元阪神タイガース・一二三慎太が挑む合同トライアウト
元阪神タイガースの一二三慎太さん(30)が、ことしの『プロ野球12球団合同トライアウト』を受けると公表したのは、7月17日のこと。自身のSNSでこんなふうに記しました。
『プロ野球合同トライアウトに向けて
野球から離れて5年
ピッチャーから離れて11年
肩の手術2回
ピッチャーとして入団したのに
一度もマウンドに立てず
ブランクはあれど、もう一度だけ
マウンドに立ちたかった
この日のためだけに全力を出し切ります』
一二三慎太選手は東海大相模の3年だった2010年、夏の甲子園で準優勝投手となり、同年のドラフト2位で阪神に入団。しかし、高校時代に痛めた右肩のせいでブルペン入りもままならず、1年目の秋に野手へ転向。翌2012年から外野手として試合に出ました。
2013年には持ち前の長打力を生かし、1軍昇格の話も出ていたところで、試合中の守備で左足を骨折。結局、2016年オフに戦力外の通告を受けます。
退団後にすぐ右肩の手術を経て、ルートインBCリーグ・石川の練習生となりリハビリを継続。翌2018年9月に2度目の手術(クリーニング術)を受けました。その後、どうしても「投げたい」という思いがつのり…
というあたりの話は、2019年1月に書いた記事がわかりやすいと思いますので、よかったらご覧ください。→ <元阪神・一二三慎太選手の再挑戦 「もう一度、全力で投げてみたい」>
パーソナルトレーナーへ
それからしばらくご無沙汰だったのですが、昨年6月、パーソナルトレーナーとなった一二三さんから久々の連絡をもらって、梅田にオープンしたばかりのジムで話を聞きました。記事にするタイミングがなかったので、それも合わせてご紹介します。
「阪神時代からトレーニング好きやったし。野球が終わったら、こういう仕事に就きたいなとは思っていたので、そういう業界に携わりたいと思って、会社に入ったんです」
フィットネスジム専門店を経営する会社に入り、2020年9月から仕事を始めました。そこから、毎日スクールに通って仕事の合間に勉強。実技と筆記の試験に合格して、パーソナルトレーナーの資格を取ったとのこと。今は文字通り個人で、パーソナルジムのトレーナー業を続けています。忙しそうですよ。
そういえば金本知憲監督時代、トレーニング指令が出ていたよね?と聞いたら「ありましたよ。1軍も2軍も。トレーナー陣が強制的にやらせている感じだったけど、僕はしっかりやっていました」。朝ウエートなんてのもあった。「そうそう。僕はもう大好きやったので全然!」
2月や11月の安芸キャンプで、最後にウエートルームへ行く時は楽しげだった記憶がありますよ。パンプアップしてきます!とか言って。「あはは!」。そうか~大好きだったのね。この日も体の仕組みやトレーニング、ダイエットについてなど、とても真剣に話してくれました。
コロナに阻まれても消えなかった
でも、彼の中に“投げたい思い”はずっと残っていたのでしょう。2度の手術を経て、右肩はもう投げられるところまで戻っていました。
「この業界で頑張っていきたいとは思いますが、こういうところにいるからこそ、自分のトレーニングもできますし。たまに投げてみたりして。で、いけると思った時に一回行きたいですね。その気持ちはゼロにはなっていないです」
アメリカや台湾へ行ってテストを受けようとしていたとか。「いい球は投げられるけど日によって違う。張りが強かったり。それで高いお金を出して海外へ行ってダメでもいいのかな。そういう気持ちで行ってどうやろ?と思って。それで、いったん機会を見送ったんですよ。2020年の2月くらいに」
ちょうど新型コロナの感染が拡大し始めた頃ですね。
「少し時期をずらそうと思って練習していたら、どんどんコロナがひどくなって、正直ムリだった。トレーニングして投げて1年間費やすと決めていたけど、コロナのせいでそれが2年間になったら、もうムリやなと思って…だからいったん諦めました」
今後、もしタイミングと肩の状態がうまく合えば、また挑戦する?「そうですね、気持ちはゼロではないです。ただしトレーナーの仕事も中途半端にはできないから真剣にやって。それに、ずっと練習につきあってくれる後輩も“いつでもいけますよ!”と言ってくれるので」
まだ消えてはいない?投げて終わりたい気持ち。「そうですね。仕事をやって、いつか自分のベストコンディションの時に。挑戦だけでいい。挑戦して、アカンかったらアカンと思えるので」
ただ投げたい、その思い
その先には何がありますか?「うーん。たとえばクラブチームに入ったとして、じゃあ目標って何だろうと考えた時に、もう一度プロ野球選手に戻ること?それは違うかなと」
この時、最後にした質問は「野球をやりたいのか?それとも“投げたい”のか?」というもので、一二三さんはこう答えました。
「投げたいです。投げたいだけ、ですかね。挑戦せずに終わったので野球がしたいのもそうですけど、挑戦したいっていう気持ちが一番でデカいですね。だから投げたい。いつかは。だって、せっかく140キロそこそこまで戻ってきたので」
あれだけ肩が痛かったのに、まだ投げたい?「…はい。投げたいです」。その感情は、きっとマウンドに立った人にしかわからないものかも。「そうですねえ」
合同トライアウトへ向けて
それから約1年後に、冒頭の“合同トライアウト挑戦”表明となったわけです。1週間前に練習を見て、話をきいてきました!パーソナルトレーナーとしての仕事も忙しく、またグラウンドを借りてとなると大変だったと思いますが、集合してくださった皆さんに感謝です。
聞けばグラウンドに6人も集っての“合同練習”は久々だとか。前の記事で書いた、あの時以来3年9か月ぶりだったようです。暖かい秋の一日で、少し走っただけでもう汗が流れる陽気に、一二三さんも「いい天気ですねえ。最高っすね!」と笑顔。
この日のメンバーは、前出の記事でも書いていますが、少年野球や高校野球など野球が縁でつながった方々。今回は会えなかった元阪神・西田直斗さんもそうです。
土谷友貴也(つちたに ゆきや)さん 26歳
岡本仁(おかもと ひとし)さん 28歳
瀬田翔平(せた しょうへい)さん 29歳
瀬田覇人(せた はると)さん 18歳
そして特別ゲストで翔平さんと覇人さんの父・瀬田靖人(せたやすひと)さん。
一二三さんが「いつも僕の球を受けてくれる後輩」とよく口にする土谷さんと、実はこれが初対面でした。これまでは、たまたま欠席の日に私が行っていたみたいですね。一二三さんと同学年の木下裕揮選手(現・千曲川硬式野球クラブ)の、学童野球時代の後輩にあたります。
土谷さんによれば「最初は木下さんと練習をしていて、木下さんから『慎太が投げていきたいと言うてるので手伝ってくれへん?』という連絡があったんです。そこからですね」とのこと。とても熱く、とても真剣に一二三さんへの思いを語ってくれました。
土谷さんにとって「一生憧れの人」
練習を手伝うようになって、どれくらいですか?と尋ねたら「かれこれ5年になりますかねえ」と思い出すような土谷さん。
「今は週に2~3回、グラウンドを借りたり、室内で投げたり、2人でやっています。すごく勉強になる。僕、小学生に教えているので、体のしくみとか動きとか、いろいろ聞いて。そこは専門ですから。逆に、こういう時はどうする?とか僕に聞いてくれることもありますね」
いつも、どんな時も自分を手伝ってくれる土谷さんに、ぜひ話を聞いてほしいと一二三さんに言われたんですよ。そこまでできるのは何なのでしょう?
「慎太さんが東海大相模で甲子園に出た時、僕は中2。もう本当に甲子園のスターでしたから、まさか会えると思っていなかった。すごいこと!今も会うたびに新鮮な気持ちになりますね。それで、この人をサポートするのは自分しかいないと思いました」
強い決心ですねえ。一二三さんのどこに惹かれますか?「中途半端なことをしない。目標に向かって突き進んでいく。そういうところは今も惹かれていますよ。だから自分も中途半端なことはできないと」
「惹かれるのは人間性。真っすぐでストイックな生きざまもそうです。一生、ずっと憧れの存在です!」
一二三ロスが少し心配…
ところで、一緒に練習を始めた当初は大変だったみたいですね?「そうそう!初めての日は僕ら、キャッチボールもできなかったんですよ」と思い出し笑いの一二三さん。え、キャッチボールができないって…ボールが捕れないってこと?
「お互いに大暴投の連続なんですよ。どっちも、投げたら『あっ!ごめん!』『うわ~すみません!』と謝ってばっかりで。走って拾いにいって、また投げて『ごめん』『すみません』の繰り返し(笑)」。へえ~!捕れないという以前に、投げられないってことですか。
土谷さんも「これは無理やなあって言っていたんです」と苦笑い。でも「徐々によくなってきて、今は僕もキャッチングまでできるようになりました」と胸を張ります。キャッチャーの経験は?「ないです。素人ですよ。左なんで」
この日は現役を退いたものの本職である岡本捕手がいたので、キャッチボールと遠投を見ただけですが、何をおっしゃる!土谷さん。しっかり受けていましたよ。
そうやって練習を手伝っている中で、前出の“中断期間”があったわけで、その時のことを土谷さんは今も鮮明に覚えていると言います。
「海外でチャレンジするのを目標にしていたけど、コロナと肩の不安もあって…。2年くらい前に『諦める』と言ったんです。それを聞いた時、号泣してしまいました。もう見られなくなるんやと思って…」
それからは、投げることもキャッチボールをすることもなかったとか。でも半年ほど過ぎて一二三さんが連絡してきたそうです。「投げたい」と。「超うれしかった!待っていたんですよ、いつかその言葉を聞けると信じていました」
とはいえ、大きかったでしょうね。半年のブランクは。「はい。またゼロからトレーニングや走り込みをして。でも慎太さんはストイックに、やると決めたらとことん!その姿もリスペクトしています」
そして「トライアウトを受けるという連絡は一番にもらいました。もちろん一緒に行きます!」と目をキラキラ輝かせる土谷さん。しっかり目に焼きつけてください。そのあとがどうなるのか…ちょっと心配になってきますけど。
打者へ投げたのは12年ぶり
なお、この日は一二三さんにとって高校3年の夏以来、12年ぶりの“投球”でした。コロナ前の2019年11月の際はキャッチボールの延長みたいなもの。でも今回はトライアウトのシート打撃と同じく、ボールカウント1-1からで、走者も想定して行いました。
打者も、ちゃんと右打ちと左打ちの両方いたんですよね。それには一二三さんも「左右で立ってくれて本当にありがたかった」と感謝しています。なお、打者3人(計11打席)に60球近く投げて被安打は0だった、ということはしっかり書いておきますね。
そのあとはノックを打ってもらい、みんなで守備練習。一二三さんも捕球と送球、ベースカバーなどの動作を行いました。
ここで、“対戦した打者”のご意見もご紹介しておきましょう。まず左打ちの瀬田翔平さんは「怖かったです!スライダーの曲がりが遅かった。手元で曲がる。外の真っすぐがメッチャ遠い。マジで手が出ない」という感想。
右打ちの岡本仁さんは「イメージしていた大きな変化でなく、フォークみたいな球ですね。真っすぐやと思って手が出てしまった。腕が振れているから、そう感じたのかも」とスライダーを評価。そして2人とも「この時期に、この短い期間で、と考えたら上出来」と口を揃えます。
同じく右の瀬田覇人さんは「僕は真っすぐがイヤでした。手元でガッと上がってくる感じがして」という感想。そういえば覇人さん、いきなりデッドボールがありましたね。うあっ!と思わず声が出ていたけど、どこに当たった?「おしりです(笑)。大丈夫です」
今は高校3年で野球部は引退していますが、春からは大学へ進んで野球を続けるそうです。一緒に練習して勉強になったかな?「はいっ!」。当てられたり、未経験のキャッチャーをさせられたりしたけど、すごく楽しかったみたいで何より。
申請してくれた阪神球団に感謝
では最後に、一二三さん自身のコメントです。冒頭に書いた通り、本人が『もう一度だけマウンドに立ちたかった』と述べてはいるものの、改めて合同トライアウトを受ける目的を聞いてみたところ、すごく簡潔な言葉が返ってきました。
「自分のこころの整理」
「ここまで手伝ってくれた人のために。自分が前へ進むために」
それから、受験に当たって「一番に思うのは、トライアウト受験の機会を与えてくれた阪神タイガースへの感謝です。タイガースのユニホームを着て出るのは無理かなと思っていたので」と言っています。
合同トライアウトの参加については“最終所属球団”が申請をすることになっています。一二三さんの場合はルートインBCリーグ・石川が最後ではありますが、練習生という形だったので所属したという点では阪神なんですね。
よってユニホームも阪神のもの。背番号は36か123かを尋ねたら「投手として参加するので36を着ます」と言っていました。その点でも阪神球団に感謝しつつ、36のタテジマをじっくり見ましょう。
「林威助さんに話を聞いて台湾とか、他にもアメリカとか思っていたけど、よくよく考えたら僕はトライアウトを受けられるんやん!と気づいた。ただ、その思いと裏腹に肩が全然ついてこなかったんですけど、ことし30歳になったし、ここしかないなと決心しました」
また「途中で挫折した人や、ケガで諦めた人がいる。僕も肩を2回手術してブランクもあり、また所属チームがなくても、ここまで投げられるというのを見てほしい」ということも話していた一二三さん。
阪神では6年間、野手として過ごしていたので、ピッチャーの投げ方とは全然違い、肩も痛かったそうです。「毎日が試行錯誤。痛くない投げ方を探っていた」状況。今も変わりません。トライアウト当日は朝晩が冷え込む時期で、しかも寒い仙台。そこが気がかりです。
いざ、ラストマウンドへ!
「トライアウトを受けて、もし声がかかったらどうする?なんて聞く人がいるけど、はっきり言えます。プロは甘くない!現役に戻るなんて無理。わかりますよ。相当なもんですから」と一二三さんは言い切ります。
さらにもう一度、「プロは甘くないです!」と繰り返しました。力を込めて。
合同トライアウトを“思い出作り”と表現し、人生を賭けて受験する選手に失礼だという意見を聞いたことがあります。でも、それはちょっと違うんじゃないかな、とも思いました。実際はもっと、もっと切実なのかもしれません。
プロ野球人生最後の打席、最後のマウンドを自ら決められる選手はほんのわずかです。NPBを去ること、またはユニホームを脱ぐことを決意した選手にとって、胸に抱えた未練を断ち切り、前へ進むための儀式とも言えるでしょう。
この夏に放送された綾野剛さん主演のドラマ『オールドルーキー』で、奇しくもプロ野球選手が自身の引退試合と形づけて、トライアウトを受けるストーリーがありました。
そういう気持ちで臨む選手がいてもいいのではないかと、ユニホームを着てグラウンドに別れを告げる区切りとしてもいいのではないかと、個人的には思います。
だから一二三さんには、全力で腕を振って、ラストマウンドをしっかり踏みしめてきてほしいと願うのみ!自分のために、みんなのために。
秋の夕方、少し木々が色づき始めたグラウンドを去る時に一二三さんがポツリとつぶやきました。
「肩が痛くなくて、あのままピッチャーをやっていたら、どうなったやろ…と思うことはありますね」
※11月8日に行われた合同トライアウトでの取材記事は、こちらからでもご覧いただけます。→ 球場に流れた最初で最後のアナウンス「ピッチャーは一二三慎太、阪神タイガース」
<掲載写真は筆者撮影>