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「ウクライナ危機の収束」に関する四つの懸念

六辻彰二国際政治学者

「イスラム国」が関心を集める一方、やはり世界全体にとっての危機と呼べるのが、ウクライナ危機です。

ウクライナ東部のドネツク州では、2014年5月、親ロシア派の主導で住民投票が行われ、「ドネツク自治共和国」としての独立を宣言。欧米寄りのポロシェンコ・ウクライナ大統領は、親ロ派がロシアから物心両面の支援を得ていると批判し、これを「国家分裂をもたらすテロリスト」と指定。ウクライナ軍と親ロ派の衝突に至りました。

ウクライナ政府と親ロシア派の間では9月に停戦合意が実現しました。しかし、停戦合意は相互に守られず、1月にはOSCE(欧州安全保障協力機構)がウクライナでの9ヵ月間の戦闘で9,000人以上が死亡したと発表。年明けから戦闘が激化するなか、1月24日には軍事上の要衝である港湾都市マリウポリが親ロ派に占領されたのです。

ウクライナ政府はロシア軍が国境を超えていると主張しています。これに対して、2月9日にプーチン大統領は「一部のロシア人のボランティア(つまりロシア政府が組織的に関与するものでない)」と否定したうえで、ウクライナ安定のための最優先事項として「即時停戦(つまりウクライナ軍によるドネツク攻撃の中止)」をあげました。

このような状況のもとで2月12日、ドイツのメルケル首相とフランスのオランド大統領の仲介により、ロシアのプーチン大統領、ウクライナのポロシェンコ大統領がベラルーシのミンスクで会談。16時間に及ぶ協議の末、15日0時からの停戦、重火器を停戦ラインから引き離して緩衝地帯を設けること、OSCEによる停戦監視、ドネツクでの住民投票実施、外国部隊や傭兵の退去、戦闘に関する恩赦など13項目が合意されました。

これによって、昨年4月から続いたドネツクでの戦闘が収束することが期待されますが、これらの内容は昨年9月に、やはりミンスクで、ウクライナ政府と親ロシア派の間で結ばれた合意内容と、ほとんど同じです。仲介したメルケル首相とオランド大統領は、四者会談後の共同発表で、もし親ロシア派やロシアがこの合意を尊重しない場合は、EUとしてさらなる制裁を行うと述べました。そこからは、昨年9月の繰り返しになることへの懸念がうかがえます。米国政府も、四者会談後も戦闘が続いていることに触れ、懸念を示しています。

今回の四者会談は、昨年4月から続く戦闘が停止するかの分岐点といえます。ただし、四者合意の成立をもってウクライナ危機が収束するかを、楽観視することはできません。そこには、4つの懸念があります。

親ロシア派の暴走

第一に、昨年5月に「ドネツク人民共和国」としてウクライナからの独立を宣言した親ロシア派が、四者合意に従うかが不透明なことです。

昨年9月と異なり、今回の会合ではロシアがウクライナおよび独仏と協議しました。四者会談の終了後、ポロシェンコ大統領とプーチン大統領は、親ロシア派との間でミンスク協定実施のためのロードマップに合意したと発表しました。この経緯は、今回の実質的な交渉者が親ロシア派でなく、ロシア政府だったことを示しています。モスクワが親ロシア派の後ろ盾になっていることに鑑みれば、これは驚くことではありません。とはいえ、「後ろ盾であること」と「全面的にコントロールできること」は同義ではありません。

ロシアと親ロシア派が連動して動いてきたことは確かでしょうが、後者が前者の管理下にあったかは疑問です。2014年7月にウクライナ政府が公表した、マレーシア航空機の撃墜に関する親ロシア派とロシア軍情報機関将校との通信記録が本物だったとすれば、後者が前者にミサイルを提供していたにせよ、それで民間機まで撃ち落とすとは思っていなかったとみた方がいいでしょう。

つまり、ロシアからみて親ロシア派は、ウクライナに影響力を確保するために必要な「手駒」ですが、何をしでかすか分からない「跳ね馬」でもあります。逆に、親ロシア派からみてロシアは「必要な物資や人員を提供してくれるスポンサー」ではありますが、「ドネツク人民共和国」の独立宣言後にロシア編入を求めてきたにもかかわらず、クリミアと異なり、その要望を叶えてくれない「冷たい親分」でもあります。

親ロシア派にとっての最大のベネフィットは、「ロシア編入」です。しかし、今回の合意がスムーズに進んだ場合、ドネツク一帯に「高度な自治」が認められたとしても、それがロシアの一部になることは、少なくとも文言からは想定されません。したがって、親ロシア派があくまで最大のベネフィットを求める場合、ロシアをドネツク編入に向かわざるを得ない状況に引っ張り込む必要があります。それにとっては、「停戦」よりむしろ、「戦闘の拡大による周辺地域の混乱」の方が好都合です。

ウクライナ政府の焦燥

第二に、いずれの当事者にとっても妥協せざるを得ないのは交渉ごとの常ですが、ウクライナ政府にとっても、この四者合意は必ずしも望ましくない要素があることです。

昨年5月の選挙で当選したウクライナのポロシェンコ大統領は、2月に亡命したヤヌコーヴィチ前大統領と対照的に、欧米寄りのスタンスが鮮明です。ウクライナ議会は9月にEUとの政治・経済関係を強化する連合協定を批准し、将来的なEU加盟への道を開きました。さらに12月には、「いかなる軍事同盟にも加わらず、いかなる戦争にも参加しない」ことを定めた法律の廃止を決定することで、NATO加盟の動きも加速させてきました

以前に述べたように、ウクライナ危機は欧米諸国とロシアの間で行われた、露骨なまでの勢力圏争いの果てに発生しました。1989年の冷戦終結にあたり、米国は「NATOの東方拡大がない」とソ連に伝えましたが、その後中東欧諸国からの要望もあり、なし崩し的にNATOおよびEUの東方拡大が進められました。そのなかで最大の焦点であり続けたのは、旧ソ連圏でロシアに次ぐ経済、人口規模をもち、しかもロシアに隣接するウクライナでした。そのため、NATOを事実上掌握する米国は、ロシアを刺激することを恐れ、ウクライナの加盟申請を事実上断ってきた経緯があります。

これに鑑みれば、ウクライナ危機が顕在化した状況は、ウクライナ政府あるいは親欧米派にとって、特に米国の関心をこの地に引き付け、これまで断られ続けてきたNATO加盟を一気に推し進めるチャンスといえます。停戦が実現すれば、この親欧米派の悲願が遠のく可能性が大きいといえるでしょう。

さらに、ポロシェンコ政権あるいは親欧米派にとって、今回の四者合意は、将来的にドネツク一帯の管理権を放棄することになりかねないものです。ポロシェンコ大統領はドネツクの親ロシア派を「国家を分裂させるテロリスト」と位置づけ、「ウクライナの一体性」を強調してきました。さらに、ロシア語系住民が求めてきたロシア語の公用語化や、連邦制の導入にも消極的な姿勢を示し続けてきました。今回の合意の方向性は、停戦の後に、東部にこれまで以上の自治権を付与するものです。その意味で、四者合意の順守は、親ロシア派にとってだけでなく、ウクライナ政府にとっても、必ずしも最大のベネフィットを約束するものではありません。

昨年9月のミンスク協定後のウクライナ政府は、「相手が戦闘を停止しない」という理由で、自らも停戦しない状態を続けさせました。その背景には、ロシアや親ロシア派への不信感があったことも否定できませんが、他方で親ロシア派が自らの交渉力(バーゲニングパワー)を強化するためにロシアを引き入れることに熱心だったのと同様に、ポロシェンコ政権が危機をテコに欧米諸国との関係強化を強化してきたことも確かです。その意味で、欧米諸国がいかにウクライナ政府を取り扱うかも、危機の収束において重要な要素となるでしょう。

「ミュンヘン宥和」の再来はあるか

第三に、第二の要素の最後で触れた、欧米諸国のウクライナ危機への対応に関して述べると、今後の状況次第では、欧米諸国の関与がより本格化するとみられることです。

ミンスクでの四者会談の前から、欧米諸国なかでも米英圏では頻繁に、「第二次世界大戦前夜との類似性」が語られてきました。それは特に、1938年9月の「ミュンヘン宥和」を念頭に置いたものです。

第一次世界大戦後の「民族自決」の流れのなか、1918年にチェコスロバキアは独立しました。とはいえ、もともとチェコ人(46%)とスロバキア人(13%)が別の民族で、ドイツ人(28%)なども数多く暮らす多民族国家として、同国は独立したのです。しかし、独立を主導したチェコ人とスロバキア人が政治的、経済的に優位を占めるなか、ズデーテン地方のドイツ人たちは不満を募らせ、平等と自治権の拡大、さらにはドイツとの一体化を求めるようになります。

これを加熱させたのが、ドイツにおけるナチス政権の樹立(1933)でした。「新たな生存圏」の確立を叫ぶヒトラーのもと、ナチスはズデーテンのドイツ人をバックアップし、チェコスロバキア政府に対して、この地の割譲を求めたのです。それまでに、第一次世界大戦後に国際連盟の統治下におかれたフランスとの国境に位置するザール地方を「住民投票の結果」に基づき併合(1935.1)し、ラインラント非武装地帯への進駐(1936.3)やオーストリア併合(1938.3)を推し進めていたナチスに対して、英仏は危機感を強めました。また、チェコスロバキア政府も英仏に支援を求めました。

しかし、「ズデーテン地方の割譲がドイツの最後の要求である」というヒトラーの誓約もあり、ドイツとの正面衝突を避けるため、チェンバレン英首相とダラディエ仏首相は1938年9月29日の独伊とのミュンヘン会談でズデーテン地方のドイツ割譲が決まりました。チェコスロバキアを犠牲にしてでも英仏はドイツとの開戦を避けたわけですが、これは結果的にドイツを勢いづかせ、その後のチェコスロバキア侵攻とドイツ保護領ベーメン・メーレンの創設(1939.3)、ポーランド攻撃(1939.5)へと続き、第二次世界大戦が幕を開けたのです

ミュンヘン宥和は「強圧的な外交に対して宥和的に臨むと、相手を勢いづかせ、かえって思わしくない結果を招く」という教訓を残したといえます。これは特に米英圏で根深く、例えば1962年のキューバ危機における米国政府の意思決定過程を考察した歴史的名著『決定の本質』においてG.アリソンは、当時の米国大統領J.F.ケネディが学生時代に書いた論文で「ミュンヘン宥和」を批判的に取り上げていたことを紹介しています。米国の眼前にあるキューバにソ連がミサイルを搬入したことで発生したキューバ危機では、やはり強圧的な態度を示すフルシチョフに対して、ケネディは外交的な働きかけを続ける一方、海上封鎖を敷いてソ連船のキューバ接近を阻み、一貫して譲歩しない姿勢を示しました。これが最終的に功を奏し、ソ連船は引き上げ、核戦争の危機は回避されたのです。

現代のウクライナ危機に関していうと、強圧的なロシアに対して譲歩せず、ウクライナに武器を提供すべきという論調は、米国のなかでも主に共和党が多数派を占める連邦議会で多く聞かれるものです。なかでも、2008年大統領選挙でオバマ大統領と争い、かつてイラク攻撃を主導したいわゆるネオコンにも近いジョン・マケイン上院議員は、ウクライナ支援の急先鋒になっています。これに対して、四者会談を実現させた独仏も、合意が順守されない場合は制裁を強化する方針を示しており、両者の主導のもとにEUも同様の方針を示していますが、武器支援については触れていません。

ウクライナへの武器供与は、2月初旬から米国で取りざたされてきました。これを受けて、戦闘の拡大を恐れた独仏が急ピッチで会談にこぎつけた経緯があります。四者会談直前の2月10日、オバマ大統領はメルケル首相との会談で、四者会談とその合意の実施を注視する意向を示しましたが、仮に停戦合意が守られなかった場合ウクライナへの武器供与の可能性を否定しませんでした

オバマ大統領からみれば、独仏の調停によって共和党強硬派を抑えた手前、四者会談の成果が出なかった場合、今度こそ武器供与に向かわざるを得ません。米国の軍事支援は、ウクライナ政府が求めている、対戦車ミサイルなどの「防衛用兵器」が中心とみられますが、NATO加盟国でないばかりか、そのNATO加盟をロシアが最も警戒していたウクライナにこのタイミングで武器提供が行われるとすれば、それは米国政府がウクライナ危機に本格的に関与する先ぶれとなり得ます。

「押せば押し返す」キープレイヤー:ロシア

第四に、そして最後に、四者会談後も、ウクライナ危機が始まって以来の、ロシアがカギを握る状況に大きな変化がないことです。

少なくとも、ロシアがドネツクに影響力を保持し続けようとするほどの熱意を、欧米諸国はウクライナに対してもっておらず、それが故にこれまで前者が軍事力を背景にした強圧的な外交を展開しても、後者は経済制裁以上の対応をとってこなかったといえます。言い換えれば、万が一、衝突が大規模になったとしてもモスクワは一歩も引かない姿勢を示し続けることで、欧米諸国に微温的な態度をとらせてきたといえます。

その一方で、損得勘定あるいは合理的な判断でいえば、原油価格が下落するなか、欧米諸国からの経済制裁が続く状況は、ロシアにとって大きな損失です。また、欧米諸国との軍事的な緊張がエスカレートすることが、ロシアにとっても好ましくないことは、言うまでもありません。さらに、ロシアにとって一番大きなベネフィットである、ウクライナ全域がロシアの勢力圏にとどまることは、現在のポロシェンコ政権が欧米寄りである以上、ほぼ不可能です。これに鑑みれば、停戦を実現し、そのラインに沿って東部住民の生活圏を定め、そのうえでウクライナ政府に地方分権を定めた憲法の修正を迫ることで、ウクライナ全域が欧米圏に組み込まれることを回避することが、ロシアにとって、コストパフォーマンスという意味で最良の選択肢といえるでしょう。

ただし、ロシアにとって、冷戦終結後の25年間、欧米諸国なかでも米国主導の国際秩序が形成され、自らが周辺的な地位に甘んじざるを得なかったことは、屈辱以外の何物でもありません。さらに、損得計算から言えば、このタイミングこそドネツクの親ロシア派の見切り時といえますが、ウクライナの東半分を自らの勢力圏にとどめようとする「大国」の立場は、それを困難にする要因といえるでしょう。親ロシア派を全く見限ってしまえば、ウクライナへの影響力を失うことにもなります。また、現実に親ロシア派をロシア政府がどの程度コントロールできるかは未知数です。これに加えて、経済状況が悪化するなか、プーチン大統領にとって欧米諸国やウクライナとの対決は、国内の支持を集める手段でもあります。これらに鑑みれば、仮に戦火が収まらず、欧米諸国がウクライナへの軍事援助を拡大させたとしても、それでロシアに翻意を促せるとは限らず、かえって火に油を注ぐことにもなり得ます。キューバ危機の際の、イデオロギー的には強固でも官僚的・合理的な判断に基づいていたソ連と、民族主義的な熱情を政治的に利用する現代のロシアを、同様に考えることはできません。

こうしてウクライナ政府、親ロシア派、米国、EU、ロシアのそれぞれの立場からみたとき、そこにはウクライナ危機そのものだけでなく、その終結にあたっての利害の不一致も見て取れます。

いずれの主体にとっても戦闘の長期化や拡大は好ましくありませんが、他方で戦闘が続くことでウクライナ政府や親ロシア派が国内の対立において、少しでも自らに有利な条件を作ろうとしてきたこともまた確かです。勢力圏争いのなかでウクライナの奪い合いを展開してきた欧米とロシアも、ほぼ同様です。

今回の四者会談は、それぞれの主体が、いわば「少しでも自らに有利な形で終結させる」ことを目指す段階に至ったものといえます。相互不信が根深いなかでは、「自らに有利な形で終結させる」ために「戦闘を続ける」という方針が生まれる可能性も排除できません。したがって、四者会談後のウクライナは、戦闘が停止するか、むしろ拡大するかの分岐点にあるといえるでしょう。

国際政治学者

博士(国際関係)。横浜市立大学、明治学院大学、拓殖大学などで教鞭をとる。アフリカをメインフィールドに、国際情勢を幅広く調査・研究中。最新刊に『終わりなき戦争紛争の100年史』(さくら舎)。その他、『21世紀の中東・アフリカ世界』(芦書房)、『世界の独裁者』(幻冬社)、『イスラム 敵の論理 味方の理由』(さくら舎)、『日本の「水」が危ない』(ベストセラーズ)など。

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