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『新宿野戦病院』期待値は高かった第10話のモヤモヤ 突然キス&自転車蹴り倒しのとうとつ感

武井保之ライター, 編集者
フジテレビ『新宿野戦病院』公式サイトより

『新宿野戦病院』(フジテレビ系)の第10話が放送された。世界中が再び未知のウイルスの脅威にさらされる事態になったこの回は、これまでとは一転する緊迫した空気のなか、ふだんはにぎやかで明るい医療従事者たちがコロナ禍を経た次なる緊急事態に向き合う姿が描かれた。

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再び未知のウイルス感染症の脅威にさらされる世界を描く

未知のウイルスによる危険な感染症が世界中で再び流行する。その日本人の最初の感染者が、アメリカ帰りの歌舞伎町ホストと報道されると、ウイルスはいつのまにか歌舞伎町ウイルスという俗称で呼ばれるようになり、歌舞伎町は苛烈な風評被害を受ける。同時に、感染症は国内に広がっていく。

そんななか、歌舞伎町の聖まごころ病院の医師たちを中心にした医療従事者の視点から、行き過ぎた感染防止対策や、医療機関への国の補助金の実効性などにも踏み込みながら、アメリカとの比較も含めてコロナ禍の日本社会のさまざまな動きのおかしな点を指摘した。

そのなかで、ヨウコ・ニシ・フリーマン(小池栄子)の立ち居振る舞いや精神性のすべてに、次なる感染症による緊急事態が起きた際にとるべき言動のひとつの見本が示されていた。

感情を爆発させた享と舞のとうとつ感

一方、気になる点もいくつかあった。

ひとつは、聖まごころ病院の屋上での医師・高峰享(仲野太賀)からヨウコへの突然のキス。享は気づかぬうちに感染した新ウイルスに無症状で抗体を得て“最強”の体と精神になった一方、自身がうつした父のウイルス感染症が重症化し、テンションがおかしくなった。そんなタイミングのキスではあったが、これまで医師としての敬意や好意くらいしか感じさせていなかったヨウコに対して「なぜここでキス?」というとうとつ感が拭えない。

しかも、その直前には、マスク着用で屋上に集まった医師たちに対して「風がある屋上でのマスクは不要。感染防止対策を自分の頭で考えることを放棄するな」とヨウコに言い詰められていた。そんななかでの突然の濃厚接触だった。そして、そのキスに驚いたヨウコから享は「いまのはセクハラじゃろ」と軽く言われる。

そのあとの後半には、危篤の父の転院先が見つからず気落ちする享へ、ヨウコから「(転院先が)見つかったあと、セクハラで訴えるけん」と彼を元気づけるように「セクハラ」をかぶせて和ませるシーンがあった。しかし、それだけのためのキスではないだろう。最終回でこのキスがつながる結末があるはず。

もうひとつは、NPO法人『Not Alone』の代表・南舞(橋本愛)。大久保公園周辺のパパ活女子と彼女たちを買い求める男性を「頭の悪そうな女とキモいおっさん」と呼び、彼らが誰ひとりいない景色に「ムカつく」とキレる。

自分たちがいままでさんざん声をかけてもパパ活女子は減らなかったのに、新ウイルスが流行ったら辞めるのかよ、と。そして、「うちらがやってきたことってなんだったの。どいつもこいつも、しょうもない」と放置自転車を激しく蹴り倒す。

その短絡的な思考と暴力的な行動に思わず鼻白んでしまう。新ウイルスが蔓延し、非常事態宣言が出されれば、どこにも人はいなくなる。大久保公園の彼らに限ったことではない。誰もが自分の命を第一にするだろう。

また、そこに一時的にパパ活女子がいなくなったとしても、根本的な解決にはなっておらず、事態が収束すれば彼らはいずれまた戻ってくる。『Not Alone』の地道な活動は決してムダではない。

そうした考えはない、弱者をサポートする団体の代表のとうとつなキレ姿は、ひと昔前のテレビドラマの主人公の屈折を思わせた。

ただ、これも最終話へ向けたフリかもしれない。あえて、これまでの舞の行動を自己満足や承認欲求のためだったと視聴者に思わせておいて、最終話での感動エピソードにつなげるフックになっているのかもしれない。

不平等も描くことで混沌とした現実社会を映し出す

また、ウイルス感染したホームレスは、自身が運び込まれた聖まごころ病院の隣のベッドで、路上の自分たちを卑下していた院長の弟・高峰啓三(生瀬勝久)が症状が進んで苦しむ姿に「病気に対して人間だれしも平等」と叫ぶ。

しかし同時に、それは上部だけの平等ではないかとも感じさせられた。医師の享は、危篤の父のためのエクモ手配に必死になり、依頼先の病院の電話相手を怒鳴りつけ、「補助金をかすめ取ろうとしてるんじゃないのか」と罵声を浴びせる。

聖まごころ病院の同僚たちも、享の父であり病院関係者でもある啓三をなんとか助けたいと願う。当たり前の感情ではあるのだが、客観視すればそこには他者との歴然とした差がある。あえて平等と不平等を同時に描くことで、混沌とした現実社会を映し出しているのだろう。

そもそも社会そのものが不平等や格差を内包して成り立っている。公平であるべきとは誰もが思っても、社会全体の完全なる平等は現実的ではない。平等は社会それぞれのそうあるべき場所や状況においてしっかり実現されるべき。そのひとつが弱者を守る病院。そういうことを本作は訴え、そのために活動する人たちにエールを送っているのかもしれない。

未知のウイルスの再来をドラマで描く意義を最終話に期待

世界が再び未知のウイルスの脅威にさらされる事態をドラマで描くことには意義がある。そこには、コロナ禍を経て、未知のウイルスと命をかけて闘う医療従事者と、彼らとともに必死に感染症に立ち向かう患者やその家族たちの姿がある。

コロナ禍の苦しみも喜びも絶望も忘れ去られてはならないもの。未来がまったく見えなかった当時の社会の対応を振り返ることにより見えてくる学びや、次に起きたときのための備えになることがあるだろう。

そこに踏み込んだ本作の第10話への期待は高かった。ただ、コロナ禍を振り返る有意義な描写があった一方、その視点と演出の一部には前述のようなモヤモヤが残った。しかし、9月11日放送の最終話では、これまでの溜まりに溜まったモヤモヤをスッキリさせてくれる、笑いと感動のラストが待っているに違いない。

そして、これまでのとりとめなくチグハグにも感じられたエピソードの意味とそこに込めた思いを総括した、いまの社会へのメッセージを残してくれるはず。そんな最終話に注目したい。

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ライター, 編集者

音楽ビジネス週刊誌、芸能ニュースWEBメディア、米映画専門紙日本版WEBメディア、通信ネットワーク専門誌などの編集者を経てフリーランスの編集者、ライターとして活動中。映画、テレビ、音楽、お笑い、エンタメビジネスを中心にエンタテインメントシーンのトレンドを取材、分析、執筆する。takeiy@ymail.ne.jp

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