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悪夢のアベノミクスがようやく終焉の時を迎えた

田中良紹ジャーナリスト

フーテン老人世直し録(683)

極月某日

 日銀は20日の金融政策決定会合で、異次元の金融緩和策を修正し、事実上の利上げに踏み切ることを決めた。黒田総裁は「利上げではない」、「大規模緩和の出口を探る意図はない」と強調するが、しかし誰が見ても日銀は第二次安倍政権の看板政策を転換した。つまり「悪夢のアベノミクス」はようやく終焉の時を迎えたのだ。

 前回のブログで「安保3文書」の改定を機に、岸田総理は自民党最大派閥安倍派の解体作業に取り掛かったと書いたが、この異次元の金融緩和の歴史的転換も同じ流れの中にある。安倍元総理が不在となったことで、安倍元総理が作り出した流れは、岸田総理によって次々に作り変えられていく。

 今回は「アベノミクス」の誕生と終焉について考えてみる。世界経済は、2008年9月のリーマンショックで、1929年の「大恐慌」に匹敵する「百年に一度の不況」に陥った。しかし日本では麻生政権末期の09年4月から景気は回復し、8月に誕生した民主党政権の3年間は景気が持続した。

 ところが野田政権末期の12年3月から、欧州債務危機の影響や行き過ぎた円高で再び景気後退に陥る。そこを捉えたのが安倍元総理だ。①大胆な金融政策、②機動的な財政政策、③民間投資を喚起する成長戦略という「3本の矢」を打ち出し、デフレからの脱却を図ると主張した。「アベノミクス」の始まりである。

 後に内閣府の景気動向指数研究会が発表したところでは、12年3月からの景気後退は8か月後の11月に終わり、その後は景気が上向いた。ところが民主党の野田元総理は11月14日に行われた「党首討論」で解散を表明、12月4日公示、16日投開票の総選挙が行われることになった。

 総選挙で自民党は「景気回復」や「円高対策」を前面に立てて戦い、3年ぶりに民主党から政権を奪還する。歴史に「イフ」はないが、もし野田元総理が解散していなければ、「景気回復」の恩恵は民主党政権にもたらされていた。

 しかし安倍元総理は民主党から政権を奪うと、民主党政権時代の日本経済がいかにひどかったかという印象操作を行い、「アベノミクス」に国民の期待を集めるため、「悪夢の民主党政権」というフレーズを何度も繰り返すようになる。

 米国のリーマンショックを新自由主義経済の破たんと見ていたフーテンは、大胆な金融政策で円安・株高に導き、輸出企業を儲けさせることで、富を底辺に滴り落ちるようにする新自由主義の手法では、格差を拡大させるだけで、決して国民を豊かにすることにはつながらないと考えた。

 ところがマネーゲームのギャンブルで成り立つ株式市場は「アベノミクス」を歓迎した。株価がみるみる高騰すると、日本国民は底辺に至るまで熱狂的に「アベノミクス」を支持するようになる。

 フーテンが見てきた米国は、格差を作ることで経済を成長させる。低賃金の移民がどんどん流入するからそれが可能である。「アメリカン・ドリーム」とは、誰にでも成功するチャンスを与え、低賃金労働者の鼻先にニンジンをぶら下げることを言う。みなニンジンを口に入れようと必死に働くがニンジンは口に入らない。そこから生まれた富を得るのは一握りの富裕層だけだ。

 それでも移民は入ってくる。そして物価を下げれば、賃金を上げる必要はないと米国では考える。だから世界中から最も安い物品を輸入する仕組みを作る。それが米国の自由貿易体制の根底にある考えだ。

 つまり移民を使い捨てにしながら繁栄しているのが米国だ。それでも移民は自分の意志で米国に来るのだから使い捨てにされても仕方がないと考える。時には何かのはずみで成功する人間も現れるから夢を捨てる訳にいかない。

 しかし移民のいない日本で、同じ手法で経済成長しようとすれば、日本人の誰かを移民扱いするしかない。自分の意志で日本に生まれたわけでもないのに、ニンジンを鼻先にぶら下げられ、一生懸命働いてもニンジンは口に入らず、同じ日本人なのに上下に分断される。「アベノミクス」はそうした日本人を生み出すとフーテンは予想した。

 だから第二次安倍政権がスタートすると、フーテンは最初から「アベノミクス」を批判した。しかし熱狂する国民には全く聞く耳を持ってもらえなかった。そして戦後の日本がなぜ高度経済成長を成し遂げたのか、その理由を日本人が知らないことにも驚かされた。

 そこで「安倍晋三は祖父の岸信介らが作った日本経済の伝統を根こそぎ破壊する」とブログに書いた。明治大正期の日本経済は現在の米国と同じである。一握りの富裕層が大株主となり、企業の経営者に利益至上主義を命じて高配当を得る。労働者は簡単に首を切られて労働の流動化は激しかった。

 ところが1929年の「大恐慌」で、「革新官僚」と呼ばれる一部の官僚が、「大恐慌」の影響を受けなかったソ連の計画経済に注目する。その「革新官僚」の一人が岸信介だ。配当金を下げて株主の力を削ぎ、企業経営者と従業員を一体化させて家族のような関係にするため、「終身雇用制」と「年功序列賃金」が導入された。

 労働者の福祉に力を入れたのもそのためで、健康保険制度や年金制度が作られた。さらに国家は国民に預貯金を奨励し、企業は銀行から金を借りて事業を起こす仕組みを作る。従って企業は銀行から監督され、銀行は大蔵省から監督される。こうして末端の企業にまで政府の方針が行き渡る。それが戦争を遂行するための「統制経済」の仕組みだった。

 その仕組みが戦後も生き残り、日本の高度経済成長を強力に支え、日本は「世界一格差の少ない経済大国」に上り詰めた。それに脅威を感じた米国は、冷戦が終わるとすぐ日本経済の解体に取り掛かり、岸信介らが作った経済構造を破壊する計画を立てた。その手先となったのが小泉元総理や安倍元総理である。「アベノミクス」は孫が祖父を裏切る政策だった。

 しかし安倍政権のスタート時は米国の経済学者らが「アベノミクス」を称賛した。ノーベル経済学賞を受賞したポール・クルーグマン氏は「素晴らしい」と褒めちぎったが、その翌年には「金融政策ではうまくいかなくなるかもしれない」と修正し、さらに次の年には「アベノミクスは失敗」と否定的見解を表明した。日本のデフレは人口減少によるという見方も示した。

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ジャーナリスト

1969年TBS入社。ドキュメンタリー・ディレクターや放送記者としてロッキード事件、田中角栄、日米摩擦などを取材。90年 米国の政治専門テレビC-SPANの配給権を取得。日本に米議会情報を紹介しながら国会の映像公開を提案。98年CS放送で「国会TV」を開局。07年退職し現在はブログ執筆と政治塾を主宰■オンライン「田中塾」の次回日時:5月26日(日)午後3時から4時半まで。パソコンかスマホでご覧いただけます。世界と日本の政治の動きを講義し、皆様からの質問を受け付けます。参加ご希望の方は https://bit.ly/2WUhRgg までお申し込みください。

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