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レジェンド・武豊が落馬事故で急逝した藤岡康太騎手とのエピソードを語り、悼む

平松さとしライター、フォトグラファー、リポーター、解説者
生前の藤岡康太騎手(手前)と武豊騎手

信じ難い訃報

 4月10日の夜、武豊は大井競馬場にいた。午後8時10分発走の東京スプリントに騎乗していたのだ。
 レース後、2人で食事をする約束をしていたため、彼と共にハイヤーに乗った。乗り込んですぐに携帯電話のスイッチをオンにしたレジェンドは、着信通知を見るなり、呟くように言った。
 「嫌な予感がする……」
 折り返す。神妙な面持ちで返事をする様子をみて、只事ではないと感じた。会話を終え、携帯を畳んだ彼に「まさか、康太ですか?」と聞くと、聞きたくない答えが返って来た。
 「たった今、だそうです」

4月6日の落馬事故で残念ながら他界してしまった藤岡康太騎手
4月6日の落馬事故で残念ながら他界してしまった藤岡康太騎手


 藤岡康太が落馬した4月6日、私はオーストラリアのシドニーにあるランドウィック競馬場にいた。ドンカスターマイル(GⅠ)に挑んだオオバンブルマイ(栗東・吉村圭司厩舎)の取材をしに行っていたのだ。そのためあれほど大きな事故だったとは知らなかった。
 ドンカスターマイルが終わり、その晩のうちにシドニーを発った。翌日の日曜の朝には羽田に着き、そのまま飛行機を乗り継いで伊丹へ飛んだ。こうして桜花賞(GⅠ)当日の朝には阪神競馬場入りしたのだが、ここで初めて藤岡康太の容体がかなり深刻である事を知った。
 その後は祈る事しか出来なかったが、願いは届く事なく、10日の夜、7時49分、彼は唐突に逝ってしまった。

マイルCSで見事な代打ホームラン

 1988年、藤岡健一の下、佑介の弟として生まれた康太。2007年に騎手となった彼を、デビューしてすぐにインタビューする機会に恵まれた。
 「昔から兄はしっかりしていたけど、僕はヤンチャな方でした」
 笑いながら、そう言った。
 ところが実際に話してみると兄の佑介同様、礼儀をわきまえた好青年だった。「父には叱られてばかりで厳しく育てられました」と語るように、ご家族の教育の賜物なのだろう。
 その後は公私にわたり、付き合いしていただいた。“私”の部分では、互いにアイドルグループのももいろクローバーZが好きという事もあり、そんな話題で盛り上がった。
 また、昨年のマイルチャンピオンシップ(GⅠ)をナミュールで制した際、私が新聞紙上で本命にしていた旨を伝えると、笑いながら次のような答えが返って来た。
 「ありがとうございます。でもライアンだったからですよね?」
 当初はライアン・ムーアが騎乗予定だったのが、彼の怪我により、急遽、康太に乗り替わり。見事に決めた代打ホームランだったのだ。
 「確かに◎を打った時点ではライアンだったけど、乗り替わりが決まった後にしっかり馬券を買わせてもらいましたよ」
 そう伝えると、再び言った。
 「ありがとうございます!」
 この時の、ひと際大きくなった笑顔が忘れられないし、もう見られないかと思うと、今でも目頭が熱くなる。

ナミュールでマイルチャンピオンシップ(GⅠ)を制した藤岡康太騎手
ナミュールでマイルチャンピオンシップ(GⅠ)を制した藤岡康太騎手


ドウデュースの大成を陰で支える

 冒頭で記したように、10日の夜、武豊と食事をする予定でいた。そこへ入って来た訃報。2人きりでの会食だったので、誰にも迷惑はかからないから中止しようかという案も出た。ただ、共に「康太に献杯したい」という気持ちがあったため、軽く一杯やろうという事になった。
 こうして、レジェンドが案内してくれたバーは、偶然にも私が初めて藤岡康太とプライベートで食事をした店の僅か2軒隣の店だった。そこで、武豊の口から星になってしまった康太の話が次々と語られた。
 「自分もベテランになり、若い騎手との年齢差が開き、彼等が気後れするのか、最近はあまり質問してくる子がいない中、康太はよく聞きに来ました。時には電話がかかって来て、質問される事もありました」
 嬉しそうにそう言った後、更に続けた。
 「友道(康夫)厩舎の調教をつける時、よく一緒になりました。ドウデュースと併せたのは、康太が1番多かったと思います」
 皐月賞(GⅠ)をジャスティンミラノが勝った際、管理する友道や騎乗した戸崎圭太が「康太のお陰」と涙声で口を揃えたが、ドウデュースがダービー馬となれた陰にも、彼の功績があったのだ。

「ドウデュースとの併せ馬は康太が1番多いと思います」と語る武豊騎手
「ドウデュースとの併せ馬は康太が1番多いと思います」と語る武豊騎手


残念ながらかなわぬ願いに

 ダービーといえば、以前、康太からこんな話を聞いた事があった。
 「僕が競馬学校の生徒の時、初めて日本ダービーを生で観戦しました。お客さんの凄い熱気の中、ディープインパクトが圧倒的な1番人気に応えて勝ちました。感動したのを覚えているし、いつか自分もこの時の武豊さんみたいに格好良くダービーを勝ちたいと強く思いました」
 ちなみに当時の映像には「池江泰郎調教師の後ろでポカーンと口を開けてみている自分が映っている」(藤岡康太)そうだ。

05年、ディープインパクトで日本ダービー(GⅠ)を勝った際の武豊騎手。「いつか自分も」という藤岡康太騎手の願いはかなわぬものとなってしまった
05年、ディープインパクトで日本ダービー(GⅠ)を勝った際の武豊騎手。「いつか自分も」という藤岡康太騎手の願いはかなわぬものとなってしまった


 そういえば生前、こんな事も言っていた。いずれGⅠで兄・佑介と兄弟でのワンツーフィニッシュを決めたいのでは?と私が聞くと「兄はまだまだ遠い存在で、まずは自分がそれだけの技量を身に付ける事が先決です。というか正直、そこまで考える余裕はありません」と答えた後、呟くようにひと言、続けた。
 「そうなれば最高ですけどね……」
 そして「最高」と思える理由を更に続けた。
 「母親が喜んでくれると思いますから……」
 残念ながらそれらはもうかなわぬ願いとなってしまった。

兄・藤岡佑介騎手の心中を思うと、胸がしめつけられる
兄・藤岡佑介騎手の心中を思うと、胸がしめつけられる

「絶対に忘れない」

 武豊と会話をしながら康太との思い出話に花を咲かせるうちに、家族思いで沢山の夢や希望を抱えていた素晴らしい子が、何故こんな事に遭ってしまったのか⁈という想いは強くなるばかりで、幾度も2人で声を詰まらせた。そして、その度にレジェンドが言った。
 「康太の事は絶対に忘れない」
 それは、関係者もファンも、彼の事を知る全ての人に共通した想いだろう。
 今週末、東京競馬場ではNHKマイルC(GⅠ)が行われる。15年前の09年、騎手・藤岡康太がジョーカプチーノを駆って初めて制したGⅠレースだ。彼も空の上から懐かしく感じながら見守っているだろう。全馬、全関係者、そして全ジョッキーの無事を祈りつつ、藤岡康太が愛した競馬をこれからも観ていきたい。君の事は絶対に忘れないし、こんな好青年がいた事をこれからもおりを見て語り継いでいきたい。康太、今までありがとう。安らかに。

09年、ジョーカプチーノでNHKマイルC(GⅠ)を勝った際の藤岡康太騎手
09年、ジョーカプチーノでNHKマイルC(GⅠ)を勝った際の藤岡康太騎手

(文中敬称略、写真撮影=平松さとし)
※今回は思うところがあり、故人に対し、あえて生前に呼ばせていただいた通りの呼称で記させていただきました。














ライター、フォトグラファー、リポーター、解説者

競馬専門紙を経て現在はフリー。国内の競馬場やトレセンは勿論、海外の取材も精力的に行ない、98年に日本馬として初めて海外GⅠを制したシーキングザパールを始め、ほとんどの日本馬の海外GⅠ勝利に立ち会う。 武豊、C・ルメール、藤沢和雄ら多くの関係者とも懇意にしており、テレビでのリポートや解説の他、雑誌や新聞はNumber、共同通信、日本経済新聞、月刊優駿、スポーツニッポン、東京スポーツ、週刊競馬ブック等多くに寄稿。 テレビは「平松さとしの海外挑戦こぼれ話」他、著書も「栄光のジョッキー列伝」「凱旋門賞に挑んだ日本の名馬たち」「世界を制した日本の名馬たち」他多数。

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