コロナ禍は学生の就職活動にも様々な影響を及ぼしています。

例えば、ゼミやサークル、バイトやボランティアなどの活動が制限され、エントリーシート(ES)の定番項目である“ガクチカ”(学生時代に力を入れたこと)を書けない……と悩む学生も多いようです。

そんな中、老舗のカバンメーカーである「土屋鞄製造所」(以下、土屋鞄)はESを廃止。書類選考なしで応募者全員と面接をしているそうです。

その効果か、今年5月時点で2500人ほどの学生がエントリーしており、年間で2000人超だった昨年の実績をすでに上回っているとのこと。

同社で人材採用を担当している人事本部人材開発課の羽太あゆみさんに、ES廃止の狙いや手応えを聞きました。

■新卒採用が7名から22名へ。今年春から大幅増の目的は

土屋鞄の直営店に並ぶランドセル(写真提供:土屋鞄製造所)
土屋鞄の直営店に並ぶランドセル(写真提供:土屋鞄製造所)

昭和40年に小さなランドセル工房からスタートした土屋鞄は、子どものランドセルを選ぶ親なら誰もが知るトップブランド。2000年代には大人向け革製品の製造も始め、社員数600人を超える中堅企業です。

しかし、2020年度まで新入社員の採用は毎年7名ほどだったこともあり、学生の間での知名度はそれほど高くはありませんでした。

ところが今年4月は、新入社員が22名と大幅に増えました。来春も同程度の採用を見込んでいるとのこと。ES廃止の話の前に、まずは新卒採用数を増やす意図を伺いました。

「新卒採用者数を増やすことにした背景には、日本の“ものづくり”をしっかりと将来に引き継ぎ、後世に残していきたいという土屋鞄の思いがあります。

いま、日本のものづくりが危機的な状況になっている大きな理由のひとつに、後進が育っていないということがあります。ですから、土屋鞄で日本のものづくりを支える人材を育てて世に出していこうという考えがあります。

また、血液が循環することで人間の体が健康に保たれるように、企業が健康であるためにも常に新しい風を入れていくということが重要だと考えています」

それまでは即戦力としての中途採用が中心で、新卒で入社した社員は全体の10%ほどだった同社。新卒採用を強化して会社の中で育てていこうという方針を、経営レベルで合意したのが2年ほど前だったそうです。今春の新入社員の増加は、その意思決定を反映してのことでした。

■ES廃止、2つの理由

この春の入社者の採用活動では、コロナ禍でいち早くオンラインでの採用活動に切り替え、SNSなども活用して2000人超の応募者を集めました。

これだけでも採用活動は十分うまくいっているように見えますが、今年さらに「ES廃止」を打ち出したのはなぜか、羽太さんは2つの理由を挙げました。

「学生さんにとってESを書くというのはかなりの労力です。せっかく土屋鞄に興味をもっていただいても、ESを書くのがしんどくなってしまって応募に結びつかないこともあるのではないか、という考えがありました。

もうひとつは、書面だけで判断できることはかなり限られているからです。できるだけ面接で直接お話を伺い、人となりを理解した上で合否の判断ができるのが会社にとっても理想的で、学生さんにとっても納得感がある方法だと考え、ESをなくしました」

確かに、ESは「就職活動で大変だったこと」の筆頭に挙げられます。株式会社ディスコが学生モニター対象に行った調査によると、この5月時点でのエントリー社数は平均27.1社、ES提出社数は平均14.9社(参考:キャリタス就活 2022 学生モニター調査結果)。十数社のESを提出したら疲れてしまい、ちょっと気になる会社があっても「これ以上ESを書きたくない」と諦めてしまう学生もいるかもしれません。

学生対象のアンケートでも「就職活動で大変だったこと」の筆頭は「エントリーシート」(出典:株式会社ディスコ「【2021卒】10 月1 日時点の就職活動調査 キャリタス就活2021 学生モニター調査」)
学生対象のアンケートでも「就職活動で大変だったこと」の筆頭は「エントリーシート」(出典:株式会社ディスコ「【2021卒】10 月1 日時点の就職活動調査 キャリタス就活2021 学生モニター調査」)

■ES廃止による応募者の傾向の変化

一方で、企業が学生にES提出を求めるのは、「大変さを乗り越えてESを提出してくれた学生だけに会いたい」「ESである程度のふるい落としたい」といった意図もあるでしょう。ESという関門を設けることで、採用活動の効率化を図るわけです。

土屋鞄の場合、ESというハードルをなくすことで、本気度の低い学生や明らかに合わなそうな学生が集まってしまう、といった問題は起きていないのでしょうか。

これについて羽太さんは次のような実感を話してくれました。

「学生さんたちの年代で土屋鞄に興味を持たれる方の場合、自分が本当に好きなものは何かとか、将来何をしたいのかということをしっかりと考えた上でエントリーしてくださることが多いと感じています。『みんながエントリーしているから、なんとなく』という学生さんは、比較的少ないのではないでしょうか」

応募者の傾向としては、ものづくりが好き、日本の伝統工芸に興味がある、ものづくりの産業を盛り上げたいといった思いをもった学生が多いそう。また、職人やデザイナー職を希望する方は、美大や専門学校で、あるいは趣味で実際に革小物などの制作経験がある学生が多いとのこと。いくらエントリーが楽でも、同社の商品やものづくりの姿勢に興味がない学生まで集まってしまうことはないようです。

逆に、ものづくりに興味はあるけれど土屋鞄は知らなかった、という学生に気づいてもらうのに、昨年と今年の積極的な採用活動が役に立っている模様。それまではなかった既卒者の応募も出てきているそうで、老舗企業らしからぬ柔軟な姿勢や新しいことにチャレンジする企業風土が、応募者に伝わっているのでしょう。

大人向けの革製品が並ぶ東京・西新井本店(写真提供:土屋鞄製造所)
大人向けの革製品が並ぶ東京・西新井本店(写真提供:土屋鞄製造所)

■面接での自己表現に多様性が生まれた

羽太さんが「面接で直接お話しして人となりを理解したい」と語る背景には、「ESは型にはまった内容になりがち」という問題があります。

インターネット検索をすれば「ESの書き方」指南がたくさん出てきます。そういったものを参考にしつつ書いたものは、どうしても似通ってしまうのでしょう。

特に“ガクチカ”と呼ばれる「学生時代に力を入れたこと」の内容は、一般的にウケが良いと考えられる内容に偏りがち。そうなると面接で話す内容もESに書いたことに引っ張られ、学生の個性が見えづらくなってしまう、というわけです。

実際にESをなくしてみると、学生は自身が本当に伝えたいことをじっくりと考えて面接に臨んでくれるようになり、「がんばったこと」の内容や自己表現の仕方も多様になったそうです。

■「面接」とは別の「面談」で相互理解を深める

なお、今年の応募者には、「先輩に土屋鞄を勧められてエントリーした」という学生もいるとのこと。その先輩たちは、土屋鞄のどこに魅力を感じたのでしょうか。

羽太さんによれば、魅力のひとつは同社の独自性にあるのではないか、とのこと。

特に人気の高い業界というわけではないので誰にでもお勧めというわけではないけれど、「この子はきっと土屋鞄に合いそう」という後輩がいれば、「ぜひ勧めたい」という気持ちになるのかもしれません。

また、昨年から行っている丁寧なコミュニケーションも、学生からの評判が高いようです。

前述の通り、土屋鞄ではESはなしですべての希望者と一次面接を行いますが、その面接を通過した学生とは、「面談」も行っています。

「面談」は、学生と会社の相互理解を目的とするコミュニケーションの場で、それによって合否が決まることはありません。二次面接と最終面接の前に、羽太さんかもうひとりの担当者が1時間ほど、学生と1対1で話をします。なるべくリラックスした雰囲気で話を聞くことで、前の面接の時には見えなかった学生のキャラクターが出てきたりすることも。それを踏まえて、次の面接に向けてのアドバイスをすることもあるそうです。

企業の人事担当者でありながら、学生にとってのキャリアコンサルタントのよう…という印象を伝えると、羽太さんは「そうですね。学生さんにとって、フラットな目線で相談に乗ってもらえる相手だと思ってもらえたら、理想的です」と温かい笑顔を見せてくれました。

ESで候補者を絞らずに希望者全員と面接するだけでなく面談も行うとなると、かなりの労力になりそうです。その上同社では、内定通知に直筆のメッセージを書いて送るということにもこだわっています。

そこには、土屋鞄との出会いを印象深い出来事として記憶してほしい、という思いがあるようです。たとえ採用には至らなかったとしても、会社のことを好きになってもらう、商品に好感をもってもらうということを、大事にしているのです。

昨年土屋鞄にエントリーした先輩たちにはそのような思いが伝わり、後輩にも勧めるという良い循環が起きているのでしょう。

■採用方法も、型にはまったやり方を見直そう

「型にはまりがち」という課題を抱えているのは、就職活動をする学生たちだけでなく、採用する企業の側も同様です。

最近では通年採用などを打ち出す企業も出てきていますが、

短期のインターンシップ→採用広報開始→会社説明会→ES→面接→内定

というプロセスを踏むのが当たり前、と考えている企業もまだまだ多いのではないでしょうか。

土屋鞄の取り組みは、学生たちの目線で自社のポジションを見極め、型にはまらず、自社の目的に適した手法を作り出すことの重要性を教えてくれるものです。

それにより、同社は「新卒採用増」という目的に向かって確実に前進しています。

しかし、その向こうにある「日本のものづくりを将来に引き継ぐ」という真の目的に対して、採用は最初の一歩でしかありません。これまで中途採用中心だった同社にとって、未経験の若者たちをいかに育てていくのかは大きなチャレンジでしょう。今後の動きにも、ぜひ注目していきたいと思います。