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実は「ガンバイズム」の後継者だった藤春廣輝。明神智和さんらから学んだこととは

下薗昌記記者/通訳者/ブラジルサッカー専門家
ガンバ大阪一筋13年。「ワンクラブマン」がチームを去る(写真:YUTAKA/アフロスポーツ)

 12月3日に行われたJ1リーグ最終節でガンバ大阪はヴィッセル神戸に敗れ、28年ぶりとなるリーグ戦7連敗で今季を終えた。

 ホーム最終節では恒例のセレモニーはゴール裏に手厳しい(当然ではあるが)文字が並んだ横断幕が2つ掲げられた。しかし、13年間、青黒のユニフォームに身を包んできた「ワンクラブマン」がサポーターに別れの挨拶を告げる際には「青黒愛に満ちた男へ賛辞を。#15→#4」の横断幕が新たに登場する。

 今季限りで契約が満了した藤春廣輝に対するサポーターからのメッセージだった。

無名に近い存在から名サイドバックに成長

 13年の長き月日は無名に近かった走力自慢の若者を、ガンバ大阪の歴史に残る名サイドバックに変えていた。

 「男子、三日会わざれば刮目して見よ」という格言があるが、ルーキー当時、「不思議ちゃん」キャラとして周囲を笑いの渦に巻き込んできた素朴な青年は、いつしかチームの誰もがリスペクトを示す、背中で見せるベテランに変貌していたのだ。

 ガンバ大阪でのラストマッチはヴィッセル神戸戦だったが、奇しくも藤春がプロ生活で初めてフル出場を飾ったのが2011年8月28日のヴィッセル神戸戦だった。

大阪体育大学を卒業し、この年にルーキーとしてガンバ大阪に加わった藤春だったが5月15日のアビスパ福岡戦でプロ初先発を飾るも、前半のみで途中交代。「前半だけで交代したのはサッカー人生で初めて」(藤春)という屈辱を味わったが、当時のレギュラー、下平匠さんの影に隠れ、出場機会を得られずにいた。

 件のヴィッセル神戸戦は下平さんの負傷によって巡ってきたものだったが、4対0でリードしていた後半、アディショナルタイムは実に5分。初のフル出場を目前としながらも、その表情は苦しげだった。

藤春が支えにし続けてきた鉄人からの言葉とは

 当時背番号15だったルーキーを、ピッチ上で支え続けたのは驚異的な運動量と献身性で知られた名ボランチの明神智和さん。

「はっきりと何を言ったか覚えてないけど、結構、試合中にキツそうな顔をするので『ここから何が出来るかだぞ』って言ったような気がします」。

 藤春がガンバ大阪でのラストマッチを終えた夜、明神さんは、懐かしげに当時を振り返った。

 そして、鉄人の言葉は若き日の藤春の心に確かに、突き刺さっていた。

「ミョウ(明神)さんは日頃はあまり語らないけど、その言葉に救われたのを覚えている。『やってやろう』って気持ちになりましたから」(藤春)。

 のちに絶対的なレギュラーに成長し、PK戦にもつれ込んだ2016年のルヴァンカップ決勝では浦和レッズを相手に120分間で、両チームを通じて唯一16キロの走行距離をマーク。驚異的なスタミナでも知られた藤春だったが、かつて明神さんをお手本にしていると語ってくれたことがある。

「僕がガンバに入った時から最後まで走りきれるミョウさんを後ろから見ていて凄いと思ったし、その影響を受けている。だからこそ、今も僕は最後まで走り切ろうと思っている」。

ガンバ大阪でキャプテンも務めた明神智和さん。献身的なプレーとプロ選手としての姿勢は藤春廣輝にも大きな影響を与えた
ガンバ大阪でキャプテンも務めた明神智和さん。献身的なプレーとプロ選手としての姿勢は藤春廣輝にも大きな影響を与えた写真:アフロスポーツ

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 2015年のACL準々決勝ファーストレグで、当時レギュラーを失っていた明神さんは急遽出場した全北現代戦で、獅子奮迅のパフォーマンスを披露。37歳にしてなお、日々の準備を怠らない鉄人の凄みに感服した経験があるが、明神さんが見せたベテランとしての凄みを今夏、藤春にも感じ取った。

https://news.yahoo.co.jp/expert/articles/a0da488723097394785e66956589e72bdf770dfc

 8月6日のアウェイ、川崎フロンターレ戦で藤春は出場停止の黒川圭介に代わって、今季リーグ戦で初先発。「ヤバかったです。ルーキーの時より緊張しましたから」と苦笑いしながらも、仕事人ぶりを発揮する。両チーム最多のスプリント数12を記録したが、秀逸だったのは3対3で推移していた試合終了間際、敵陣深くでプレスを敢行。このプレーがきっかけとなり、劇的な決勝点を生み出すCKが生まれたのだ。

 「90分は持たないと思ってました」と話した藤春だが積み重ねてきた練習は、藤春を裏切らない。

 「僕は試合に出ている、出ていないに関係なく、元々練習は楽しんでやるタイプなので、気持ちは全然、落ちないですね。それに試合に出られなくても、練習がキツイので(コンディション維持で)助かっています」と涼しげな顔で語ったが、胸に秘めていたのは数々の先輩から学んだ「ガンバイズム」である。

偉大な先輩たちから受け継いだ「ガンバイズム」

 全盛期に見せた攻撃的なスタイルを意味する「ガンバらしさ」はもはや死語になりつつあるが、それでも良きベテランがチームのお手本となる「ガンバイズム」は脈々と受け継がれてきた。

 今季、ピッチに立つどころか、ベンチ入りさえままならない日々が続いても、藤春はキッパリと言い切った。

 「僕もミョウさんやフタ(二川孝広)さんの姿を見てきましたからね。あの人たちこそ、試合に出ている、出ていないに関わらず常に練習中の態度が一緒でした。そういうところがプロなんだと学ばされてきました。そういう先輩たちが、いざ試合に出たら結果を出す。そういう姿勢を見てきたからこそ、僕もやってこられている」。

 そして藤春がかつてお手本とした鉄人が口にする「藤春評」がその濃密な13年を物語るのだ。

 「ハル(藤春)自身、ガンバに入ってきた時は本当にチャラチャラでしたけど(笑)、こうやってクラブを離れる時に同じチームメイトとかサポーターの方が別れを惜しんでくれるというのはハルの成長というか、やってきたことの証明だと思います」(明神さん)。

 捲土重来を期す2024年のガンバ大阪に、もう藤春の姿はない。ただ、背番号4の魂は、きっと誰かが受け継ぐはずだ。そう信じたい。

記者/通訳者/ブラジルサッカー専門家

1971年、大阪市生まれ。大阪外国語大学(現大阪大学外国語学部)でポルトガル語を学ぶ。朝日新聞記者を経て、2002年にブラジルに移住し、永住権を取得。南米各国でワールドカップやコパ・リベルタドーレスなど700試合以上を取材。2005年からはガンバ大阪を追いつつ、ブラジルにも足を運ぶ。著書に「ジャポネス・ガランチードー日系ブラジル人、王国での闘い」(サッカー小僧新書)などがあり、「ラストピース』(KADAKAWA)は2015年のサッカー本大賞で大賞と読者賞。近著は「反骨心――ガンバ大阪の育成哲学――」(三栄書房)。日本テレビではコパ・リベルタドーレスの解説やクラブW杯の取材コーディネートも担当。

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