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星野仙一監督の下でプレーした「監督」は立浪和義が7人目

宇根夏樹ベースボール・ライター
星野仙一(左)とトミー・ラソーダ MARCH 7, 2004(写真:YUTAKA/アフロスポーツ)

 星野仙一は、日本プロ野球の3球団で監督を務めた。1987~91年と1996~2001年に中日ドラゴンズで指揮を執り、2002~03年に阪神タイガース、2011~14年に東北楽天ゴールデンイーグルスで采配を振った。どの球団でもリーグ優勝を果たし――1988年と1999年、2003年、2013年――4度目の2013年は日本シリーズ優勝も飾った。

 3球団のいずれかにおいて、星野監督の下でプレーした選手のうち、日本プロ野球の球団で監督を務めるのは、見落としがなければ、中日の監督に就任した立浪和義が7人目となる。前任の与田剛が6人目だ。監督代行や暫定監督を務め、正式な監督にはならなかった人物は数えていない。星野監督の下で、コーチを務めたものの、プレーはしていない監督経験者も除いた。他には、1996~99年に中日で投げた宣銅烈が、韓国で監督を務めた。

筆者作成
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 この7人のなかで、立浪は、星野監督の下でプレーした期間が最も長い。一軍デビューの1988年から1991年までと、1996年から2001年までだ。中日一筋にプレーした22シーズンのうち、半分近い10シーズンは、星野監督に起用された。ちなみに、他のシーズンの監督は、1992~95年が高木守道、2002~03年が山田久志、2004~09年は落合博満だ。

 一方、2019年から阪神で指揮を執っている矢野燿大は、中日でも阪神でも、星野監督の下でプレーした。ちなみに、監督未経験を含めると、2球団は他にもいる。例えば、矢野と同じ中日と阪神は久慈照嘉(1998~2001年/2003年)、中日と東北楽天は山﨑武司(1989~91、96~2001年/2011年)、阪神と東北楽天は中谷仁(2002年/2011年)がそうだ。矢野と久慈は、1997年のオフに、他の選手を含むトレードで球団を入れ替わった。

 また、矢野は、星野監督だけでなく、野村克也監督の下でもプレーした。これは、平石洋介も同じ。星野と矢野は、中日(1991、96~97年)と阪神(2002~03年)で、監督と選手の間柄だった。野村と矢野は、1999~2001年の阪神だ。平石は、2005~11年に東北楽天で通算122試合に出場。2006~09年(2007年は一軍出場なし)は野村監督、2011年は星野監督に起用された。与田も、故障がなければ、両監督の下で投げていたはずだ。2000年は一軍登板がなかったものの、阪神に在籍していて、当時の阪神の監督は野村だった。そのオフ、与田は選手生活にピリオドを打った。

 野村監督の下でプレーしたことのある監督については、こちらで書いた。その際、野村と与田が阪神で一緒だったことは書かなかったが、記事を読んだ方から、忘れられがちですねとツイートをいただき、もう20年以上も経っているのでそうかもしれないと思い、今回の記事に記した。その方に感謝したい。

「野村克也監督の下でプレーした「監督」は新庄剛志が18人目」

ベースボール・ライター

うねなつき/Natsuki Une。1968年生まれ。三重県出身。MLB(メジャーリーグ・ベースボール)専門誌『スラッガー』元編集長。現在はフリーランスのライター。著書『MLB人類学――名言・迷言・妄言集』(彩流社)。

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