【消えた駅舎2023①】令和5(2023)年1月~3月に消えた駅舎
今年も残すところあとわずか。ということで、今年(令和5年)に解体や建て替えなどで消えた駅舎を振り返っていくことにしよう。一年を4つに分けて、この記事では3月までに消えた駅舎を紹介する。ただし、1月に消えた駅舎は今年は無かった。
今年最初に役目を終えた駅舎は2月4日から仮駅舎に移行した埼玉県の春日部駅東口だ。明治32(1899)年8月27日に「粕壁」駅として開業、旧駅舎の築年は不明だが、開業時のものの可能性もある。駅舎の原型は古い寄棟屋根の木造駅舎だが、大幅に増改築されていたのでそれほど古いものには見えなかった。高架化工事は令和13(2031)年度の完成が予定されているため、8年間は仮駅舎での営業となる。
2月15日頃には北海道の新二岐駅の旧駅舎が解体された。昭和29(1954)年頃に建てられたもので、昭和50(1975)年4月1日の廃止から半世紀近くもの間残ってきたが、近年は空き家で荒廃が進んでいた。他に二つとない個性的なデザインの駅舎だっただけにその喪失が惜しまれる。
廃止から48年で消えた個性的なデザインの木造駅舎 夕張鉄道 新二岐駅(北海道夕張郡栗山町)
2月18日には山口県の富海(とのみ)駅が建て替えのため仮駅舎に移行した。明治31(1897)年3月17日開業時から使われてきたもので「明治30年7月」の建物財産標が付いていた。旧駅舎の跡地に建てられた新駅舎は12月17日に使用開始となった。
【消えた駅舎】海辺の宿場町にあった水色の屋根の木造駅舎 山陽本線 富海駅(山口県防府市)
2月19日には広島県の大竹駅が新駅舎の使用を開始した。それに伴って役目を終えた旧駅舎は昭和49年2月から使われていたもので、直線が美しいモダニズムスタイル。2階から跨線橋に直結する造りだった。上写真は新駅舎への移行3日後の2月22日に撮影したもので、左の白い建物が旧駅舎、右が新駅舎だ。
3月15日からは和歌山県の隅田(すだ)駅の旧駅舎が解体された。明治31(1898)年4月11日開業時に建てられた木造駅舎で、平成23(2011)年12月27日に隅田中学校美術部の生徒と卒業生によってかわいらしいイラストが描かれていた。地元のシンボル的存在だったものの、令和4(2022)年9月1日より新駅舎の使用を開始。旧駅舎は10月30日に「隅田駅感謝祭」を行った後も残されていたが、今年3月15日から解体された。地元から愛されているのが伝わる駅舎だけに解体が惜しまれる。
3月18日には愛知県の牛久保駅が新駅舎に移行した。役目を終えた旧駅舎は昭和18(1943)年8月の飯田線国有化直後に建てられたもので、天井が高く立派な駅舎だった。駅所在地の旧:宝飯郡牛久保町には豊川町、八幡村にまたがる巨大な軍需工場・豊川海軍工廠が昭和14年12月に開廠されており、立派な駅舎への建替えも戦争の激化に伴う工廠への通勤客増加で手狭になったことによるものだった。牛久保駅は新駅舎使用開始と同時に無人化されている。
同じ3月18日には京都府の六地蔵駅も新駅舎・新ホームに移転した。カーブに設けられていたホームを拡幅して安全性の向上を図るとともに、京都市営地下鉄東西線との乗換え利便性向上を目指した移転で、ホームを京都方に80m延伸すると同時に木津方の80mを廃止した。駅舎も京都方に80m移転しており、旧駅舎よりも地下鉄駅との距離が近くなった。役目を終えた旧駅舎は平成4(1992)年10月22日開業時以来のもので、それほど古いものではなかったが、利用者数の増加によって近年は手狭になっていた。
【消えた駅舎2023②】令和5(2023)年4月~6月に消えた駅舎