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サッカーだけではない? SNS世界一のカリスマパティシエによるブラジルのスイーツが日本初上陸の背景

東龍グルメジャーナリスト
パリブレスト(ディエゴ・ロザーノ氏提供)

流行スイーツの変遷

スイーツは値段が手頃なので気軽に購入でき、訪問先や会社の同僚へのお土産としても喜んでもらえます。自分へのご褒美として購入して食べる人も多いでしょう。

トレンドの変遷もなかなか激しいです。

1990年代には、ティラミス(イタリア)、クレームブリュレ(フランス)、ナタデココ(フィリピン)、パンナコッタ(イタリア)、カヌレ(フランス)、ベルギーワッフル(ベルギー)、エッグタルト(ポルトガル)、2000年代に入るとマカロン(フランス)、ドーナツ(アメリカ)、2010年代になるとパンケーキ(アメリカ)、ポップコーン(アメリカ)やスモア(アメリカ)、かき氷(台湾)やパフェといった氷菓、ポップオーバー(アメリカ)やハイブリッドスイーツ(アメリカ)が話題となりました。

話題となるのは欧米諸国のスイーツがほとんどを占めますが、この2018年に注目したいスイーツがあります。それは、ブラジルのスイーツです。

ブラジルのスイーツが注目されるべき理由はいくつかあります。

  • 日本とブラジルの記念年
  • 浸透してきたブラジル料理
  • 世界的なパティシエのスイーツが初上陸

以上の点を説明していきましょう。

日本とブラジルの記念年

2018年はブラジル日本移民110周年記念を迎えます。

1908年4月28日、日本から初めてのブラジル移民781名を乗せた笠戸丸が神戸港を出港し、同年6月18日にブラジル・サンパウロ州のサントス港に到着してから、もうすぐ110年が経とうとしています。

移民後の彼らの苦難は想像を絶するものがあり、たゆまない努力の結果、今日のブラジルでは海外最大の日系人(約190万人)を数え、日本人移民(日系移民)の功績が高く評価されています。

そこで、現地ブラジルでは2018年の110周年記念を盛り上げるべく、サンパウロやパラナ州、リオデジャネイロ州などでも、110周年記念式典が計画されています。

出典:ブラジル日本移民110周年記念

日本から初めてブラジルに移民したのは大きな出来事であり、現在約190万人にも上る日系ブラジル人の礎となりました。

宮内庁の公式サイトに<ブラジル国ご旅行(平成30年)>として記載されているように、皇太子殿下が今年ブラジルへ旅行しています。<皇太子殿下 ブラジルご旅行時のおことば>では、皇太子殿下がブラジル旅行に関して言及さえされています。

今年2018年は日本とブラジルの関係に改めて焦点が当てられる年なのです。

浸透してきたブラジル料理

ブラジル料理といえば、何を思い浮かべるでしょうか。

<ブラジル料理「シュラスコ」はサッカーワールドカップのブラジル代表を超えられるか?>でも紹介したように、肉を串刺しにして焼いたブラジル式のバーベキューであるシュラスコが最も認知されていると思います。

先の記事で詳しく触れていますが、1991年に「バッカーナ」がオープンしたのを皮切りにして、1994年青山にオープンした「バルバッコア・グリル」が東京だけではなく大阪などへも進出してシュラスコの素晴らしさを知らしめ、今では浅草や川崎、横浜中華街ですらシュラスコ料理を食べられるようになりました。

ブラジルにシュラスコがあることが認知されたのはよいことですが、ここ20年以上はそれ以上の進展はなかったように思います。

しかし、昨年から潮目が変わってきたのです。

日本におけるホテルの発祥であり、バイキングやシャリアピンステーキやレーヌ エリザベスなどの料理を考案したのは帝国ホテルです。その旗艦ホテルである帝国ホテル 東京の「パークサイドダイナー」が2017年7月1日から提供を開始したヘルシーエナジーブレックファストプレスリリース)によって、ブラジル料理に向けられる視線が変わりました。

帝国ホテル 東京の「ヘルシーエナジーブレックファスト」ではブラジル風朝食を提供しており、メニュー開発にあたっては、ブラジル大使館の全面的な協力を得て、ブラジル各地の食材を組み合わせたセットメニューに作り上げています。

具体的なメニューはフルーツジュース、グラノラとフルーツ入りのアサイーヨーグルト、はちみつに漬けたナッツ、2種類のパン、キャッサバケーキ、マテ茶と、ヘルシーなものばかりです。和風の朝食とも欧米の朝食とも明らかに食材や構成が異なります。

「ヘルシーエナジーブレックファスト」は、毎日新聞の記事でも言及されているように、非常に好調です。

帝国ホテル(東京都千代田区)が昨年7月に始めたブラジル風朝食「ヘルシーエナジーブレックファスト」(3400円、サービス料別)が好調だ。日本では容易に入手できない食材を使っていることや、ホテル内で手作りしていることなどから、1日に提供できるのは10食程度。ほぼ毎日売り切れており、3月末までに3000食が出た。

出典:毎日新聞

ヘルシーさや物珍しさ、さらにはブラジル料理に対する親近感によって、日本人にもブラジル風の朝食が受け入れられているのではないでしょうか。

ブラジルのカリスマパティシエが来日

ディエゴ・ロザーノ氏(著者撮影)
ディエゴ・ロザーノ氏(著者撮影)

シュラスコの広がりやブラジル風朝食の人気について紹介してきましたが、ブラジルの料理に続いて、次はブラジルのスイーツが日本へと訪れようとしています。

ブラジルでカリスマ的な人気を誇るパティシエのディエゴ・ロザーノ(Diego Lozano)氏が初めて日本を訪れ、日本での活動を始めたのです。2018年6月12日にブラジル大使館で開催された発表会では、ブラジルのスイーツ界の現状を紹介し、ブラジルの食文化や自身のお菓子に対する情熱を語りました。日本での滞在では、若手の和菓子職人と交流を深め、来年には松屋銀座のバレンタインデーでチョコレートを販売する予定となっています。

際立ったSNSのフォロワー数

ディエゴ氏について説明しましょう。

ディエゴ氏は現代におけるスイーツ界の寵児であり、Instagramでは32万人、Facebookでは40万人ものフォロワーを擁するパティシエです。このフォロワー数の多さは、他の有名パティシエと比べれば、より鮮明となります。

日本にマカロンのブームをもたらしたピエール エルメ氏は9万5千人、ショコラティエとして有名なピエール マルコリーニ氏は8万人、「アジアのベストレストラン50」でアジアの最優秀パティシエ賞を2013年と2014年に連続して受賞したジャニス ウオン氏は4万4千人、ジャンポール エヴァン氏は1万6千人、フランスで確固たる地位を築いている青木定治氏は2万人、日本のスイーツブームの立役者となった辻口博啓氏が2万人となっています。

ディエゴ氏のSNSでの発信力が際立って高いことが分かるでしょう。

華麗な経歴

では、ディエゴ氏はどのようなキャリアを歩んできたのでしょうか。

サンパウロのセナイ職業訓練校を卒業した後、ベルギーに渡りマルク・デューコブ氏のもとで研鑽を積んだ後にブラジルへ帰国し、「世界ベストレストラン50」トップテンの常連として一気にブラジリアン・ガストロノミーを世界中に知らしめたレストランとして名を馳せたアレックス・アタラ氏が率いる「D.O.M」に加わりました。

コンクールでの戦績も華麗で、2007年には若干22歳で最年少のブラジリアン・チョコレートマスターを獲得し、世界ショコラティエの最高峰「ワールドチョコレートマスターズ」のファイナリストに選出されています。

豊富な修行経験を持ち、コンクールで実績を残し、そして、SNSでも絶大な支持を誇るディエゴ氏が日本へ訪れたことは、日本のスイーツ界にも新たな風を吹き込むのではないでしょうか。

背景

ディエゴ氏はどのような経緯で日本へ進出することになったのでしょうか。

ディエゴ氏はもともと日本の食文化に興味があったと話します。南米やヨーロッパで十分な活躍を果たした後、どうしても日本へ渡りたいということで、日本での活動をサポートしてくれるパートナーを自ら探してアプローチしたのです。

世界で活躍するディエゴ氏のようなパティシエが、自分からパートナーを探すとは、よほど日本への思いが強かったということでしょう。

ディエゴ氏は「ブラジルはサッカーやカーニバルというイメージが強いが、お菓子もおいしいということを知ってもらいたい」と熱意を込め、「ブラジルのスイーツは非常に甘い。しかし、世界ではヘルシーがトレンドとなっているので、甘味を控えたモダンなスイーツに仕上げている」と述べます。

さらには自身の経歴について「当初は希望してパティシエになったわけではなかったが、お菓子を作ることが天職であると分かった」と述懐し、「ブラジルのパティシエは、残念ながら世界ではまだ認知されていないので、是非とも変えていきたい。ブラジルでは製菓学校も運営しているので、技術力の向上にも寄与していく」とひとつひとつを丁寧に話します。

ブラジルで注目の食材

ブラジルのスイーツで注目の食材は何かあるのでしょうか。

ディエゴ氏は真っ先にクプアス(Cupuacu)とブラジルナッツ(Brazil Nuts)を挙げますが、日本人に馴染みの薄いこの2つは、どちらともブラジルを代表する食材です。クプアスは独特の風味があってカカオに替わって使われることもある食材で、ブラジルナッツは栄養価がとても高くてマカダミアナッツのような食味を有しています。

クプアスもブラジルナッツも、どちらとも日本ではほとんど知られていませんが、それだけに、日本人が知っているフランス菓子やアメリカのお菓子とは全く異なるテクスチャや味わいを構成できるのです。

日本におけるブラジルのスイーツ幕開け

ディエゴ氏は尊敬する日本人パティシエとして、先のフォロワー数のところでも言及した「パティスリー・サダハル・アオキ・パリ」オーナシェフの青木定治氏を挙げます。青木氏は21歳の時にパリに単身で飛び込み、食の都であるパリで才能が開花してパティスリーをオープンした、フランスと日本で活躍するパティシエです。

自国のブラジルを離れ、ヨーロッパで名をあげて、さらには遠く離れた日本でも意欲的に活躍の場を求めるディエゴ氏が、青木氏に尊敬の念を示すのはとても納得できることでしょう。

青木氏はパリで店をオープンした後、日本でも続々と自身のパティスリーをオープンして日本のスイーツファンを喜ばせていますが、ディエゴ氏は松屋銀座でチョコレートを販売したその先には、どういった喜びを日本のスイーツファンにもたらすのでしょうか。

日本におけるブラジルのスイーツの黎明期は、まさに今ここにあると私は考えています。

グルメジャーナリスト

1976年台湾生まれ。テレビ東京「TVチャンピオン」で2002年と2007年に優勝。ファインダイニングやホテルグルメを中心に、料理とスイーツ、お酒をこよなく愛する。炎上事件から美食やトレンド、食のあり方から飲食店の課題まで、独自の切り口で分かりやすい記事を執筆。審査員や講演、プロデュースやコンサルタントも多数。

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