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一括りにはできない多種多様な少年野球の問題。「主役」である子供たちに着目してみた

上原伸一ノンフィクションライター
時代とともに少年野球のあり方は変わったが「主役」はいつの時代も子供だ(写真:GYRO_PHOTOGRAPHY/イメージマート)

かつてのような“野球小僧”が減っている

前回の投稿(https://news.yahoo.co.jp/byline/ueharashinichi/20211130-00270391)は反響を呼んだ。それだけ少年(学童)野球の問題に関心がある人が多いということだろう。あらためて思ったのが、少年野球の問題は一括りにはできない、ということだ。問題はチームによって異なり、その人の立場、考え方によっても異なる。

「当番」などの親の負担にしても、チームによってその大きさは違うし、子供のためにもお世話になっているチームに協力するのは当然、という保護者もいる。また、指導法に対する考えも、令和の時代に合ったものにしてほしい、という声もある一方で、小学生の時から厳しさを経験させたい、という親も。

ところで、少年野球の「主役」である子供たちはいま、どのように野球と向き合っているのだろうか。少年野球の問題は、とかく「指導者」や「親」の側面から語られることが多いが、「子供」に着目してみた。

今年、ある取材で西武の平良海馬投手から、少年時代の話を聞く機会を得た。平良投手は今シーズン、セットアッパーとして、開幕から39試合連続無失点の日本記録を樹立した。

平良投手は青い海があり、自然が豊かな石垣島で育った。小学時代からチームに所属していたが、平日練習では監督が姿を見せるのは、仕事を終えた後。それまでは自分たちで勝手に紅白戦をやっていたという。大人に縛られることなく、伸び伸びと白球を追う毎日。「その中で野球がますます好きになり、好きだからこそ、もっと上手くなりたいと思った」と話す。

そして、その気持ちは平良投手の原点になっていく。現在はポータブルトラッキングシステムのラプソードなどを使い、科学的な取り組みもしているが、根底には好きな野球だからこそ研究したい、というのがあるそうだ。

好きだから上手くなりたい―。もしかしたら、“かつての野球小僧”だった人からすれば、当たり前かもしれない。子供の頃は、誰かから言われなくてもバットを振り、時間を忘れてカベ当てをした。それは“努力”とは違う。ただただ野球が好きだったのである。

令和の今でも“かつての野球小僧”のような子供はたくさんいる。ただし、そういう子は父親が野球経験者もしくは野球好きか、野球ができる環境を与えられている、という場合が多い。こうした影響なくして自然に…という例はあまりないと聞く。

平良投手の言葉が新鮮に響いたのは、時代の変化とともに、かつてのような“野球小僧”が減っているからだろう。

習い事になり、遊びから入りにくい時代

原因はいくつか考えられる。1つは習い事の増加。野球は好きだけど、習い事も多く、野球もまた習い事になっている傾向があるのだ。グラウンドに行けば楽しいし、一生懸命にやる。でも、他にもやらなければならないことがいくつもある。なかなか“野球だけ”というわけにはいかなくなっている。

親の立場からすれば、野球が習い事になるのは無理のない話だ。(プロ野球選手を目指すわけでもないのなら)頭も体も柔らかい小学期に野球一辺倒にならず、いろいろな可能性に触れさせたい、というのは当たり前かもしれない。小学期に野球だけでなく、野球以外のスポーツをするのは、心身の発達にもプラスになろう。

だが、少年野球の指導者の中には、“野球が一番”という信念を持つ人も見受けられる。だからこそ熱意ある指導ができるのだが、指導者と親の考え方の乖離(かいり)が起きる背景には、そもそものスタンスの違いにもあるかもしれない。

(少年野球チームに入ると野球中心の生活を強いられ、他の時間が持ちにくくなる、というのも、野球を選ばない理由の1つになっているようだ)

片や、野球を習い事として認識している親の中には、預けておけば指導者が全てやってくれる、と“勘違い”をしている人もいるようだ。ある指導者から、新品のスパイクを持ってチームに入って来たのはいいが、自分でヒモを結べず驚いた、という話を聞いたこともある。その子に「野球は好きか?」と問うと「親から(入るようにと)言われたから」という答えが返ってきたという。さほど野球が好きでもない子も預かり、1から教えなければならない。ボランティアである指導者も受難の時代である。

2つ目は、遊びで野球をする機会がなかなかないこと。かつては空き地で、たとえそこがいびつな形でも、たとえ18人揃わなくても、その中で工夫してルールを作り、野球を楽しむことができた。かつては子供の野球の「入り口」は遊びだった。それは“ちゃんとした野球”でなくても良かった。ゴムボールを使った「手打ち野球」でも、「三角ベース」でも、それが子供たちにとっての野球だった。

学校のクラスにもたいてい野球チームがあった。チームと言っても揃いのユニフォームもないところがほとんどで、遊びの延長ではあったが、自分たちで打順や守備位置を決め、クラス同士で真剣勝負をした。そこには主体性を育む「自治」に近いものもあった。1970年代にクラスのチームとして発足し、現在も当時のチーム名で活動を続けているところもある。

今はそうはいかない。野球を遊びでやるきっかけも少なければ、場所もない。公園があってもたいていは「野球禁止」「キャッチボール禁止」の立て看板がある。

話はそれるが、遊びで野球をやった経験が乏しいと、プレーでの創造力にも影響するようだ。ある強豪高校の監督は「今の子がとっさに考えたプレーができないのは、遊びで野球をしていないのも関係しているのでは」と言う。

今も変わらぬ野球をするモチベーション

こうした中、子供の遊びに着目し、遊びを練習に取り入れているチームもある。アップとして子供が好きな鬼ごっこ(子供たちは「鬼ご」と呼んでいる)をやらせたところ、楽しみながら、夢中になってダッシュを繰り返すので、いいトレーニングになっているという。

時代は変わっている。それでも、今も子供たちのモチベーションになっているのは“野球が好き”という気持ちであり、自ら夢中になれる時間のようだ。皮肉なことに、熱心な指導がこれを奪ってしまうことある。指導者からすれば、上達させたい、チームを強くしたい一心で教えているだけだが、教え過ぎが結果的に、“もう野球はお腹いっぱい”にさせてしまい、それがために小学校で野球を“引退”してしまう子もいると聞く。

指導にはこれが正解というのはないだろう。保護者の考えも百人百様になっている。ただ、一番大事なのは主役である子供を置き去りにしない、ということでは。小学時代だからこそ、子供が勝手に成長する「余白」を作ってあげてほしいと願う。

ノンフィクションライター

Shinichi Uehara/1962年東京生まれ。外資系スポーツメーカーに8年間在籍後、PR代理店を経て、2001年からフリーランスのライターになる。これまで活動のメインとする野球では、アマチュア野球のカテゴリーを幅広く取材。現在はベースボール・マガジン社の「週刊ベースボール」、「大学野球」、「高校野球マガジン」などの専門誌の他、Webメディアでは朝日新聞「4years.」、「NumberWeb」、「スポーツナビ」、「現代ビジネス」などに寄稿している。

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