球場に流れた最初で最後のアナウンス「ピッチャーは一二三慎太、阪神タイガース」
ちょうど1週間前の8日、仙台市の楽天生命パーク宮城にて『プロ野球12球団合同トライアウト』が行われました。有観客での開催は3年ぶり。朝早くから受験選手の“入り”を見ようと多くの方々が来られ、また当日券売り場や開場時の19号門にも長い列ができていました。
早朝は寒かったものの、青空が広がって日差しが降り注ぐとスタンドでは上着を脱いでいられるほど。お昼前に少し天気がぐずついたので肌寒い時間帯はありましたが、おおむね良好なコンディションだったのではないでしょうか。
トライアウトで忘れられないのは2008年11月11日、横須賀での強烈な寒さです!慌てて引っ張り出してきた真冬のダウンコート、マフラーに手袋と最大級の防寒対策でも追いつかず、朝買ったシウマイ弁当がカチコチになって…。受験した阪神の伊代野貴照投手、正田樹投手も指先を気にしていたんですよね。
ちなみに、仙台ではちょうど10年前の2012年11月9日に、この年1回目のトライアウトが行われています。木田優夫投手(日本ハム)の受験が話題で、阪神からは䔥一傑投手、石川俊介投手、松崎伸吾投手、高田周平投手、吉岡興志投手、甲斐雄平選手、野原祐也選手、桜井広大選手(四国IL・香川)が参加しました。
この時はあいにく小雨がぱらついていたので、ことしは本当に上々の天候だったと言えるかもしれません。右肩の痛みと相談しながらの挑戦だった、元阪神タイガース・一二三慎太投手(30)にとっても――。
区切りの舞台に選んだトライアウト
今回はあえて“一二三投手”で統一させていただきます。
2010年のドラフト2位で阪神に入団した一二三投手は、高校3年になる直前から抱えてきた右肩痛が癒えず、登板はなりませんでした。その後は野手に転向したので、投げたのは1年目の2月に行われた春季キャンプだけで、しかもブルペンでの立ち投げ2回のみ。打者に対しての投球はないまま終わっています。
そんな一二三投手が、“NPB復帰を目的としない”トライアウト受験に踏み切った、そのいきさつは前出の記事でご紹介しています。こちらからご覧ください。→元阪神タイガース・一二三慎太が挑む合同トライアウト
トライアウトは例年通り8時から受験選手の受付、その後は各自でウォーミングアップ、スケジュールや注意事項等の説明を受けてシートノック、それからテスト本番である『シートバッティング』へと続きます。
なおシートバッティングは以前、カウント1-1から始まっていたのですが、ことしは昨年と同じくカウント0-0からのスタートでした。これは参加人数にもよるのでしょうね。
一二三慎太投手の登板は10番目、阪神の守屋功輝投手(28)は18番目、ついで阪神~日本ハムの谷川昌希投手(30)です。野手では一二三投手と同期で同学年の阪神~ソフトバンク・中谷将大外野手(29)も参加してしました。
それぞれの結果については既にご存じだとは思いますが、改めて書いておきます。
◆一二三慎太 (30) 右
【日本ハム・樋口龍之介(28) 右】
126キロ ストライク
117キロ ボール(スライダー)
126キロ ボール
126キロ 空振り
127キロ 空振り三振→振り逃げ
【日本ハム・片岡奬人(24) 左】
128キロ ボール
126キロ ボール
118キロ ボール(スライダー)
129キロ ストライク
129キロ ファウル
130キロ 空振り三振
【日本ハム・宮田輝星(24 ) 両→左打席】
116キロ ストライク(スライダー)
130キロ ボール
128キロ ボール
117キロ ファウル(スライダー)
129キロ ボール
127キロ 四球
◆守屋功輝 (28) 右
【楽天・岩見雅紀(28) 右】
145キロ ストライク
130キロ 空振り(スライダー)
137キロ ファウル(フォーク)
145キロ 右飛
【日本ハム・上野響平(21) 右】
144キロ ストライク
132キロ ストライク(スライダー)
130キロ ボール(スライダー)
135キロ 投ゴロ(フォーク)
【楽天・山崎真彰(27) 左】
144キロ ボール
132キロ ストライク(スライダー)
137キロ ボール(フォーク)
147キロ ストライク
144キロ ボール
146キロ 投ゴロ
◆谷川昌希 (30) 右
【中日・三ツ俣大樹(30) 右】
145キロ 空振り
143キロ 遊ゴロ(シュート)
【中日・桂依央利(31) 右】
143キロ ボール(シュート)
143キロ 空振り(シュート)
136キロ 空振り(カット)
146キロ ファウル
135キロ ボール(スライダー)
144キロ ファウル(シュート)
137キロ 空振り三振(スライダー)
【巨人・勝俣翔貴(25) 左】
146キロ ボール
136キロ 右前打(カット?)
◆中谷将大 (29) 右
【元西武・小石博孝(35) 左】
カウント1-2からの5球目
(129キロ) 空振り三振
【巨人・与那原大剛(24) 右】
初球(142キロ) 右前打
【楽天・釜田佳直(29) 右】
フルカウントからの6球目
(変化球) 四球
すべての予定が終了した際に、最後まで観てくださった方々への感謝を込め、残っていた選手たちがグラウンドに出て一礼。投手陣は投げ終わった順に引き揚げてしまうため野手だけですが、スタンドからは大きな拍手が起こりました。
「悔いなく終われてよかった」
では、話を聞けた中谷選手、守屋投手、そして一二三投手のコメントをご紹介します。
外に出てきた中谷将大選手に、誰が来られていたのか聞いたら「奥さんと親父と、あ!西田も来ました(笑)」と一気に顔が明るくなります。そうなんですよ。中谷選手、一二三選手の1つ下である元阪神・西田直斗さん(29)が、先輩の応援に仙台まで来ました。ここで、ちょっと脱線します。
実はこの日、飛行機に乗り遅れた西田さん。お父さんから「西田家は東北行きの飛行機に縁がないです」とメールが来て吹き出しました。2013年、秋田で開催のフレッシュオールスターゲームにお母さんとお姉さんが来られたのですが…なんと!空港で話し込んでいる間に搭乗するはずの飛行機が出てしまったのです。
この年のフレッシュオールスターには3年目の一二三選手も選ばれていたのに左足の骨折で辞退、前年にMVPを受賞した中谷選手が代替出場したんですよね。ちなみに西田家のお母さんとお姉さん、試合には間に合っておられます。何かと思い出深い9年前の夏でした。
話を戻しましょう。中谷選手は3打席で1安打1三振1四球という結果に「まあ悔いなく終われたので、よかったです」という感想。ことしは1人3打席か4打席と少なめですね。2015年の1回目なんて、投手が野手の倍以上いたため1人で7打席か8打席あったのに。
一二三投手と会うのは?「久しぶりです。いろんな話をしましたよ」。投げている時、中谷選手もレフトで守っていましたよね?プロでは見られなかった光景。「そうですね。新鮮でした。でも打球を追うのに必死だったから、あんまり見られなかったけど、頑張るところを見られてよかったです」
今後どうするか、などは考えていますか?「まあ、いろいろ。おいおいという感じです」。ソフトバンクでの1年、思い出に残っていることは?「もういっぱいですよ。日々、ふざけたこともたくさんありましたし。楽しかったです!」
そんな中谷選手をまだまだ見たいです。「はい、頑張ります(笑)」
「上出来だったと思います」
球速もコントロールも素晴らしく、テレビ中継で解説の野村弘樹さんも絶賛だった守屋功輝投手。帰りの空港で話を聞かせてもらいました。上々の結果ですよね?と尋ねたら「上出来だと思いますという返事。
投げたのは?「真っすぐ、スライダー、ツーシーム、フォーク。投げミスは少なかったですね。最初のライトフライも、差し込んでのものだったので、いい形の打ち取り方はできていたかなと思います」。納得の表情でした。
誰か見に来られた?「いえ、誰も」。おまけに阪神からの参加が1人という…。「そうなんですよ~」。寂しかったでしょう。「でも谷川さんも、一二三さんも、中谷さんもいたし。真砂もしゃべったりする仲なので」。それはよかったです。でも1人だけって、なかなかないですもんねえ。
実は受験を予定していた小野泰己投手(28)と尾仲祐哉投手(27)は既に声がかかり、秋季キャンプでテストを受けたようで、9日に小野投手がオリックスの育成選手として、10日に尾仲投手がヤクルトの支配下選手として、それぞれ入団が決まっています。
話を8日の守屋投手に戻しましょう。遠く仙台まで行って「牛タン食ったのでよかったです」と笑う守屋投手。でも、1軍の交流戦で投げたことのある球場で「いいピッチングができたんでよかった」と言っていました。
これから連絡待ちという、何とも言えない時間を過ごすわけですね。「そうですね。これで来なかったらしゃーないです、もう。それぐらいのピッチングはできたと思うので」。そのとおり見事なピッチングでしたよ!「はい、連絡が来ると思っておきます」
2019年が一番の思い出
ところで、阪神の思い出は何ですか?「やっぱり2019年ですね。矢野さんが2018年に2軍監督で2019年に1軍監督になって。その開幕は(1軍に)入れなかったけど、すぐ呼んでもらえて…」。57試合に投げ、2勝2敗7ホールド、防御率3.00とすべてキャリアハイのシーズンでした。
「そのシーズンに入る前、島本(浩也)さんと2人で絶対100試合投げよう!って、それをしっかり達成できた」。2人ともよく投げましたもんね。「それで、矢野さんを胴上げしような!と話していたけど、それだけができなかったので…悔しいです」
2018年のファームも、本当に雰囲気がよかったでしょう?「すごく楽しかったんですよねえ。野球の楽しさはこれだなって感じて、楽しんでいたら勝っているし、みたいな」。打ってくれる、走ってくれる、点を取ってくれる。「いや~もう本当にすごかった。ファームですけど楽しかったです!」
そこから2019年の活躍につながったわけですが「あのまま、いい流れでいきたかったですけどねえ。なかなかそうはいかなくて…」と振り返る守屋投手。
「僕が1年間、1軍でできたのが2019年だけだったというのも悔しいですね。それも使ってもらってのことで、自分で投げたという気はあまりしないですけど。でも1軍であれだけ投げられたのは、すごくいい思い出です」
テレビ中継のインタビューで、2020年途中から悩まされてきた右肩痛も「夏ぐらいから完全に怖さが消えて腕を振れるようになったので、もう大丈夫です」と話していた守屋投手。今まさに調子が上向いてきたところです。いい話がありますように。
「バリ緊張したぁー!」
締めは、一二三投手です。12年ぶりの打者との対戦は楽しかった?と聞いたら、すぐ返ってきた「緊張しました」という言葉。球場を出てきた時も「やばかった!なんかもう…ここから下の感覚がないくらい」と、腰から下を手で示しながら目を丸くしていたんですよね。
その緊張はどのあたりから?「朝からです。朝6時に起きて、なんか急激に腹が痛くなって。ただ球場に着いてアップし始めたら、そこまではなかったですけど」。と言ったあと「で、で、で!」と勢い込んで、何か言いたそうです。
「ブルペンが3つあって、僕の隣が(先に登板する)秋吉さんで、反対側(自分の次に投げる)の子も結構速い球で、僕はその真ん中だったんですよ。2人ともえげつない球を投げていて…。ちょっと待って、これちょっと嫌やわ~って!そのへんから段々また緊張してきた」
秋吉さんとはヤクルト、日本ハム、ソフトバンクなどで活躍した秋吉亮投手(33)。もう1人は巨人で野手としてプレーし、そのあと関西独立リーグ・堺に所属する村上海斗投手(27)。その間で投球練習をしていたそうです。なるほど、そこでさらに緊張が増したわけですね。
ブルペンで既に肩が…
「マウンドに立った瞬間、なんか春の甲子園の時とおんなじ感じでしたね。うわ、やっばー!みたいな。そこまで緊張MAXではないんですけど、なんか地に足がついていないというか、フワフワした感じ」。そんなに緊張したんですねえ。「でも投げ出したら普通です。拍手も聞こえていました」
しかも、この日は右肩がかなり痛かったようで「2人目のバッターが終わったら、次に登板するピッチャーが出ていくんですけど、そこまで投げ続けとかなあかんのですよ。もう肩が痛いから、はよしてくれへんかなと思って」と苦笑い。
「もう我慢の限界になって、キャッチャーの人(楽天の伊志嶺忠さん)に、もう止めていいですか?ちょっと肩が痛いんで…と言うたら『あ、痛かったのか。じゃあ止めとこう。ベンチ前のキャッチボールもなくていい?』と聞かれたので、いいっす!いいっす!と答えました」
それから「なんせもう覚えているのがブルペン。両隣のピッチャー(笑)」と思い出したのか、また繰り返します。「やめてくれって思いましたもん。えぐい!って。プロ野球選手って、やっぱりヤバいなと思いましたねえ。さすがプロやなあと」
“コスプレ!”と言われたタテジマ
ところで、久しぶりにタイガースのユニホームを着た感想を尋ねたところ、思い出し笑いをしながら言いました。
「中谷の第一声は『コスプレやん!』ですよ」
吹き出しましたねえ。中谷選手、ナイスです!確かにぶかぶかで、借りたみたいな感じだった。「結構痩せたんですねえ。太ももなんか明らかにサイズ違いますもんね」
みんなで笑いながら、でも本当にタイガースの36番のユニホームを着て、マウンドに立って、しかもプロ相手に投げたんだなあとしみじみ思いました。投手としては高3夏以来12年ぶり。2度の右肩手術を経て。これがどんなにすごいことか、その値打ちを伝えきれないもどかしさがあります。
結果については?「上出来じゃないですか。2三振って」。ゴロアウトでもアウト1つは同じですけど、バットに当てずに三振を取ったというのが何よりでしょう。
「球速表示が3キロくらいは遅いんちゃうかなと、楽天の人が言ってたんですよ。だから投げている時に球速表示を絶対見ない方がいいと。やる気なくなるからって」
全力で投げた?「球速だけ狙って思いっきり投げたら、きっと肩が吹っ飛ぶなと思ったから止めました。なんでかというと、3人に投げ切りたかったんですよ!とりあえず。途中で(肩が痛くて)終わるなんて嫌やから」。やっぱり完結させたかったんですよね。
不思議な軌道を描く?
2奪三振のうち1つは振り逃げになりましたが、あれは一二三投手いわく「カット(真っすぐに近い軌道で手元で変化する)して捕れなかったんですよ」とのこと。
「ブルペンで伊志嶺さんに、めっちゃジャイロ(回転)やなあと言われて『そうなんです。もともと僕そうやって投げていて、カットする時もあります。でもシュートはしないで、カットするか抜けるかどっちかなんで』と。そしたら『ああ、わかった。わかった』と答えてくれたんですけど…」。本番ではスカッと逸らしちゃった?(笑)
その一二三投手のボールについては、この日キャッチボールの相手をした守屋投手も「えっ!?」と、予想しない動きに驚いた反応だったみたいですね。守屋投手に聞くと「僕は上から投げる一二三さんしか知らなかったから」と言っていました。
そこで、練習の際に一二三投手の球を受けている捕手の岡本仁さんが「わかります!わかります!キャッチャーしていて、普段は違う人の真っすぐを見て、久しぶりに一二三さんの球を受けたら、自分のキャッチングがわけわからなくなるんですよ。刺されるんです。回転して上がっていく、ライズボールみたいな軌道」と証言。
また、この日のシートバッティングで打席に立った日本ハム・片岡選手が、終わった後で「130キロですか?もっと速く見えました。速さというより伸びてきました!」と一二三投手に言ったそうです。
さらに「スライダーも、真っすぐが外へ抜けたと思ったら手元で曲がったので、メッチャびっくりしました。見たことのない軌道だった」と。そのあと「え、現役やらないんですか?」と聞かれた一二三投手は「もう肩が無理やから…」と答えたとか。
3人に投げたのは計17球でしたが「ブルペンで30球ちょいぐらい投げてしもたから、もうストップ!って。もし3回投げろとか言われたら終わってましたね。もう無理」と笑いながら「疲れたっす。ただそれだけです」と息を吐きました。
「やっぱりプロはすごい!」
三振を2つ取ったあと四球で終了。ベンチに戻る時の心境は?「うわっ最悪。フォアボールや~って。絶対フォアボールは出したくないと思っていたのに、最後投げた瞬間にうわっ!と。抜けたのが分かったので」。ほんと悔しそうな顔をしていましたね。
「ただ、でも痛すぎて…。戻ってきてロッカールームへ入った瞬間に『いってー!』ってなってきた。マウンドへ行った時って多分アドレナリンと、ロキソニンが効いてたんでしょうね」
ロキソニン?「痛み止め。一発目の遠投の時に“あ、いつもと違う”って思いました。遠投を始める時に、いつも最初は“いててて”となるんですけど、きょうはならなかった。あーこれ、痛み止めかなと思った」
普段より力が入ったというわけじゃなく?「まったくないです。力を入れて投げるより、3人に投げ切りたかったので」
そして「でもやっぱり150キロってすごいっすねえ!」と、まるで初めてプロのピッチャーを間近で見た野球少年みたいな目をして「やっぱプロはすごいわ!体もデカいし、球も速い」と繰り返しました。
次の挑戦は、なんと二刀流?
もう投げないの?と問いかけたら「投げないです」と即答。この挑戦はここで終わり?「もちろん、そうです。次は草野球です」。…えっ、草野球?まだ野球をやるんですね(笑)。
「でもいったん休憩します。トレーニングをしたいんですよ。3か月間、投げるためにトレーニングをまったくしていなかったから。どこも痛くなければやるんですけど、手術をしていてカチカチな状態やのに、もっとカチカチにしたら余計投げられないじゃないですか」
じゃあ、しばらくはトレーニングに専念?「肩も痛いので、ちょっと休めます。でもまたキャッチボールしよな」と、この挑戦を始めてから常にサポートしてくれた土谷友貴也さんに声をかけました。すると土谷さんは「やったー!」と大喜び。また一緒に練習ができますね。
「何なら軟式で。次は軟式の舞台で!これが目標。レベル高いですよ」という一二三投手の言葉に、間髪を入れず「これからはライバルになりますねえ(笑)」と返した土谷さん。そういえば元阪神の山本翔也さん、横山雄哉さんも軟式野球で試合をしていますよね。
そこで一二三投手は「梅田のバッティングセンターのピッチャーが投げるところで、僕153キロ出したことありますよ。周りにギャラリーがいっぱいいた(笑)」と“ぶっちゃけ話”をしたもんでビックリ!それは人も集まるでしょう。俄然、楽しみになってきました。
さらに続きがあります。「草野球でピッチャーもしますけど、バッターもやりたいんですよ。両方。だから軟式でもちょっとバッティングしようかなと」。出た!二刀流の野望。
長い間ずっと残っていた1つの、それもすごく大きな胸のつかえが取り除けたせいか、すごく無邪気な笑顔でした。今度は楽しい野球になる?「そうですね」。穏やかにうなずいた一二三投手です。
感慨ひとしおの土谷さん
さて、前回の記事でもご紹介しましたが、今回も先に名前が出てきた土谷友貴也さんのコメントを書かせていただきます。動画を撮影しながら、もしかして泣いている?と思うほど真剣な眼差しでした。
「夏の甲子園で投げる東海大相模3年の一二三慎太投手を、中学2年だった僕はテレビで見ていた。それ以来ですね」
「名前がコールされた瞬間、興奮と同時に気持ちがこみ上げてきて、泣きそうになるのを我慢しました。ここに至るまでの道のりはとても長くて、たくさんの困難や苦悩がありました。その姿をそばでずっと見てきたので、より一層感慨深かったです」
「どんな逆境に立たされても諦めず、ひたむきに努力し続けてきた結果がこうして実って、本当に嬉しく思います。慎太くんに誘ってもらってサポートさせていただいて、これまで過ごしてきた時間は僕にとってかけがえのない大切な財産となりました。本当に感謝です」
しっかり文章にまとめていただき、ありがとうございます。でもこれでもう、チーム一二三のトライアウト挑戦プロジェクトが終わってしまって、私は土谷さんの“ロス”を心配していたんですけど、今度は一緒に軟式野球ができますね!
「私も一緒に卒業です」とお母さん
一二三投手の母・博子さんにも、その日の帰りにお話を伺うと「私はもう、痛い痛いと苦しんでいる息子をずっと見てきましたので、何とかならへんかなと思っていて…」とおっしゃって、そこで私が先に涙ぐんでしまい、お母さんを泣かせてしまって…すみません!
「やっときょう、どんな球であろうが阪神のユニホームを着させてもらって三振を取れた。大泣きするかなと思ったんですけど、息子が一生懸命投げているのに泣いたらあかんと思って。でもこれで、私も一緒に野球を引退できるなって思いました」
阪神では悔しい気持ちが残ったでしょうね。「毎日肩が痛い、痛いと思いながらも、野手になって頑張ろうとしていたんですけど。次のステップへ行くなというところでケガをしたりしたので、かなり心配しました。でもあの子は何かやってくれると信じて」
退団して6年、ついに投げましたね。「私も手術の時、一緒に行って苦しいとこも見ていますから。やっと、きょうで私も卒業やなっていう感動と、息子に対しては今までよく頑張ったなという思いです。今、岡本さんのお顔を見て、初めて涙が出てきました」。本当にすみません。私が泣かせたようなものです。
「お父さんも陰ながら、ずっと応援してきたので。はい…あの…息子の前で泣いたら、なんで泣くのと言われるから。涙腺が弱いんで私。もう胸がいっぱいになりました。皆さんに来てもらって、幸せな子やなって私も感謝の気持ちでいっぱいです。本当に。ありがとうございました」
アルバイトをしながら、でもやっぱり投げたいという気持ちが消えなかった一二三投手に「中途半端なことをするな!」と叱咤激励したのはお父さんでしたもんね。仙台まで来られなかったものの、きっと動画をご覧になったでしょう。お母さんと同じく、これでいったん“卒業”ですね。
区切りをつけて一歩前へ!
それぞれチームから来季構想外と告げられた選手や、独立リーグやクラブチームでプレーをしながらNPB復帰を目指す選手が、一縷の望みを抱いて受けるトライアウト。
一二三投手は受験を決めてからも「プロは甘くない。現役復帰を考えていない」と繰り返してきました。ただ「自分のこころの整理と、ここまで支えてくれた人たちのため」だと。
NPB経験者なので、そこに立つ資格がもちろんあります。でもいったん野球から離れ、手術をしてもなお痛みの消えない肩で、それをかなえられる選手が何人いるのか。実現するために費やした気力や体力がどれほどだったか。それはもう本人にしかわかりません。
「ピッチャーは一二三慎太、阪神タイガース」
このアナウンスも、それに続いて起こった拍手も、阪神タイガースのユニホームを着てマウンドに立つ姿も、初めて味わうものばかりでした。すごいなあ。公言通り、やり遂げたんだなあ。カメラのレンズを覗きながら、こみ上げてきたのはそんな思いです。
最後に質問したのは“自分のこころの整理”はできたか、ということ。一二三投手は「十分できました!」と答えています。その言葉で、もう1つの目的だった「ここまで支えてくれた方々への恩返し」も、間違いなく果たせたでしょう。本当にお疲れ様でした。
<掲載写真は筆者撮影>