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王貞治監督の下でプレーした「監督」は藤本博史が8人目。福岡ソフトバンクの監督はその前の2人もそう

宇根夏樹ベースボール・ライター
王貞治(左)と原辰徳 NOVEMBER 12, 2008(写真:築田純/アフロスポーツ)

 王貞治は、日本プロ野球の2球団で監督を務めた。1984~88年に読売ジャイアンツで指揮を執り、1995~2008年は福岡ダイエー/福岡ソフトバンク・ホークスで采配を振った。リーグ優勝は、1987年、1999~2000年、2003年の4度。2004年と2005年も、レギュラーシーズンでリーグ最高の勝率を記録したが、プレーオフで敗れ、リーグ優勝(と日本シリーズ進出)を逃した。2004~06年のパ・リーグは、勝率の上位3球団によるプレーオフを行い、そこで勝ち抜いた球団をリーグ優勝としていた。

 読売と福岡ダイエー/福岡ソフトバンクのどちらかにおいて、王監督の下でプレーした選手のうち、日本プロ野球の球団で一軍監督を務めるのは、見落としがなければ、福岡ソフトバンクの監督に就任した――二軍監督から一軍監督へ異動した――藤本博史が8人目だ。ここには、監督代行や暫定監督を務め、正式な監督にはならなかった人物は含めていない。王監督の下で、コーチを務めたものの、プレーはしていない監督経験者も除いた。

筆者作成
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 福岡ソフトバンクの監督は、王の退任後に就任した、秋山幸二工藤公康と藤本の3人とも、王監督の下でプレーしている。彼らは、1995~97年に福岡ダイエーでチームメイトだった。年齢も近く、それぞれの生年月日は、1962年4月6日、1963年5月5日、1963年11月8日。秋山は1980年にドラフト外で西武ライオンズに入団し、工藤と藤本はその翌年のドラフトで指名された。指名順位は、西武の6位と南海の4位だった。

 1995年の福岡ダイエーには、3人に加え、石毛宏典森脇浩司もいた。この2人は、どちらも後にオリックス・ブルーウェーブ/バファローズの監督を務めた。一方、1997年の福岡ダイエーには、秋山、工藤、藤本に加え、井口忠仁(現・資仁)がいた。井口は、2018年から千葉ロッテ・マリーンズで指揮を執っている。現監督の12人中、王監督の下でプレーしたことがあるのは、藤本と井口、読売の原辰徳の3人だ。

 王監督の下、読売でプレーした監督経験者は、原以外には中畑清しかいない。読売の監督に限れば、原だけだ。1975~2001年の読売の監督は、長嶋茂雄(1975~80年)→藤田元司(1981~83年)→王(1984~88年)→藤田(1989~92年)→長嶋(1993~2001年)。王を折り返し地点として「リバース」するように動いた。また、2002年以降は、原と彼以外の人物が「交互」に采配を振っている。原(2002~03年)→堀内恒夫(2004~05年)→原(2006~15年)→高橋由伸(2016~18年)→原(2019年~)だ。なお、1999~2003年に千葉ロッテで監督を務めた山本功児は、1983年のオフに読売からロッテへ移籍したので、王監督の下ではプレーしていない。

 ちなみに、王監督が日本シリーズで優勝した1999年と2003年の相手は、それぞれ、中日ドラゴンズと阪神タイガースだが、監督はいずれも星野仙一だった。星野監督の下でプレーし、後に監督となったのは、中日の監督に就任した立浪和義が7人目だ。それについては、こちらで書いた。

「星野仙一監督の下でプレーした「監督」は立浪和義が7人目」

ベースボール・ライター

うねなつき/Natsuki Une。1968年生まれ。三重県出身。MLB(メジャーリーグ・ベースボール)専門誌『スラッガー』元編集長。現在はフリーランスのライター。著書『MLB人類学――名言・迷言・妄言集』(彩流社)。

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