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「ブラック・ウィドウ」配信大ヒットの裏にある米国メディアの爆速ストリーミングシフト

境治コピーライター/メディアコンサルタント
写真は「ネットフリックスvsディズニー」表紙/筆者撮影

7月12日のRealSoundの記事に、私は驚愕した。

『ブラック・ウィドウ』配信で6000万ドル超え 初のプレミアアクセス興収発表が意味するもの

延期に次ぐ延期でようやく公開されたディズニー映画「ブラック・ウィドウ」がこの週末に配信だけで6000万ドルを稼いだというのだ。劇場での興行収入が全世界で1億5880万ドルで、合計すると2億1000万ドル以上という金額に達したことになる。ついにストリーミング時代が始まった、と私は受け止めた。今後の映画をはじめとする映像コンテンツは、既存の経路に配信が加わることでハイブリッド流通になるのだ。コロナ禍で長らくアメリカの映画市場は大都市で機能せず、死んだも同然だった。それが蘇っただけでなく、配信という武器も手にした新しい姿で再生したのだ。

2007年にNetflixがそれまでのDVD郵送から配信中心に事業を大きくシフトして以来、アメリカの、そして世界の映像コンテンツ市場全体が徐々に配信に重心を移しつつあった。ディズニーをはじめとする旧来のメディアコングロマリットは当初、それを拒んでいるように見えた。だがディズニーが2019年に配信サービス「ディズニープラス」をスタートさせ、配信"にも"力を入れはじめていた。

3月に出版された「ネットフリックスvsディズニー」の結果が現実に

そこにコロナ禍がやってきた。もはや配信”にも”どころか、配信"こそ"を今後のコンテンツ流通の中心に据えなければならない。3月に出版された大原通郎氏の著作「ネットフリックスvsディズニー」には、この2社を中心にアメリカメディアが爆速でストリーミングにシフトしている様子を克明にレポートしていた。

熟読してそのあまりの勢いに驚いていたところに「ブラック・ウィドウ」の配信収入6000万ドルのニュースが飛び込んできたのだ。本に書かれていたことを現実に目の当たりにした感がある。たった2年間でアメリカのコンテンツ業界の老舗であるディズニーが、ベンチャー企業もびっくりの速度で改革を成し遂げ、DXにより自らを改造。コロナ禍がまだ完全に止んでもないのに具体的な成果を見せつけたのだ。

しかもまだ公開最初の週末の数字でしかない。この先どこまで伸びるかはまた追っていきたいが、最終的な収入のうち配信が何割を占めるかにこそ注目したい。現状は全体の2億1000万ドルのうち6000万ドルだから3割には満たない。だが筆者の読みでは4割近くの比率に達するのではないかと見ている。

いずれにせよ、今後の映画ビジネスにとって配信が欠かせない経路となり、作品にもよるが劇場公開と同時に配信でも見せる、という新しい常識が来るのではないだろうか。

一昔前の映画業界では「ウィンドウ戦略」と称して、劇場→DVD→有料テレビ→無料テレビといった順番で見る経路をコントロールしてきた。いわば”じらす”ことで収益を最大化するものだ。ネット時代になるまでは当たり前の考え方だった。

だが配信が普及するに連れてむしろ見せる場があれば見せていく考え方にシフトしていた。「オムニチャネル戦略」と呼ぶ人もいて、出せるプラットフォームに一斉に開放し、それぞれのプラットフォームで視聴を獲得する考え方だ。

実はアニメ「鬼滅の刃」は当初、キー局を除いた地上波テレビ局で放送し、すぐさまあらゆる配信サービスで公開していった。そうやってファンを徐々に増やしたところで公開した映画が大ヒットしたのだ。オムニチャネル戦略の成功例と言ってもいい。

それまでの出し渋ってじらすやり方は機会を逃すことになりかねない。「ブラック・ウィドウ」も出し渋ることなく配信で同時公開することで、相乗的な盛り上げに成功したのだ。

ローカル局もストリーミングシフトで存在感高める

「ネットフリックスvsディズニー」に書かれていたことでもうひとつ注目したのが、テレビ局のストリーミングシフトだ。3大ネットワークの一角であるCBSは2014年にネットで無料放送サービスCBSNを始めて3年で黒字化した。

特に力を入れたのがローカルニュースで、ネットを利用して国内の系列局と連携。きめ細かなローカルニュースを24時間提供できる仕組みを作り上げたという。昨年のBLM(BlackLivesMatter)の盛り上がりにも寄与したようだ。

面白いのが、アメリカには「ステーショングループ」と呼ばれる企業が、いくつものローカル局を所有していることだ。ローカル局は単独では小さな存在だが、そうやってつながることで大手ネットワークやGAFAとも拮抗する勢力になろうとしている。

それも、各ローカル局が個別にネットでのニュース配信に力を入れてそれが若い層にも支持されていることが背景にあるようだ。

つまりアメリカではディズニーのような巨大企業だけでなく、小さなローカル局も含めてストリーミングシフトによって自らを改造しているのだ。すべてが成功と言えるかはこれからだろうが、「ブラック・ウィドウ」のような成功は今後大きさや形を変えて様々なメディアやコンテンツ業界で起こるのだろう。変化する覚悟を決めた企業は強い。

日本は手遅れか、これからでも間に合うのか

さて我が国の業界を見ると、アメリカのダイナミックさと比べて動きが遅く見える。もちろん日本でもテレビ局がTVerに力を入れ始めたし利用者も増えている。また噂レベルだが秋にはキー局が揃って同時配信を始めるようだ。そのための法整備なども急に進み始めてはいる。

だがディズニーがたった2年で劇的に変化し、「ブラック・ウィドウ」で見事な着地を決めたのを見ると、日本では無理としか思えない。配信へのシフトは私を含めて様々な人々がずいぶん前から主張してきたことであり、そちらに進むべきであることは誰も反対しなかった。だがなぜか進まないのだ。

ましてや今は、コロナ禍で事業的に大きな痛手を追っているのだから、もう変わらざるをえない。変わらないと10年後はないという局面のはずだが、なんとも鈍いのだ。変える提案を誰かがすると、そうは言ってもこんなルールがあるしとか、あの人がどう言うかとか、ネガティブチェックで会議が終わると聞く。

「ネットフリックスvsディズニー」で痛感したのは、アメリカの企業では目まぐるしくトップが変わることだ。会社を変えるにはトップを変える。当たり前だろう。ところが日本の企業はメディアに限らずだがトップは変わらない。変わっても「次の人」に交替するだけで、まったく違うところから新しいトップがやって来ることはない。

それでは変わらないのだろう。とはいえ、日本流の落とし所は必ずあるはずだ。どう変わるのか、そのためにどうすればいいのか、外野から言っていきたいと考えている。

〜「ネットフリックスvsディズニー」著者・大原通郎氏をお迎えする催しのご案内はこちらです→ウェビナー「ストリーミングで日本のテレビも変わるのか」

コピーライター/メディアコンサルタント

1962年福岡市生まれ。東京大学卒業後、広告会社I&Sに入社しコピーライターになり、93年からフリーランスとして活動。その後、映像制作会社ロボット、ビデオプロモーションに勤務したのち、2013年から再びフリーランスとなり、メディアコンサルタントとして活動中。有料マガジン「テレビとネットの横断業界誌 MediaBorder」発行。著書「拡張するテレビ-広告と動画とコンテンツビジネスの未来」宣伝会議社刊 「爆発的ヒットは”想い”から生まれる」大和書房刊 新著「嫌われモノの広告は再生するか」イーストプレス刊 TVメタデータを作成する株式会社エム・データ顧問研究員

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