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平和を目指したはずの憲法9条2項が日本を戦争に向かわせる

田中良紹ジャーナリスト

 5月3日、日本国憲法が施行されて77年が経った。人間なら喜寿を祝うところだが、日本ではこの77年間、憲法を改正しようとする勢力と、改正させまいとする勢力が常に対立してきた。

 対立点となるのは憲法9条である。9条は1項で「国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する」と戦争放棄を謳っている。これには誰も反対しない。

 問題は2項だ。「前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない」と書かれている。しかし日本には陸海空の自衛隊があり、軍事力分析機関によれば世界7位の戦力を持っている。

 そして同盟国が攻撃されれば、集団的自衛権の行使により、日本が攻撃されなくとも自衛隊は反撃することができる。さらに敵国が日本をミサイル攻撃しようとすれば、自衛隊は長射程のミサイルで敵基地を攻撃する能力を持つことになっている。

 9条2項の条文と自衛隊の実態との間に乖離があることは明白だ。しかし乖離はないと政府は言う。国には自衛権があり、急迫不正の攻撃に対し、他に手段がない場合、必要最小限の実力行使は9条に違反しないというのだ。

 確かに国際法で自衛権は認められている。他国から攻撃されても国民が殺されているのを眺めているだけの政府ではどうしようもない。従って自衛の戦争は禁止すべきではない。禁止すべきは他国を侵略する侵略戦争だ。

 9条2項の戦力不保持も交戦権の否定も、自衛戦争ではなく侵略戦争のことを言っていると考えれば理解できる。しかし政府の説明は違う。「必要最小限の実力行使」だから憲法違反にならないというのだ。

 必要最小限の実力行使とは何か。皆さんは分かりますか? 私には分からない。しかしその理屈で自衛隊は集団的自衛権の行使も反撃能力の保有も認められてきた。最近では米軍と指揮統制の一体化が図られ、日本の防衛のためだけだった日米安保は世界規模の軍事協力関係に拡大した。

 これを理解するには9条の成立過程から整理して見直す必要がある。1945年8月、日本は戦争に敗れて武装解除された。日本を占領支配したマッカーサーは天皇制を存続させようとして、天皇制に批判的な他の連合国を説得するため、憲法草案に「戦力不保持」を書き入れた。

 国際法上認められている自衛戦争も日本には認めず、GHQは新聞、ラジオ、映画を使って日本軍国主義の戦争犯罪を宣伝し、国民の意識に「軍隊は悪」を刷り込んだ。そうすれば日本が二度とアメリカに歯向かうことはない。これに首相の吉田茂も同調した。

 憲法を制定する46年の国会で、吉田はこの憲法こそ人類の理想だと主張した。これに対し共産党の野坂参三は「否定されるべきは侵略戦争で、自衛の戦争は認められるべきだ」と主張して論争になった。

 共産党の主張は国際法に適う正当なものだが、吉田はすべての戦争を否定し軍隊を悪とみなした。戦争の悲惨さを痛感し、食うや食わずのどん底だった国民には受け入れやすい主張だった。

 日本政府が自衛隊を憲法違反でないとするのに、「自衛戦争」を根拠にしないのはここに出発点がある。後に政府は「必要最小限の実力行使」という曖昧な制約を設け、それを根拠に違憲でないと主張するが、それは9条の拡大解釈をも可能にする。

 49年、マッカーサーは「独立後の日本は東洋のスイスになることを期待する」と述べ、沖縄を軍事基地化してアメリカ空軍を駐留させ、それが軍隊のない日本を守り、日本は中立国になる構想を打ち出した。

 ところが米ソ冷戦が始まり、50年に朝鮮戦争が勃発すると、アメリカは非武装国家にしようとしていた日本と西ドイツに、一転して再軍備を要求する。西ドイツはそれに応え、憲法を改正して戦前とは異なる民主的な軍隊を作り徴兵制を敷いた。

 一方の日本は吉田が9条を盾に再軍備を拒み、代わりに軍需産業を復活させ、武器弾薬を米軍に提供することで経済復興に利用しようと考えた。日本は戦争特需で好景気となり工業国家になった。これが吉田の「軽武装・経済重視路線」の始まりである。

 日本が高度経済成長を達成したのは「日本人は勤勉だから」と多くの日本人は言う。確かに日本人には上の者に従う国民性がある。しかし労働の生産性は昔から低い。成功の端緒は朝鮮戦争とベトナム戦争の巨額の戦争特需にあると私は思う。

 9条を支持する者の中に「9条のおかげで戦後の日本は弾丸を一発も撃たずに平和国家を維持した」と言う者がいる。しかし9条のおかげで日本人は弾丸を製造して金儲けに走り、アジア人の血の犠牲の上に経済発展を成し遂げた。

 さらに日本は経済成長のために9条を利用してアメリカを騙す仕組みを作り出した。そのため巧妙な政治制度を作り、それに国民も騙され、日本は民主主義とは名ばかりの政権交代なき政治をいまでも続けている。その詳細は後述する。

 アメリカの再軍備要求によって日本は50年に警察予備隊を作った。それは米軍が訓練を施す実力組織で、法的には警察だが内実は軍隊そのものだった。そしてその翌年、日本はサンフランシスコ講和条約で念願の独立を果たしたのである。

 その時点でアメリカの対ソ戦略基地は日本と沖縄にしかなかった。アメリカは日本が独立しても在日米軍基地を存続させる必要があり、そのため「日本を防衛する米軍の配備を希望する」と日本に言わせ、日米安保条約が結ばれた。

 日本には軍隊がないので、相互防衛を行うことができない。そのため日米安保はアメリカが軍隊を日本は基地を提供する「ヒトとモノ」との非対称の関係である。欧州のNATO諸国や軍隊を持つフィリピンと異なり、軍隊のない日本はアメリカに従属するしかなくなった。

 改進党など反吉田派は対米従属から脱するため、自衛の戦争を行う軍事組織を持つべきだと主張した。少数派に転落していた吉田はそれに譲歩し、53年に初めて防衛の任務に就く自衛隊が誕生した。

 この時、私は憲法を改正して9条2項を削除すべきだったと思う。しかし政府は改正ではなく解釈変更を行い、9条2項を残したまま自衛の戦争を認めることにした。そして「軍隊は悪」と刷り込まれた国民から自衛隊が違憲だと言われないように、自衛権発動の三要件を設けて縛りをかけた。

 それが①急迫不正の攻撃があり、②他に手段がなく、③必要最小限の軍事力行使である。その上でこの時、国際法で認められている集団的自衛権を憲法違反と解釈し、それとの対比で個別的自衛権を憲法違反ではないと主張したのである。

 だから2015年に安倍内閣が集団的自衛権の行使を容認したのは何の不思議もない。憲法解釈で違憲と言われたものを合憲にすることは解釈の変更で可能になる。日本は国民が議論に参加し、国民投票で改正するやり方を取らず、国民を参加させない解釈改憲の方法で憲法を変更し続けてきた。

 そこで前述した9条を利用しアメリカを騙した巧妙な政治のトリックを説明する。私は80年代半ばから政治記者となって自民党最大派閥の田中派を担当した。田中角栄は私に「日本の最大の問題は野党がないことだ」と言った。「社会党や共産党は野党ではないのか」と問う私に、田中は「国家経営をやろうとせず、要求をしているだけだ」と答える。

 それでも納得しない私に田中は「選挙で半数を超える候補者を擁立していない」と言った。それで私の目からうろこが落ちた。社会党は半数を超える候補者を擁立せず、共産党は全選挙区に候補者を立てて社会党の足を引っ張る。自民党が万年与党でいられたのは社会党と共産党のおかげだ。

 それを国民に気付かれぬよう、社会党と共産党は憲法改正反対を掲げ、改正させない3分の1の議席獲得を目標にした。吉田と野坂の国会論戦から分かるように9条に手を触れさせないようにしたのは吉田で、野坂は正論を言って改正を求めた。それが逆転したのだ。

 そのカラクリを竹下登が教えてくれた。GHQと吉田によって日本国民は「9条こそが平和への道」と信じ込まされた。そこで野党に護憲運動をやらせれば国民は野党を支持する。それをアメリカに見せつけ、アメリカが日本に軍事要求を強めれば、政権交代が起きてソ連寄りの政権が誕生すると思わせた。

 こうして自民党はアメリカの軍事要求をけん制し、一方で社会党と水面下で手を結ぶ。社会党は半数を超える候補者を擁立せず、ソ連寄りの政権は誕生しない。そして自民党と社会党は経済で協力する。「春闘」という賃上げ方式が力を発揮し、日本は世界一格差の少ない資本主義を実現した。

 85年に日本はついに世界一の債権国に上り詰めた。同じ年にアメリカが世界一の債務国に転落したため、アメリカの逆襲が始まるが、第二次大戦に軍事でアメリカに敗れた日本は、冷戦構造と9条を利用して経済でアメリカに勝利した。それが吉田の「軽武装・経済重視路線」だった。

 しかし冷戦が終わればこのトリックは効かなくなる。アメリカに防衛を委ねていることが致命的なネックとなり、軍事でも経済でもアメリカは日本を思い通りにできる。そう思った私は冷戦が終わる直前からワシントンに事務所を構え、アメリカ議会情報を日本に紹介する仕事を始めた。

 91年12月、ソ連が崩壊してアメリカは唯一の超大国になった。世界を支配するアメリカは自分たちには使命があると考える。民主主義を世界に広めるためには戦争も辞さないとするネオコン(新保守主義)が民主・共和両党に影響力を持った。

 ネオコンの一人であるチェイニー国防長官は92年にDPG(防衛計画指針)を作成し、アメリカの敵として、ロシア、中国、ドイツ、日本の名を挙げた。そこには日本がアジア太平洋で力を持つことを許さないと書かれている。

 世界一格差の少ない資本主義を実現した吉田の「軽武装・経済重視路線」は、冷戦崩壊後に逆回転を始めた。9条を守りアメリカに従属することが冷戦時代には経済を上向かせたが、冷戦後は富の流出を促進する。かつて再軍備を要求したアメリカが日本に9条を守らせる方がアメリカの利益になると考えるようになった。

 93年に就任したクリントン大統領は宮沢喜一政権に「年次改革要望書」を突き付け、日本の経済構造を転換するよう迫ってきた。そしてアメリカは中国を世界市場に招き入れ、IT分野ではアメリカに支えられた韓国と台湾が日本を追い抜き、日本の輸出を支えた電機メーカーが軒並み不振に陥った。

 日本型経営の中枢にいた銀行はバブル崩壊と共に不良債権を抱え、アメリカのハゲタカファンドの餌食となる。アメリカの力で輸出主導型の貿易立国路線も続けられなくなった。アメリカ製兵器の購入に歯止めがかからなくなり、日本を反面教師とする中国は、自前の軍事力を増強し、アメリカと対峙するようになる。

 吉田の「軽武装・経済重視路線」は、今や「重武装・経済軽視路線」に転じたと思う。そして唯一の超大国アメリカも、ネオコンが主導した「テロとの戦い」に失敗し、その力が急速に衰えた。

 オバマもトランプも「世界の警察官をやめる」と言い、バイデンもアフガンから軍を撤退させ、アメリカが作った政権を見捨てた。ウクライナでも兵器を送るだけで、軍を介入させることはできない。

 台湾有事でアメリカは日本の自衛隊の役割を強調するが、核を持つ中国との戦争にアメリカがどれほど本気で取り組むのか私は疑問である。もしトランプが大統領に復活すれば、「戦争を終わらせ、戦争をやらない大統領」になる可能性がある。

 そうなれば世界はアメリカ一極支配に終止符を打ち、民主主義を世界に広めようとするアメリカの使命感から解放され、多様な価値観が共存する新たな時代を迎える。

 そうした時に、第二次大戦の敗戦国として自衛戦争も認められなかった日本が、アメリカ従属体制から脱するのは当たり前の話だと思う。そうしないと力の衰えたアメリカが日本を戦争の前面に立たせるため、9条の解釈変更を迫ってくる可能性がある。

 憲法は解釈変更ではなく国民が議論し、国民投票で変更するのが民主主義の政治である。マッカーサーは独立後の日本を「東洋のスイス」にしたかったと書いたが、そのスイスでは172年間に630回も国民投票が実施された。国民は頻繁に政策課題に意思表示をする。

 そしてスイスは200年以上も戦争をしない平和国家である。平和を維持する道具は「戦力不保持」や「交戦権の否定」を盛り込んだ平和憲法ではない。自分で自分の国を守り、どの国とも同盟関係を持たない永世中立国だからである。

 非武装中立ではなく武装中立だから平和が維持できる。日本はマッカーサーが構想した「東洋のスイス」を目指すべきではないか。

ジャーナリスト

1969年TBS入社。ドキュメンタリー・ディレクターや放送記者としてロッキード事件、田中角栄、日米摩擦などを取材。90年 米国の政治専門テレビC-SPANの配給権を取得。日本に米議会情報を紹介しながら国会の映像公開を提案。98年CS放送で「国会TV」を開局。07年退職し現在はブログ執筆と政治塾を主宰■オンライン「田中塾」の次回日時:11月24日(日)午後3時から4時半まで。パソコンかスマホでご覧いただけます。世界と日本の政治の動きを講義し、皆様からの質問を受け付けます。参加ご希望の方は https://bit.ly/2WUhRgg までお申し込みください。

「田中良紹のフーテン老人世直し録」

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「フーテン老人は定職を持たず、組織に縛られない自由人。しかし社会の裏表を取材した長い経験があります。世の中には支配する者とされる者とがおり、支配の手段は情報操作による世論誘導です。権力を取材すればするほどメディアは情報操作に操られ、メディアには日々洗脳情報が流れます。その嘘を見抜いてみんなでこの国を学び直す。そこから世直しが始まる。それがフーテン老人の願いで、これはその実録ドキュメントです」

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