「さいとう」さんの斉、斎、齊、齋…始まりの漢字は? 4つの違いを解説
17日に行われる札幌ドームの日本ハム-オリックス戦で、「ハンカチ王子」こと日本ハムの斎藤佑樹投手が登板し、試合後に引退セレモニーが行われる予定となっている。
斎藤投手が話題を席巻したのは2006年のこと。早実のエースとして夏の甲子園の決勝で駒大苫小牧高の田中将大(現・楽天)と投げ合い、延長15回引き分け再試合の末に優勝した。卒業後は早大に進学、2010年秋のドラフト会議では4球団が1巡目指名で競合した末に、鳴り物入りで日本ハムに入団した。プロ入り後は、1年目に6勝、2年目は開幕投手を務めてプロ初完投勝利を飾ったものの、その後は故障もあって思うような成績は残せず、11年間での通算成績は15勝26敗に終わっている。それでも、この試合のチケットは瞬く間に完売、相変わらず高い人気を持ち続けていることがわかる。
「さいとう」はどう書く?
ところで、この「斎藤」という名字、その書き方がすぐに頭に浮かんだだろうか。ファンはともかく、そうでない人は「さいとう」さんの正しい漢字はなかなか思い浮かばないものだ。というのも、「さいとう」さんは漢字の種類が多いだけでなく、代表する「斎藤」「斉藤」「齋藤」「齊藤」の4つが、いずれもかなりメジャーな名字だからだ。まわりの「さいとう」さんはどれが正しい書き方なのかは意外と覚えていない。
では、この4つの「さいとう」という名字、何が違うのだろうか。
純粋に「漢字」という観点からみると、「斎」と「齋」は新旧字体の違い。つまり同じ漢字の字形の違いにすぎない。同じように「斉」と「齊」も新旧字体の違いで、こちらも同じ漢字である。それでは斎藤の「斎」と斉藤の「斉」はどういう関係かというと、これは全く別の漢字である。「斎」は「つつしむ」「とき」などとも読み、神仏に仕えるために飲食をつつしみ、心身を清めることである。一方「斉」は、「一斉」「国歌斉唱」という熟語でもわかるように、「せい」と読んで「そろっている」という意味である。つまり、「斎藤」の代わりに「斉藤」と書いて「さいとう」と読むのは本来は誤用ということになる。しかし、今では「斉藤」や「齊藤」と書く「さいとう」を誤用と考える人は少ない。
「~藤」という名字のルーツ
そもそも「さいとう」さんのルーツは藤原氏である。平安時代、藤原一族は要職を独占した。朝廷内が「藤原」ばかりになったため、一族内で区別するために、各家は家号を名乗るようになった。公家は、自らの邸宅のあった場所や建立した寺院の所在地などをとって、「一条」「西園寺」などと号した。この家号が定着したのが、日本における名字の始まりの1つである(もう1つは武士が支配地の地名を名乗ったもの)。
しかし、藤原氏といえどもすべての人が公家になれるわけではない。分家の分家といった主流から少し離れた人達は、公家ではなく官僚となった。こうした官僚の藤原氏は、家号とするための大邸宅や寺院があるわけでもない。そこで、自らの官職と藤原氏を合わせることで新しい名字を名乗った。公家であれば、「藤原」とは全く違う名字を名乗っても藤原一族であることはわかるが、中級官僚クラスは藤原氏の一族であることが明白な名字を名乗りたい。
そこで、地方官僚となった藤原氏は、自らの管轄する地名と藤原氏を合成して名字を名乗った。たとえば、加賀国(石川県)の官僚となった藤原さんは「加賀」の「加」と、藤原氏の「藤」を組み合わせて「加藤」と名乗った。同じように、伊勢の藤原さんは「伊藤」、近江の藤原さんは「近藤」、遠江の藤原さんは「遠藤」という具合である。
一方、中央官庁につとめた藤原さんも、その役職名と藤原氏を合成して名乗った。朝廷の修繕を担当する木工寮の藤原さんは、木工寮の「工」と藤原氏の「藤」を合わせて「工藤」を称した。同じように、貴人の警固を担当した内舎人(うどねり)の藤原さんは「内藤」、武者所の藤原さんは「武藤」と名乗っている。
なかには、両方を組み合わせたような名字もある。左衛門尉となった藤原さんは、左衛門尉の「左」と藤原の「藤」で「さとう」と名乗ったが、漢字は自らの先祖である藤原秀郷の本拠地だった下野国佐野に因んで「佐藤」という漢字にしたといわれる。
「さいとう」の由来
では、「さいとう」さんの由来というと、役職にちなんでいる。平安時代、皇族の未婚の女性が伊勢神宮の「斎王」となる決まりがあり、この斎王の世話をするために伊勢に斎宮寮という役所があった。この斎宮寮の長官である斎宮頭となった藤原叙用が、斎宮の「斎」と藤原の「藤」を合わせて「斎藤」と称したのが始まりである。当時は旧字体が基本のため、「齋藤」が正しいことになる。ただし、「齋」の字は難しい。そのため、その略字である「斎」という漢字も使われた。
実は、江戸時代以前は読みが合っていれば漢字はあまり気にしないという傾向が強く、同じ固有名詞に対して複数の漢字があてられることは珍しくはない。そして、「齋藤」の場合は略字である「斎藤」の他にも、本来は違う漢字である「齊」や「斉」を使った「齊藤」さんや「斉藤」さんが誕生したのだ。
江戸時代、農民の多くも名字を持っていたが、それらは自称に過ぎずどこかに登録されていたわけではない。明治政府は戸籍制度を導入すると、すべての国民に対して戸籍に名字を登録することを強制した。その際、役所の担当者が筆で戸籍簿に書いたわけだが、「齋」や「齊」の字が難しいため、多くの誤字が登録された。
そもそも、当時の人は漢字の字形の細かな違いはあまり気にしておらず、ましてや戸籍の字形がそのまま固定されてしまうとは思っていなかっただろう。しかし戸籍が完成すると、明治政府は原則として変更することを禁じ、たとえ誤字であっても、それがその人の名字としての正しい表記となってしまった。
コンピュータ化で誤字の名字は減少
この問題が大きく解消されたのは平成に入ってからである。平成になると各地で戸籍のコンピュータ化が始まった。そうすると、誤字の名字は登録することができない。そこで、コンピュータ化する際に、誤字で登録されている人には、1軒ずつ「戸籍の誤字を正しい字に変えませんか」と確認し、了承した人のみ戸籍の字形が改められた。その結果、多くの人が120年目にして戸籍の誤字を正字に直すことができたのだ。
「斎藤」「斉藤」では、実に85種類の書き方が見つかったという。しかし、すべての人が正しい字形に直したわけではない。戸籍に登録されて120年がたち、その間に5代くらいの人達がその漢字を使い続けている。お墓に彫っている、実印を作成した、慣れ親しんでいる、などの理由であえて誤字のままの登録を希望した人も多い。そうした人の戸籍は修正されず、入力できない部分は手書きとなっている。その結果、85種類あった「さいとう」さんのバリエーションは大きく減少したものの、現在でも20種類くらいは残っているとみられる。
【この記事は、Yahoo!ニュース個人編集部とオーサーが内容に関して共同で企画し、オーサーが執筆したものです】