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百貨店を復活させる一つの方法:結果にコミットする

遠藤司皇學館大学特別招聘教授 SPEC&Company パートナー
(写真:アフロ)

ビジネスジャーナルに「ただのショッピングモール化する有名百貨店…ユニクロ、100円ショップまで進出で「終わりの始まり」」と題する記事が掲載された。

中国人観光客による爆買いを見込んで、百貨店はフロアや店舗の整備を行うなどの取り組みを行ってきた。しかし、ここにきて爆買いは沈静化した。結果として、過剰な設備投資が重荷になってしまったとのことである。

頼みの綱であった中国人が来なくなったことで、百貨店は窮地に立たされている。中国人にターゲットを絞った百貨店が、これまでの顧客を失ったことはいうまでもない。ここで、ユニクロやニトリなどの、いわゆるカテゴリーキラーを入居させているようだ。

自分を見失った変革は成功しない。一時的に売上は伸びるかもしれないが、百貨店のブランドを落としてしまえば元も子もない。爆買いを狙う施策もそうだが、顧客を裏切った戦略を続けていけば、いずれ誰からも相手にされなくなるだろう。

モノはネットで買える

百貨店衰退の原因は、様々にある。というより、段階的に生じてきたといったほうがよい。低価格商品を販売するカテゴリーキラーの台頭、服飾に関していえば百貨店外に店を出すアローズやビームスなどのセレクトショップなど、それらはかねて百貨店を脅かしてきた。

売り上げが落ちると、百貨店はなんと人件費を削減するという愚行を犯した。リストラである。販売員は取引先から派遣してもらうことにした。するとどうなるか。情報や知識は人に集まる。現場の人のもつ情報や考えがトップに伝わらないと、経営判断を下すのに支障が出る。マーケティングができなくなるのである。

苦肉の策が、爆買いを狙うことだったのだろう。顧客が見えていないからこそやれる施策だ。ようするに、目の前のカネに飛びついたのである。そしてそれがあっという間に終焉を迎えた。すでにこれまでの顧客の信頼は残っていない。顧客のなかに、百貨店で買うという選択肢は残っていないのである。

では、どこでモノを買うのか。例えばイオンのような、総合スーパーである。そして最近の傾向は、ネットである。いずれも百貨店よりも対面販売の比率が低いことが特徴である。我が国における百貨店の定義には、「従業者が常時50人以上おり、かつ売り場面積の50%以上において対面販売を行う」こととある。総合スーパーは「対面販売の比率が50%以下」だから、百貨店とは異なる。そしてこの対面販売性は、より低くなっていく傾向がある。よって今後、ネットのほうが、総合スーパーよりも売上を伸ばしていくことになるだろう。

しかし、人はコストだろうか。たしかに人件費は高い。だからいないほうがよいのだろうか。ここに百貨店が栄華を取り戻すヒントがあるように思われる。

モノの価値の保証はネットで買えない

人が必要なのは、人が何らかのものをつくりだすからである。

かつての百貨店は、そこに行けば求めるものが買えたことに、存在意義があった。バイヤーが探してきたよいものを、百貨店に行けば手に入れることができたのである。だから百貨店は信頼された。しかしいまの時代、ネットによって様々な情報が得られる。また、すぐに買える。そして安い。百貨店で買う必要はないのである。

しかも百貨店は、商品を押し付けてくることがある。販売員は、何を買いに来たのかと事細かく聞いてきて、うるさい。一度そういった経験をすれば、二度とそこには行きたくなくなる。かといって何も提案してこず、ボケーと突っ立っているならば、それこそ行く意味はない。よってネットで購入したほうがよい、ということになる。対面販売が好まれない理由が、これだ。

こういった顧客の声を無視して、経営者らは我が国の貧困化に百貨店衰退の原因があると述べることがある。バブルが崩壊してから売上が減っただとか、格差のせいだとか、そういった意見が述べられる。はっきりいって、そのような人のせいにした姿勢では、経営はうまくいかない。経営とは、自分の手で顧客をつくり出すことである。

たしかに百貨店で買い物をするような中流層は減ったのかもしれない。しかし、何かを買うということと、金があるかどうかとは、そこまで相関はない。ファッションを考えればこのことはわかりやすい。高給ではない美容師は、ドメスティックブランドで服を買う。ステータスのためではない。お洒落な服を買う人は、自分を誰かによく見せようとしているからこそ、服を買うのである。服を買うということの目的が、そこにある。

つまりお洒落な服を買う人には、その人の「顧客 = 価値を提供する対象」が存在するのである。ゆえに百貨店は、顧客の顧客にとって価値あるものを提案していることを、意識しなければならない。顧客の顧客に対して、目の前の顧客が目的を遂行できるように努めなければならないのである。つまり百貨店は、顧客に対するファッションのコーディネーターにならなければいけないのである。

ファッションセンスを高めるとか、トレンドを把握するといったことには、労力がいる。時間も金もかかる。しかも、ファッションにおいては行き当たりばったりの買い物をすると、失敗する。「なんでこんな服を買ってしまったのか」と後悔する。サイズや素材、色合いなどを確認しても、センスがなければちぐはぐになる。意味のないものにお金を出すことほどバカバカしいことはない。

高いか安いかは関係ない。それを身につけることで、成功が得られるか、である。サラリーマンであればお客さんからのよい印象が得られることが、服にお金を出す理由である。婚活中の人であれば異性ウケすることが、服にお金を出す理由である。それらの、モノを得たときの価値、そしてその保証が、百貨店の提供できるものである。売れればいいというものではない。成功という結果にコミットしなければならない。

そのため、まずやるべきことは、既存店のカテゴライズと、エリア分けであろう。紳士服、婦人服といった分け方ではいけない。そうではなく、実際の表現はともあれ、日常のお洒落、婚活用、ビジネス用、である。目的ごとに振り分けなければいけない。

また販売員は、何を買いに来たのかを聞くのではなく、この人は何の目的で買いに来たのかを察するのである。すでに目的別に店舗エリアを分けた。したがって、およそ目的を察することはできよう。ようするに、かゆいところに手の届く接客が、ここでは求められる。

そして販売員は、自身の知識とセンスを発揮して、顧客を成功に導かなければならない。顧客の顧客が求める価値を、目の前の顧客が発揮できるように、コーディネートしなければならない。そのとき信頼は生まれる。結局のところ信頼とは、人と人との間にこそ生じるものなのである。

これらのことは、ファッションだけでなく、すべての商品についていえることである。ようするに百貨店は、磨かれた知性と感性に投資していかなければならない。つまり人を雇い、育み、彼らを資産としなければならない。顧客を大切にし、ノルマではなく顧客の求めるものに目を向けられるようにしなければならない。百貨店の存在意義を現実に落とし込める人材を得ることから、はじめなければならない。

当たり前のことをつらつらと書いた。当たり前を着実にやることこそ、いま求められているのである。

皇學館大学特別招聘教授 SPEC&Company パートナー

1981年、山梨県生まれ。MITテクノロジーレビューのアンバサダー歴任。富士ゼロックス、ガートナー、皇學館大学准教授、経営コンサル会社の執行役員を経て、現在。複数の団体の理事や役員等を務めつつ、実践的な経営手法の開発に勤しむ。また、複数回に渡り政府機関等に政策提言を実施。主な専門は事業創造、経営思想。著書に『正統のドラッカー イノベーションと保守主義』『正統のドラッカー 古来の自由とマネジメント』『創造力はこうやって鍛える』『ビビリ改善ハンドブック』『「日本的経営」の誤解』など。同志社大学大学院法学研究科博士前期課程修了。

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