前政権交代を繰り返した「政友会」と「民政党」の対立を見るようだ。

 岸田総理は「アジア安全保障会議」で宮沢元総理が努力してPKO協力法を作り、自衛隊をカンボジアに派遣したかのように演説したが、フーテンには違和感がある。あの時、国連の平和維持活動に協力して自衛隊を海外に派遣させるようにしたのは、湾岸戦争で失墜した日本の国際的信用を回復するため、小沢一郎幹事長ら自民党側が政府に働きかけた結果である。

 冷戦終了直後に起きたイラクのクウェート侵攻当時の日本は、米国経済を凌駕する勢いの経済大国に成長していた。米国のブッシュ(父)大統領はイラク軍をクウェートから撤退させるため、国連の承認を得て多国籍軍を結成し、日本にも人的貢献を求めてきた。

 しかし海部元総理は憲法9条にこだわり、10億ドルという少額の資金提供しか表明しなかった。しかも日本政府は憲法9条を巡る「神学論争」が起きることを恐れて国会を開かなかった。その時、国連に協力して自衛隊を派遣すべきと総理に申し入れたのは小沢幹事長である。憲法があるので戦闘には参加できないが、憲法を変えなくとも人的貢献はできると主張した。

 しかし当時は誰もそれを支持せず、10億ドルの資金提供は米国から馬鹿にされて130億ドルにまで膨張させられた。それでも経済大国になった日本が国際貢献をしない姿勢は世界から批判された。イラク軍支配から解放されたクウェートが感謝の言葉を述べた中に日本の名前はなかった。

 当時ワシントンで米国議会を取材していたフーテンは、米国人から「日本は日本経済の生命線である中東で戦争が起きたのに、国会を開かず、国民に議論をさせないで金だけ支払った。大国だと思っていたが、所詮は米国の属国であり続けるしかない」と言われた。

 世界の批判に慌てた海部元総理は、国連の平和維持活動に自衛隊を派遣する法案を国会に提出したが、社会党と共産党は「軍国主義の再来」と猛烈に反対して廃案に追い込まれた。

 当時の自民党は参議院が過半数割れの「ねじれ」状態だった。小沢幹事長は公明党と民社党に働きかけ、海部政権の次の宮沢政権でPKO法を成立させた。フーテンの中に宮沢元総理が積極的にPKO法を成立させたという認識はない。

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ジャーナリスト

1969年TBS入社。ドキュメンタリー・ディレクターや放送記者としてロッキード事件、田中角栄、日米摩擦などを取材。90年 米国の政治専門テレビC-SPANの配給権を取得。日本に米議会情報を紹介しながら国会の映像公開を提案。98年CS放送で「国会TV」を開局。07年退職し現在はブログ執筆と政治塾を主宰■オンライン「田中塾」の次回日時:11月24日(日)午後3時から4時半まで。パソコンかスマホでご覧いただけます。世界と日本の政治の動きを講義し、皆様からの質問を受け付けます。参加ご希望の方は https://bit.ly/2WUhRgg までお申し込みください。

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