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カーネーションは神の花。移り変わるイメージと花言葉

田中淳夫森林ジャーナリスト
カーネーションの花の色は多彩にある(写真:イメージマート)

 例年、5月第2日曜日の「母の日」に供されるカーネーション。

 地中海沿岸原産のナデシコ科ナデシコ属の植物だが、切り花の生産量がキク、バラと並んで多く、世界の三大花卉の一つとされる。日本でも2番目に出荷本数が多い品目だが、世間に広く普及しているだけに珍しくはなく、ある意味カジュアルで価格も安め、気軽に扱える花でもある。

 だが、古くはカーネーションは「神の花」だったことを知っているだろうか。ただし時代とともに花のイメージも移り変わり、色も姿形も変化して、また花言葉も数多くなっていった。

 カーネーションが町にあふれる日を前に、そんな逸話を紹介しよう。

 かつてギリシャでは、カーネーションをディオス・アンサスと呼んだ。これを直訳すると、「神の花」となる。当時は野生の花で小さく地味だったのに、なぜ神の花と呼ばれたのかは定かではない。ただギリシャ神話にはカーネーションに相当する花も登場する。女神が自分をふった人間の若者の目をえぐって投げ捨てると、そこから生えたのが(カーネーションの原種の)ナデシコだという。花言葉にするにはえぐいエピソードだ。

 さらに中世ヨーロッパでは、カーネーションがキリストの十字架の死の象徴として絵画で扱われた。これも、若干ぞっとする。

 その後マリアの愛の象徴へとなって教会で多用されるようになる。さらにオスマントルコ帝国では、生命の象徴として扱われ、陶器や刺繍のモチーフにも使われるようになる。少しずつ、花の価値が高まってきたようだ。

 18世紀になると、カーネーションは代を重ねると多くの色や姿形の変異を生じさせたため「異端の花」とされた。当時は交配や育種の理論が根付いていなかったので、次々と変異して姿や色のちがうカーネーションが誕生することを嘆いたのかもしれない。

 やがてヨーロッパの宮廷で重宝されて、華やかな貴婦人に好まれたことから「王妃の花」へと“昇格”する。イギリスのビクトリア朝時代では、白いカーネーションが、純粋、幸運、無垢、献身などの意味を表すとしてもっとも尊ばれた。

 一方で赤いカーネーションが、愛情とともに革命と戦争、社会主義を示すようになり、メーデーなどでよく使われて、「労働争議のシンボル」となっていく。赤色からの連想だろうか。

 そんな風潮の中で「母の日」が生まれた。

 きっかけは、子どもたちの衛生環境を改善する運動をしていたアメリカ人の女性社会活動家アン・ジャービスが亡くなったこと。それから2年目の1907年5月12日に、娘のアンナ・ジャービスは、亡き母を讃え教会で追悼集会を開き、祭壇に母が好きだった白いカーネーションを飾り、会の参列者にも贈った。

 これが世間に広がり、翌年の5月10日が「母の日」として広がる。1914年にはアメリカで5月の第2日曜日を「母の日」に制定した。そして白いカーネーションが「母の日」に贈る花となった。

 ところが白いカーネーションが品不足となったうえ「亡くなった母」に贈るというイメージが持たれるようになったため、「母を亡くした人は白いカーネーション、母が健在の人は赤いカーネーション」と区別するようになった。

 その後、「白いカーネーションの子どもは母を亡くしていると示してしまい、気持ちを傷つける」と懸念され、みんな赤いカーネーションを贈るように変更されて定着した。

 ところでカーネーションの色は、赤と白のほか、黄やピンク、オレンジ、ブラウン、黒、紫……など数多い。交配で変異が比較的よく出るうえ、緑や青など人工的につくられたものもある。それに合わせて花言葉も考えられる。

 赤いカーネーションは、母への愛、母の愛、純粋な愛、真実の愛など。

 白いカーネーションは、尊敬、純潔の愛、私の愛情は生きているなど。

 黄色のカーネーションは、友情や美……。 

 こうした花言葉は、新品種が開発された際に開発者自身が花言葉を決めるほか、新しい花言葉を世間で募集したり、販売者が独自に考案するケースもある。だから花言葉は、花卉業界の宣伝や販売戦略に合わせて考え出されることも多い。「母の日」は格好のターゲットになったわけだ。

 意味合いのちがう複数の花言葉を持つ花も少なくない。もちろん花言葉を公式に認定する機関も存在しない。

 さて、日本にカーネーションが渡ってきたのは江戸時代初期とされるが、実際に栽培されて世間に広まったのは明治末期から大正にかけてである。

 その件については、以下の記事に記した。

母の日110周年!カーネーションの父の話

 当時、カーネーション栽培の技術は確立されていず、悪戦苦闘の末に成功した。ようやく咲かせた切り花は、非常に高価な花として取引された。カジュアルな扱いではなかったようだ。

 また「母の日」は、明治末頃に青山学院の外国人教師の夫人らが日本に伝えて普及運動を行い、引き継いだ青山女学院のファニー・アレクサンダー学長によって広がった。ただ5月の第2日曜日を「母の日」として定着したのは、戦後である。

 なお現在の日本で出回るカーネーションの6割以上は海外産であることも知っておきたい。とくにコロンビア産カーネーションが輸入全体の7割近くを占める。ほか中国、ベトナム、エクアドル、トルコと輸入元は世界中にある。遠方から輸送しているわけだが、輸送技術も進歩して日持ちするのもカーネーションの特色だ。

 国産カーネーションの流通量は2020年で約2億本。全体の約35%まで低下した。産地は、長野県や愛知県、兵庫県の淡路島など。

 花のイメージは時代とともに移り変わる。神の花からカジュアルな花へ。産地も世界中に。記念日だけの一過性に終わらせないで愛でていこう。

森林ジャーナリスト

日本唯一にして日本一の森林ジャーナリスト。自然の象徴の「森林」から人間社会を眺めたら新たな視点を得られるのではないか、という思いで活動中。森林、林業、そして山村をメインフィールドにしつつ、農業・水産業など一次産業、自然科学(主に生物系)研究の現場を扱う。自然と人間の交わるところに真の社会が見えてくる。著書に『鹿と日本人 野生との共生1000年の知恵』(築地書館)『絶望の林業』『虚構の森』(新泉社)『獣害列島』(イースト新書)など。Yahoo!ブックストアに『ゴルフ場に自然はあるか? つくられた「里山」の真実』。最新刊は明治の社会を揺り動かした林業界の巨人土倉庄三郎を描いた『山林王』(新泉社)。

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