承久の乱 宇治川を渡ろうとする北条泰時を阻止した武士の計略
承久3年(1221)6月14日、承久の乱における宇治川での戦い。鎌倉幕府軍の大将・北条泰時は、官軍(後鳥羽上皇方)を撃破するため、自らも宇治川を渡河することを決意。馬を走らせます。
その時、泰時の轡(くつわ。馬の口に取り付け、手綱をつけて馬を御する馬具)を取ろうと、駆け出した武士がおりました。それは、信濃国の武士・春日貞幸です。これより以前、宇治川渡河の際に敵の矢が馬に当たり、水中に沈むも、一命をとりとめた武士です。
やっとの思いで陸に上がり、意識が朦朧としている状態の貞幸に対し、泰時は自らお灸を据えて、介抱していました。
その貞幸が今回、泰時の馬の轡を掴もうと駆け出したのは、泰時を引き止めるためでした。ここで泰時が前戦に出れば、落命してしまうかもしれない。それは何としても避けなければという想いが、貞幸にはあったのかもしれません。また、自らを介抱してくれた泰時に報いたいとの感情もあったと私は考えています。
さて、泰時の馬の轡を掴んだのは良いのですが、それを結わえる場所がありません。このままでは、泰時は前進してしまう。そう思った貞幸は「甲冑を着たままで、川を渡れば、大概は沈んでしまいましょう。早く鎧を脱いでください」と泰時に話しかけるのでした。
素直に貞幸の言葉に従い、田の畔で、鎧を脱ぐ泰時。その隙に貞幸は、泰時の乗馬を引いていき、どこかに隠してしまったのです。貞幸は泰時を巧く騙して、その場に留まらせたのでした。