スポーツクライミング世界選手権に挑む日本代表・倉菜々子・19歳のいま
ボルダリングへの強い思いと、予想もしていなかった世界選手権出場
「最高の舞台なので、一種目一種目を楽しみながら自分のベストが出せるようにがんばりたいです」
8月11日(日)から東京・八王子で開催される『IFSCクライミング世界選手権2019』に出場する倉菜々子(くら・ななこ)は意気込みをそう語る。
この大会はボルダリング、リード、スピードの単種目とともに、東京五輪で実施される3種目複合のコンバインドが行われ、その上位7選手には東京五輪の出場権が与えられる。
2020を狙う選手たちは、まず単種目のボルダリング、リード、スピードに出場。その順位を掛け算したポイントの小さい順に上位20選手がコンバインド予選に駒を進める。そこで再び1日のうちに3種目に挑み、上位8選手が決勝戦へ進出。そして三たび3種目を1日で行い最終順位が決まる。
倉もこの東京五輪に向けた戦いに挑むが、自身が出場することは想像さえしていなかったと打ち明ける。
「スポーツクライミングの東京五輪実施が決まっても、私にとっては別次元の話でした。それでもメディアの人たちから『東京五輪は?』と質問されたら、とりあえず『出たいです。頑張ります』と答えていましたけど、本音ではボルダリングで活躍したいだけで。東京五輪は自分と関係ないものと思っていました(笑)」
東京五輪での実施が決まった2016年、高校1年生だった倉はキャリアでもっとも結果の出ない時期にあった。そのため東京五輪はおろか、W杯ボルダリングに出場することも夢のまた夢。
それが2018年シーズン、今シーズンと2年連続してW杯ボルダリングにレギュラー参戦。今年5月の『コンバインド・ジャパンカップ2019』では5位になって世界選手権の日本代表入りを決めた。傍目には東京五輪との距離は近づいたように見えるが、本人は「無縁なものという感覚は変わらない」と笑う。
「東京五輪に興味がないわけじゃないんです。自分がまさかその代表を決める舞台に出場できるなんて考えたこともなかったし、(野口)啓代ちゃん、(野中)生萌ちゃん、(森)秋彩ちゃん、(伊藤)ふたばちゃん、(小武)芽生ちゃんは、私よりも全然強い。だから、『東京五輪の出場権を狙って』と言われてもピンとこないんです。3種目それぞれで自分の実力をしっかり発揮して、今後につながるものを得られればいいなと考えています。もちろん、世界選手権に出られるということは、東京五輪への望みはゼロじゃない。いまあるベストの力を出したいと思います」
遠回りしてたどり着いたW杯ボルダリング代表
倉がクライミングを始めたのは小学1年の時。幼稚園の頃に体験して以来、クライミングに魅了されていた倉は、小学校入学と同時に「満を持して」クライミングジムへと通い始めた。母親の洋子さんは、「お兄ちゃんも同じように体験したのに、まったくクライミングに興味を持たなかったんですけど、あの子は一日中でも登っていましたね。家に戻ってきても、またすぐに登りに行きたがって」と、当時を懐かしむ。
登る楽しさに夢中だった倉が、大会の面白さに目覚めたのは小学2年生の時。当時はまだ岩場で本戦が行われていた『The Northface Cup 2008』に出場。予選を2位で通過すると、岐阜県のフクベに人工壁を建てて行われた本戦で4位になった。
「本当は4位までがファイナルに進めたんですけど、4位がダンゴになって足切りになっちゃったんです。初めてのコンペで4位になれた嬉しさと、ファイナルに進めなかった悔しさが入り混じって。そこから大会にも出るようになりました」
2013年に初めてボルダリング・ジャパンカップ(以下BJC)に出場。小学6年生ながら準決勝に進出して19位になった。中学1年で臨んだ2014年の同大会は13位。6名で争う決勝進出へ希望を見出したが、2015年大会からは苦しい時間を過ごすことになった。
「BJCがあって、ユース大会での優勝があって、競技が楽しくなってきたのに、中学2年でヒジの遊離軟骨の手術。それ以外にも骨は4度も折っていて。ケガが続いてBJCで予選落ちばかりになって。ユース大会でもいいところまでは行くけど勝ちきれなくて」
そうした不遇を乗り越えて、高校2年で臨んだ2018年のBJCでは、4年ぶりに予選を突破して11位。W杯ボルダリングの日本代表入りを果たし、4月からのW杯にレギュラー参戦した。11月にはアジア選手権のボルダリングとスピードに出場し、ボルダリングでは2位。初めて国際大会の表彰台に立った。
「アジア選手権のボルダリングは決勝に残ることが目標でした。予選と準決勝の調子が良くて、決勝課題も思い切り登れて楽しめました。W杯の開幕戦で初めて海外での大会を経験して、そこから無我夢中に過ぎていった1年でしたけど、アジア選手権の結果で気分良く2018年シーズンを終えることができました」
BJCで幸先の良いスタートを切るも、流れを変えたフライング
迎えた今シーズン最初の公式戦となった1月の『BJC2019』は、ずっと憧れてきた決勝の舞台に立って5位になった。
「世界でもう一度戦いたい気持ちを強く持って臨んだ大会でした。そこで目標通りに決勝に進めたので、2018年の1年間で力が伸びたんだなって実感もありました。決勝は緊張しなかったんですけど、決勝に進めたことで満足してしまった部分が大きかったですね。ただ、それでも幸先よく今シーズンを始められたという手応えもあったんです。あの時は……」
今年の国内スポーツクライミングは、初めてボルダリング、スピード、リードの3種目それぞれで『ジャパンカップ』が実施された。各大会での順位をもとにした上位選手が5月のコンバインド・ジャパンカップ(CJC2019)に出場でき、そこで世界選手権に挑む日本代表が決まることになっていた。
倉はBJC2019で5位になったが、その後は苦戦した。続く2月のスピード・ジャパンカップではフライングのため最下位。「めちゃめちゃ落ち込んだ」ものの、すぐに気持ちを切り替えて、3月のリード・ジャパンカップでの準決勝進出を目標にトレーニングに励んだ。しかし、結果は予選敗退の36位。かろうじて5月のCJC2019への望みはつないだものの、この時点では世界選手権出場を「現実的なものには考えられなかった」と振り返る。
「世界選手権を狙う選手たちは、CJC2019の1週前に行われたW杯ミュンヘン大会を回避しましたけど、自分は今シーズンはW杯ボルダリングにかけていたので、3月の時点で出場可能なW杯はすべて出ることに決めていたんです。ただ、世界ユース選手権(8月22~31日@イタリア・アルコ)には出場したかったので、優勝したら代表に内定する日本ユース選手権は狙っていました。でも、それも叶わなくて……」
リードJCから20日後の3月23・24日に行われた『日本ユース選手権リード』は2位に終わった。普通ならこの大会に優勝できなくても、5月にある『ボルダリング・ユース倉吉大会』で優勝すれば、世界ユース選手権への扉は開く。
しかし、倉はこの時すでにユース倉吉大会と同日開催のW杯ボルダリング・ミュンヘン大会への出場を決めていた。世界ユース選手権への道が絶たれたことで、どの大会も結果が伴わなかったとしても淡々と取材を受ける倉が、ミックスゾーンで悔し涙をこぼしたのは印象的だった。
「世界ユース選手権に出場できる最後の年齢だったし、これまで一度も出たことなかったので、すごく悔しくて。珍しく泣いちゃいましたね。ただ、4月からのW杯ボルダリングは、自分がもっとも好きな種目だし、目指してきた舞台だったので、切り替えて臨めました」
バツグンの身体能力で世界選手権代表をゲット
とはいえ、現実は厳しい。今シーズンのW杯ボルダリングは開幕戦から4戦連続して予選落ちを味わう。昨年からの成長を実感していた倉は、焦りも感じていた。
「準決勝に進めると思っていたので、こんなはずじゃない、と。でも、悩んでも強くならないので開き直って臨みました」
5月18・19日にあったW杯ボルダリング第5戦ミュンヘン大会は、予選を突破して準決勝に進んだ。
「あれで少し自信は取り戻せましたね。それで気持ちは次のCJC2019に向かうことができました」
ミュンヘン大会の翌週、5月25・26日に行われたCJC2019で、倉は決勝戦に進むと、ボルダリング8位、リード8位ながらも、スピードで潜在能力を発揮した2位が効いて、世界選手権の代表切符を手にした。
この大会のスピードで倉は9秒450をマークした。ほかの選手たちはスピード練習を定期的に積んでいたが、倉が2月のSJC2019以降にスピード壁を登ったのは数える程度。5月11日の『東京選手権スピード』と、翌日のスピードイベント、そしてCJC2019前日に「愛媛に移動する途中で大阪に寄って練習した」だけだった。
「スピード専門の選手や、生萌ちゃんと比べたらまだまだですけどね。でも、もともとパワフルな自分には向いている種目だと思っていて。だから、世界選手権でどれくらい通用するのか楽しみです」
小学生の頃から運動神経は抜群で、運動会のカケッコは負け知らず。中学時代は陸上部で短距離をしていた地力だけで9秒450を出した倉が、世界選手権前の合宿でスピード種目のトレーニングを積んだなかで、どこまでタイムを伸ばすのかは興味深い。
倉の小学生時代から指導する大山史洋さんは、この2年ほどの倉について「クライミングに対する姿勢が変わってきた」と感じている。大山さんは現役時代に国内リード大会で常にファイナリストに名を連ねた名選手であり、藤井快も大学時代まで師事していたコーチだ。
「W杯ボルダリングやアジア選手権を経験して精神的にものすごく変わってきました。2018年はW杯に出るだけで満足していましたが、今シーズンは結果が残せなかったことで、自分自身で『どうすればもっと登れようになるか』を考えてトレーニングするようになりました。
菜々子は子どもの頃から運動能力が高くて、本能で登ってきた。それが難度の高い国際大会の課題に跳ね返されて、いまはそこを乗り越えようとしている。まだまだ甘いところも多いですけど、そこに自分自身で気づいたことが大切なので。
彼女の選手としてのピークはまだまだ先にあります。だから、世界選手権は厳しい結果になるかもしれませんが、数年後を見据えれば、菜々子が世界選手権を経てどこまで大きく成長を遂げてくれるのか楽しみでならないんですよ」
夢はボーダーシャツでボルダリング・ジャパンカップの決勝を戦う
今春から名古屋芸術大で学ぶ倉に将来について訊ねると、クライマーとしての目標よりも先に、「将来はコンサートや舞台の演出を手掛けたいですね」と返ってきた。
「もちろん、クライマーとしてはいつかワールドカップで優勝したいです。すごく気持ちいいだろうなって思うんです。でも、自分が大学で舞台装置や演出、音響効果などを学びたいなと思ったのは、ボルダリング・ジャパンカップに出たことも影響していて。BJCはプロジェクション・マッピングをやったりして、すごく凝った演出をしている。自分もいつか裏方としてコンサートや舞台で観客を楽しませたり、盛り上げたりしたいなと思っています」
取材の最後に倉のトレードマークとも言えるボーダーのTシャツについて質問した。日本代表として挑む世界選手権やW杯などは、各国代表ユニフォームの着用が義務付けられているが、国内大会ではルールの範囲内なら服装は選手の自由。倉は国内大会の多くでボーダーシャツを着て予選に臨むものの、決勝戦では単色のTシャツを着る。その理由が気になっていた。
「本当はBJCとかの決勝でもボーダーのTシャツを着たいんですよね。だけど、やっぱりボーダーはクライマーっぽくないから、決勝で着るのはダメかなって考えちゃって。もし来年のBJCでファイナルまで勝ち進めたら、逆に決勝もボーダーシャツで登ってもいいかを観に来ている人たちに決めてもらいたいくらいですね(笑)。それが実現できるくらい、もっともっと強くなれるよう頑張ります」
現時点の実力を考えると、倉がこの世界選手権で眩いスポットライトを浴びることはないかもしれない。だが、飛躍を遂げるスポーツ選手には「あれが転機だった」という試合が必ずある。倉菜々子にとってのそれは、間違いなく世界選手権になるはずだ。
倉 菜々子(KURA NANAKO)
2000年6月5日、愛知県刈谷市生まれ。159cm。
公式戦デビューは、2012年3月のJFAユース選手権(リード)で2位。2013年は3月のクライミング・日本ユース選手権、同年8月の第16回JOCジュニアオリンピックカップでともに優勝。中学3年時には国体優勝を経験。所属先の「ウィルスタッフ」は練習拠点の「LUNA Climbing Gym」の経営母体。店長の瀧浪優真さんは「彼女が日本を代表するクライマーになって大きなスポンサーがつくまで、うちのジムから育った彼女をしっかり支援していきたくて所属という形でサポートしています」と。周囲の温かい理解も倉の競技生活を後押ししている。