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【平野レミ】これから私は「未亡人」じゃなくて、「味望人」として生きていくの

ボブ内藤編集者、ライター、インタビュアー
撮影/八木虎造

料理愛好家の平野レミさんが、初のひとり自炊本『平野レミの自炊ごはん』(ダイヤモンド社)を上梓した。

2019年に愛する夫、和田誠さんを亡くされ、「未亡人」になったレミさんだが、「味望人=味を望むすべての人」を名乗って精力的に情報発信を続けている。

「いつも元気ね~」と言われる、そのバイタリティの源泉は一体、何なのだろうか?

今回はそんなレミさんに、これまでの人生で経験した出会いと別れについて、話を聞いてみよう。

和田さんが私に贈ってくれた最高のプレゼント

料理は「誰かのため」という気持ちを大切にしているというレミさん。

家に遊びに来たお客さんのため、生活をともにする夫のため、子どものためというふうに、相手がいれば食べたときの反応が返ってくる。

そのときの「おいしい」という反応が料理を作るモチベーションにつながるからだ。

だが、ふたりの息子さんが独り立ちして、「我が子のため」に料理を作る機会を失ったとき、張り合いをなくすようなことはなかったのだろうか?

久しぶりに実家を訪ねてきた息子が玄関で靴ひもを結びながら、「じゃあ、帰るね」って言ったときはさすがに寂しかったですよ~。

あなたが帰ってくる家は、こっちのほうでしょ! て言いたくなっちゃった。

息子たちが家にいなくなって、「一家4人」から「夫婦ふたり」の生活になったのをきっかけに、食卓のテーブルは和田さんとのふたりサイズのものに変えたんです。

ある日、「お父さん、昔みたいにまた、ふたりきりになっちゃったね。子育てって、あっという間ね」って和田さんに話したら、こんなことを言われたの。
「レミにはまだ、やり残したことがあるよ」って。

やり残したこととは……?

それは、「歌をうたう」ということだった。

和田さんが私の父に結婚の申し込みをしに行ったとき、「レミは歌が大好きだから、取りあげたりしないで、自由に歌わせてやってください」って父に言われたんだって。

その場には私もいたはずなので、もし憶えていたら「そうだったわね」と言えたんだけど、ぜんぜん憶えてなくてね。歌より料理を選んだのは私のほうなのに、すっかり忘れてた。

でも、和田さんにとっては忘れられない言葉だったのね。お知り合いのミュージシャンやレコード会社に働きかけてできたのが、「私の旅」というアルバム。

和田さんはプロデューサーとしてシャンソンを中心に選曲したり、訳詞や作曲まで手掛けてくれたばかりか、「私のキッチン」というステキな歌を作ってくれました。

歌詞がそのまま私の料理のレシピになっていて、聞きながら料理を作れちゃう。和田さんが私に贈ってくれた、最高のプレゼントでした。

撮影/八木虎造
撮影/八木虎造

息子たちが連れてきてくれた、義理の娘たちとの出会い

独り立ちした息子さんたちも、その後、レミさんに素敵な出会いをプレゼントしてくれたという。

それは、それぞれの結婚相手である、義理の娘さんたちとの出会いだ。

次男の奥さんの明日香ちゃんには本当に驚かされたわね。

私は知らなかったんだけど、結婚するまでは料理の経験がまったくなかったそうで、「キャベツとレタスは同じ野菜だと思ってました」と言われたときはビックリ。

そんな明日香ちゃんも、今は3人の子どものお母さんになって、食育インストラクターになるほど料理の腕をあげちゃったんだから二度目のビックリ。

「母は強し」ってことよね。
子どもの健康のため、子どもの「おいしい」っていう笑顔のためなら、お母さんは何だってできるんだから。お母さんパワーって、本当にすごいのよ!

もうひとつ、驚かされたのは長男と次男の奥さん、ふたりが「ウチのダンナは料理が上手で、味つけのセンスも抜群なんですよ」って言ってくれたことだったという。

実は私、息子たちに料理を手伝わせたり、教えた覚えはまったくないんです。

ただ、我が家のキッチンは和田さんが「家のなかで、レミがいちばん好きな場所に作っていいよ」と言ってくれたので、お庭で子どもたちが遊んでるのを見ながら料理ができる、家のまんなかに作ってもらったのね。

だから、子どもたちには宿題も勉強部屋じゃなくてキッチンテーブルでやらせてました。野菜をジャージャー洗う音とか、トントントントン刻む音とか、ジージー炒める音を聞きながら勉強するうち、音と匂いで料理のプロセスを吸収してくれていたのかな。

「門前の小僧、習わぬ経を読む」とは、まさにこのことではないか!

撮影/八木虎造
撮影/八木虎造

和田さんの存在は完全に消えたわけじゃない

さて、「出会い」があれば「別れ」があるのが人生の常だが、レミさんは2019年10月7日、最愛の夫である和田誠さんとのお別れを経験している。レミさんにとって、どんな出来事だったのだろうか?

夫婦で同じときに一緒に死ぬなんて、あんまりないことだから、どっちが先なのかって、考えなかったわけではないけど、和田さんが先だったという事実を突きつけられたときは、大きなショックを受けました。

夫が先に死ぬにしても、妻のほうが先に死ぬにしても、長年、連れ添った相手を失った人は地獄のような悲しみを味わうものなんですよ。それこそ、日本人がチョンマゲを結っていた時代から、ずっとね。

そう考えてみると、私が先に死んで、和田さんに悲しい思いをさせなかったのは、せめてものことだったのかもしれませんね。

だから、今の私は世間から言えば「未亡人」なんだけど、「味望人=味を望む人」の代表として、ますます料理に励む毎日を送っていこうと決意したの。

和田誠さんが亡くなって、4年半。最近思うのは、「和田さんの存在は完全に消えたわけじゃない」ということだという。

朝起きると、おいしいお茶をいれて、和田さんの写真の前に置いて、おしゃべりしているから。「今日はテレビの仕事で出かけてくるからね」ってね。
和田さんとは47年間も生活をともにしてきたんだから、そうカンタンにいなくなるわけないじゃない。

今もキッチンには、和田さんが描いた絵やオブジェが、たくさん飾られているしね。

ところで、『平野レミの自炊ごはん』の巻末には「装画 和田誠」というクレジットがある。

だが、本の中身には和田さんのイラストは載っていない。

読者のなかには、「果たしてこれは、どういうことなのか?」と疑問を持った人も多いだろう。だが、本のすみずみまで見てみると、その答えがわかるはずだ。

実は、裏表紙に和田さんのイラストが使われているのだ。

表紙のカバーをはずすと、和田さんのイラストが出てくるという趣向なの。和田さんに両側からつつまれてる感じね(笑)。気づいてくれる人がいれば、うれしいなぁ。
和田さんはたくさんのイラストを残してくれたから、これからもずっと「夫婦共作」でやっていけるのよ。

2020年の国勢調査によると、配偶者を亡くした人は日本国民の約9%にあたる約1000万人もいて、そのうち約80%を女性が占めるという。

レミさんの友だちにも同じ境遇の人がたくさんいて、みんなでヨーロッパ旅行をしようと計画しているそうだ。

「味望人」として、日々の自炊を楽しんでいるレミさんの超ポジティブな生き方には、学ぶものが多いのではないか。

撮影/八木虎造
撮影/八木虎造

※この記事は、かっこよく年を重ねたい人におくるWEBマガジン「キネヅカ」に公開された記事を加筆・修正したものです。是非、そちらの全長版もお楽しみください。

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編集者、ライター、インタビュアー

編集プロダクション方南ぐみを経て2009年にフリーに。1990年より30年間で1500を超える企業を取材。財界人、有名人、芸能人にも連載を通じて2000人強にインタビューしている。著書に『ビジネス界に脈々と伝わる先人の知恵 業界のセオリー』(徳間書店)、『人を集める技術!』(毎日新聞社)、『はじめての輪行』(洋泉社)などがある。また、出版社の依頼で賞金500万円の小説新人賞の選考事務局を起ちあげ、10年間運営した経験のもと、齋藤とみたか名義で『懸賞小説神髄』(洋泉社)を執筆。それをきっかけに、池袋コミュニティカレッジ「小説のコツ」の講師を2013~2023年の10年間つとめた。

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