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「女は男に従うほかに生きる場所がない」(女三界に家なし?) 『虎に翼』の週タイトルが刺激的なわけ

堀井憲一郎コラムニスト
(写真:2019 TIFF/アフロ)

「女房に惚れてお家繁昌?」

朝ドラ『虎に翼』22週目の週タイトルは「女房に惚れてお家繁昌?」であった。

『虎に翼』では毎週、「女性」に関する俚諺が週タイトルに使われている。

「女房に惚れてお家繁昌」は、まあ、不穏さの少ない俚諺ではある。

女房に惚れて、「外で女遊びをしないなら」、浪費が少なく、お家は繁昌する、そのあたりのことだろう。

たぶん、いまより男性の女遊びが常態だった時代の言葉である。

「貞女は二夫に見えず」

こういう俚諺はよく落語で耳にする。

いまや落語のなかにしか残っていない、というものもあるだろう。

前週の週タイトルは「貞女は二夫に見えず?」(第21週)であった。

これも落語でお馴染みである。

テイジョはジフにマミえず、と読むのであるが、落語で使われるフレーズは少し違っていて、「貞女は両夫(りょうふ)に見(まみ)えず」である。

ざっくり言うなら、貞淑な女性は前夫と死に別れても再婚しない、というようなあたりになる。死別とは限らないが、生涯、寄り添うのは一人だけと決めてる女性を貞淑と言っている。

あいだに屏風があっちゃ前が見えねえ

このフレーズが印象的に出てくる落語は『風呂敷』である。

ここには知ったかぶりのアニイが出てきて、大変だ大変だと助けを求めにやってきた近所のおかみさんを、いろいろと諭すのである。

テイジョはビョウブにまみえず、というだろ、と始まる。

「亭主がいて、貞女がいるだろ、そのあいだに屏風があれば、向こうが見えない。ま見えず、になるから、そんな場所に屏風を置いちゃいけねえってことだ、だから貞女は屏風にまみえずだ」

たしかに人と人のあいだにあまり屏風は立てないほうがいいだろう。

もう貞女も両夫もどっかにいってしまっている。

「女、三界に家なし」だから三階にいちゃいけねえ

アニイはこのまま調子づいて、つぎつぎと俚諺の解説をしてくれる。

「女、サンガイに家なし、と言うだろう」

この「女、三界に家なし」は『虎に翼』の第3週の週タイトルに使われている。

アニイは得意げに説明する。

「女が三階なんぞに上がってちゃ仕事になんねえ、いちいち降りてこなきゃ用が足せねえなんて不便でならねえから、女がいるのは二階までにしとけっていうことだ」

だから女、サンガイに家なしだとなる。

もとの教えはどこかに飛んでしまっている。

女は男に従えという教え

もともとの意味はなかなか厳しい言葉である。

三界というのは、つまりは欲界と色界と無色界のことで、仏教で世界全体をあらわしている。

その三界に家がないということは、女性はこの世には身を落ち着かせる場所がないということになる。

常に男性にしたがって生きていくべしという教えで、いま聞くとなかなかとんでもない言葉である。二千数百年前の考えだから、いろいろしかたがないとはいえ、仏教用語まで持ち出しているところがかえって無理しているように見えてくる。

ちょっと気を許すと人が簡単に死んでしまうような、そういう貧しい世の中だったから、というのが前提にあるのだろう。だからそういう戒めも必要だったのだとおもうしかない。

「女三人寄ればかしましい」

『虎に翼』の週タイトルに使われた俚諺のうち、落語で聞いたことのあるものがいくつもある。

「女三人寄ればかしましい?」(第2週) 

上方落語の「口入屋」では口入屋の番頭が店で待機している女性たちに小言をいうシーンから始まる。

「もう……うるさいなあ、おなご三人よればかしましいと言うけれど、おまえら、ちいとはおさまってくれることを考えないかんで……豆の皮を散らしなっ……」

口入屋というのは、奉公先、つまり勤め先を斡旋してくれる稼業で、人の出替りの激しい時期には、店内に就職希望女性がたくさんたむろしていたらしい。

そこで番頭が一人、女性陣を前にいろいろと叱言を言っている。

江戸方のこの噺では(「引っ越しの夢」とタイトルが変わる)あまりこのシーンを聞くことが少なくて、残念である。

女性があつまると、やかましいという言葉で、これはそのままその意味でしかない。

「屈み女に反り男」

第4週は「屈(かが)み女に反(そ)り男?」である。

これは「三方一両損」に出てくる。

威勢のいいことが好きな大家が、財布を拾ったという金太郎に叱言を言う。

「なにい!?せーふ(財布)を拾ったあ? それはおめえがよくねえ……いつも言ってるだろ、屈み女に反り男と言って、男というものはこう、反り身ンになって歩かなくちゃいけねえんだよ、ええっ、それを屈んでっから物を拾うんだ」

江戸ッ子なら、かならず反り身で歩かなきゃいけねえと年寄りの大家が信じている様子がわかって、なんか楽しい。

「女は前屈みになっているほうがいい、男は反り身になっているほうがいい」という俚諺で、大岡越前のいるころの江戸では(落語の後半に出てくる)、それがいいと信じられていたようである。三百年前になる。

柳原で財布を拾って丁寧に竪大工町(たてだいくちょう)まで届けてやったのに、届けた相手に怒られ、もどってきて大家に怒られて、金ちゃんはなかなか気の毒である。

「女やもめに花が咲く」

第16週は「女やもめに花が咲く?」であった。

これはいわば下の句で、上の句は(俳句ではないのだが)「男やもめにうじがわく」である。落語で使われるのはだいたい男やもめのほうであって、ついでに女やもめのフレーズにも触れられることもある。

落語『持参金』では、嫁の世話にきた金物屋の佐助さんが独り者(男やもめ)に叱言をいう。(上方版)

「ちいとは綺麗にせなあかんがな、男やもめにうじがわく、言うて、きたないなあ、おい、襟垢がまっくろけについたあるやないか、風呂へは行けへんのかいな」「風呂はきっちり二へんずつ入ってまんがな」「日に二へんも?」「春と秋に」「お彼岸やがな」

女性の独り暮らしは身ぎれいにしているものだから、華やかである、という俚諺である。

「稼ぎ男に繰り女」

第20週「稼ぎ男に繰り女?」。

男が外で稼ぎ、女がそれでやり繰りをする、それで家がうまくまわるのだよ、ということだ。男と女に固定して割り振るのはどうかとおもうが、でもそのスタイルはおそらく現代でも有効なシステムだろう。

これはコトバンクというインターネット上の辞書に引用があった。

「稼ぎ男にやりくり女といって女の繰りまわしにあるのだよ」(三代目柳家小さん*落語・閉込み)

明治三十年(1897)の使用例として出ているが、辞書の引用がすでに落語であるところが、こういう俚諺の典拠のむずかしさを表している。

閉込みはおそらく「締め込み」のことで、でもわたしはこの落語ではこのセリフを聞いた覚えがない。

三代小さんは、漱石が『三四郎』で絶賛している落語家で、もちろん落語業界にもその盛名は伝わっているのだが、同時に、最晩年では落語の同箇所をループして喋ったこともあったようで、三代小さんと聞くと、いつも同時にそのふたつの逸話をおもいだしてしまう。

隠居や大家さんが若い夫婦を諭すときに使うセリフである。

『虎に翼』の週タイトル

『虎に翼』の週タイトルは、すべて昔の俚諺に「?」がつけられている。

俚諺の意味を説明すると、男女差別がリアルに露骨で、かなり問題のあるものなのだが、そこまでは踏み込んでいない。

俚諺だから言葉調子はいいわけで、そこに頼って、説明なしに流しているばかりだ。

本来はかなり刺激的な内容のタイトルだがそこを感じさせないところが、なかなかうまい。

刺激的だと感じるには、見ているほうにも何かしらの知識がいるようになっている。

あらためて俚諺ってのは、年上の者が年下のものに教え諭すときに引用するセリフなんだなと、落語を引用して、つくづくおもう。

コラムニスト

1958年生まれ。京都市出身。1984年早稲田大学卒業後より文筆業に入る。落語、ディズニーランド、テレビ番組などのポップカルチャーから社会現象の分析を行う。著書に、1970年代の世相と現代のつながりを解く『1971年の悪霊』(2019年)、日本のクリスマスの詳細な歴史『愛と狂瀾のメリークリスマス』(2017年)、落語や江戸風俗について『落語の国からのぞいてみれば』(2009年)、『落語論』(2009年)、いろんな疑問を徹底的に調べた『ホリイのずんずん調査 誰も調べなかった100の謎』(2013年)、ディズニーランドカルチャーに関して『恋するディズニー、別れるディズニー』(2017年)など。

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