東急電鉄、値上げ最大の理由は? 落とせないサービス、「選ばれる沿線」を維持するために
東京圏の私鉄各社の中では、比較的安い運賃の東急電鉄。初乗りは交通系ICカードで126円、渋谷から横浜まで乗っても272円となっている。JR東日本山手線内の初乗りが133円、渋谷から横浜まで湘南新宿ラインを使うと396円ということを考えると、安さは際立っている。田園都市線で渋谷から中央林間まで乗っても335円だ。
いっぽう、沿線は不動産価格などが高く、ほかの鉄道事業者に比べて比較的所得の高い層が暮らしている。
そんな東急グループは、最近多くの私鉄が取り入れている「選ばれる沿線」戦略の第一人者だ。有料特急はなく、座席指定列車も大井町発の一部にしかない。特別料金を取らないふつうの通勤・通学用の列車を運行し、利用者の支持を集めている。運賃の安さや、駅の清潔さがあり、サービスもほかの私鉄よりよく、これらも利用者から支持されている。
「選ばれる沿線」の基本には、鉄道事業そのものが優れているというのがあるのだ。
そんな東急電鉄は、先日国土交通省に2023年3月の実施に向けて鉄軌道旅客運賃の改定を国土交通大臣に申請した。安さで知られていた東急電鉄が値上げというニュースは、注目を集めた。
ではなぜ、値上げをすることになったのか?
コロナ禍がもたらした利用者の減少
通勤・通学利用は、東急に大きな利益をもたらしていた。コロナ前の2019年度の混雑率を見ると、ラッシュ時にもっとも混雑していた区間は東横線が172%、目黒線が178%、田園都市線が183%となっていた(『数字で見る鉄道2020』)。2020年度はそれよりも大きく下がっている。
ここまで混雑していたから、安い運賃でも鉄道事業が成り立っていた。
東急電鉄は発表した資料で、コロナ禍によりリモートワークなどの新しい生活様式が定着したことで利用者が減少し、2020年度は約165億円の営業損失を計上、2021年度も営業赤字が見込まれるとしている。東急電鉄は定期券の減収率が関東の大手私鉄では最大で、2021年10月に緊急事態宣言が解除されてからも利用者の3割減は続き、需要回復は見通せないとしている。
リモートワーク、あるいはテレワークは、デスクワークで手元にパソコンとスマートフォンさえあればできるという職場で適用されやすいという傾向がある。こういった会社の多くではクラウド型の業務支援ソフトなどが使用されており、自宅でパソコンに向かえば問題はないようになっている。
そういう組織はみんなで一緒に何かやらなくてはならないという考え方ではなく、多様性を認めるバックボーンがある。そしてそのような仕事は、高所得のホワイトカラーなどが中心となっている。
まさに東急沿線の住民である。
「沿線格差」的な観点からすれば、ほかの沿線よりも社会階層が高い人が暮らしている一方、ほかの鉄道よりも運賃が安いという、すごいことになっているのだ。
ネットで東急電鉄値上げの反応を見ると、いままでが安すぎたという反応も多く、運賃が高いのにさらに、という反応は見当たらなかった。北総鉄道の運賃が高くて非難され、値下げの話が出てきて「やっとか」という扱いをされるのを見ると、大違いだ。
コロナ禍がもたらした通勤状況の変化が、東急に値上げを考えさせたといえる。
だが、そんな理由だけで人々は納得してくれるだろうか?
東急電鉄は他よりも快適に、安全な鉄道をめざすために、さまざまな取り組みをしてきたのだ。
他を圧倒する設備投資
東急電鉄は、利用者の安全性・快適性のために、大きく投資をしてきた。2019年には東横線・田園都市線・大井町線の全64駅にホームドアを設置し、現在では世田谷線・こどもの国線を除く全駅にホームドアもしくはセンサー付固定式ホーム柵を設置した。ホームからの転落は激減した。防犯カメラの設置を全車両で2020年には完備している。また、駅の快適さのためにリニューアルを続け、新型車両の導入にも積極的だ。
鉄道ネットワークの向上のためにも力をそそいでいる。これまで相互直通運転に取り組んできただけではなく、2022年度下期に東急新横浜線を開業、相鉄とも接続する。
ソフト面にも力を入れている。全駅でバリアフリールートを設置、駅トイレにも多目的トイレを設けているだけではなく、駅係員や乗務員の「サービス介助士」取得率100%ということで、弱者へのやさしさはほかの鉄道事業者よりも優れている。
ハード面は多くの鉄道事業者が取り組むものの、多くの従業員に「サービス介助士」を取得させるなど、よりよいサービスを提供し続け、「選ばれる沿線」であり続けるために一生懸命努力しているのだ。
「愛線心」の高い沿線住民は、そんな東急電鉄を高く評価し、信頼している。この信頼を裏切ってはいけない。安ければいいというものではないとわかってくれると考えているのではないか。
では、どう値上げするのか?
12.9%の改定、でも……
東急電鉄では、運賃の改定率を12.9%とする。交通系ICカードでは、初乗りは126円から140円に、その他の区間では改定率と同程度とする。渋谷~横浜間では272円から309円に、渋谷~中央林間間では335円から381円になる。
気になる通勤定期は、渋谷~横浜間は10,110円から11,510円に、渋谷~中央林間間では12,450円から14,170円となる。通勤定期は基本、勤め先が通勤手当として支払うものであり、個人の負担にはならない。また、この値上げでも他事業者より安いという状況は続く。
東急電鉄は路線網が短いため、実際の値上げは「多少」といえる額としかならない。これにより11.7%増収をめざすという。
今回の定期券値上げで良心的なのは、通学定期を現状のまま据え置くというものである。通勤の定期券代は職場が負担するものの、通学の定期券は沿線住民である親が負担するものである。
東急沿線住民である親からすると、身銭を切っている子どもの定期券は値段が変わらないほうがいい。子どもは学校に通わなくてはならないので、そこは需要が減らないという見方もできる。
隣接する小田急電鉄が小児IC運賃を一律50円に、小児用の定期券を一律800円にすることにしたが、こちらは大学生(さらには大学院生)までもが対象となる施策である。
サービスを向上させるために設備投資を欠かさず、コロナ禍の前までは過去5か年平均で1年あたり540億円を費やした。今後も設備投資を続けるという。ほかの関東圏の私鉄やJRに比べて贅沢だ、という見方も可能かもしれないが、鉄道事業は東急グループの根幹となる事業であり、決しておろそかにしてはいけないものだ。
サービスの質を落とさないというのは、「選ばれる沿線」として適切な考え方ではないだろうか。