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タモリはなぜ最終回に「また明日も見てくれるかな?」と言ったのか

ラリー遠田作家・お笑い評論家

3月31日、32年続いた長寿番組『笑っていいとも!』(フジテレビ)がついに最終回を迎えました。昼に放送された最終回では、テレフォンショッキングの最後のゲストとしてビートたけしが出演。ギャグ満載の表彰状を読み上げて、最終回を祝っていました。

一方、同日夜には特番『笑っていいとも! グランドフィナーレ 感謝の超特大号』が放送されました。明石家さんまとタモリのトークコーナーにダウンタウン、ウッチャンナンチャンが割って入り、さらにそこにとんねるず、爆笑問題、ナインティナインまで加わる。大物芸人たちが一堂に会する夢の舞台となりました。

どちらの番組も見どころ満載だったのですが、個人的に気になったのは、タモリの最後の一言。通常の『笑っていいとも!』では、番組の最後にタモリが「明日も見てくれるかな?」と客席に呼びかけて、観客と出演者が全員で腕を振り上げて「いいとも!」と答えることになっています。

しかし、3月31日に放送された2つの番組は、いずれも最終回にあたるものです。どういう言葉で締めるのか注目が集まる中で、タモリはこう言いました。

「それじゃあ、また明日も見てくれるかな?」

なんと、最終回であるにもかかわらず、2つの番組の両方で、いつも通り「明日も見てくれるかな?」と言ってみせたのです。この場合の「明日」とは、「明日の『笑っていいとも!』」という意味ではないことになります。だからといって「明日始まる新番組『バイキング』」を指しているとも思えません。

私がタモリの言葉を聞いて思ったのは、「ああ、そうだったのか。そもそも『また明日も見てくれるかな?』というのは、『この番組を明日も見てくれるかな?』という意味じゃなかったんだ」ということでした。

その秘密は、『笑っていいとも!』のテーマソング「ウキウキWATCHING」の歌詞に隠されています。この歌の中には「今日がだめでも いいトモロー/きっと明日は いいトモロー」というフレーズが出てきます。今日という日がうまくいかない、だめな1日だったとしても、明日はきっといいことがあるはず。「いいトモロー(tomorrow)」を迎えられるはず。この歌詞にはそんな思いが込められているのです。

つまり、タモリが「明日も見てくれるかな?」というときの「明日」は、「明日のいいとも」でもなければ「明日のテレビ」でもありません。それはきっと「明日」そのものなのです。今日という日がパッとしなくても、前を向いて、未来を見すえて、明るい気持ちで「明日」を見て生きていってほしい――タモリは、番組の最後にそんな前向きなメッセージを送り続けていたのではないでしょうか。

そう解釈すると、タモリがこの言葉を最終回でも同じように使っていたことが不思議ではなくなります。「明日も見てくれるかな?」とは、照れ屋でひねくれ者の彼が、何重にもオブラートに包んで密かに捧げてきた、前向きな祈りの言葉だったのです。

作家・お笑い評論家

テレビ番組制作会社勤務を経て作家・お笑い評論家に。テレビ・お笑いに関する取材、執筆、イベント主催など、多岐にわたる活動を行う。主な著書に『松本人志とお笑いとテレビ』(中公新書ラクレ)、『お笑い世代論 ドリフから霜降り明星まで』(光文社新書)、『教養としての平成お笑い史』(ディスカヴァー携書)、『とんねるずと『めちゃイケ』の終わり<ポスト平成>のテレビバラエティ論』(イースト新書)、『逆襲する山里亮太』(双葉社)、『なぜ、とんねるずとダウンタウンは仲が悪いと言われるのか?』(コア新書)、『M-1戦国史』(メディアファクトリー新書)がある。マンガ『イロモンガール』(白泉社)では原作を担当した。

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