フーテン老人世直し録(607)

長月某日

 メディアは連日自民党総裁選を取り上げ、誰が次の総理になるかを論じているが、核心を突く議論にお目にかかったことがない。この総裁選は誰がキングになるかより、誰がキングメーカーになるかが焦点なのだ。

 そして我々の目の前にあるのは、それぞれの候補者の政策がどう違うかというレベルの話ではない。自民党の中に世代交代という「革命」が起きるのかどうか、政治生命をかけた党内闘争が繰り広げられているのである。

 一般の方には世代交代が「革命」と言われてもピンとこないと思うが、権力を握っている政党内部における世代交代は、それまで権力を掌握してきた体制の崩壊を意味する。つまり8年8か月続いた安倍―麻生体制が、世代交代によって崩壊するかどうかの局面を迎えている。それが今回の自民党総裁選だ。

 民主主義は与党と野党が選挙で権力の奪い合いをする。国民が参加する選挙は国民にも分かりやすい。しかし55年体制時の日本では、野党第一党の社会党は権力を奪うことを放棄、つまり候補者全員が当選しても政権交代が起きないようにし、ひたすら憲法改正させないことだけを目標とした。

 その時代の権力の奪い合いは、自民党の5派閥が総裁選を戦う形で行われ、勝利した派閥のリーダーが総理になる。総理は、総裁選を戦った相手の派閥からも閣僚を登用し権力をおすそ分けする。いわば連立政権の形をとることで政権の安定化が図られた。

 野党は権力闘争の外にいて、本来の野党の役割を放棄しているのだが、国民にそれを気付かれぬよう、政府与党を激しく批判し、あるいは審議を止めて抵抗する姿を見せつけ存在感を示した。野党が権力奪取を放棄したことから、日本では自民党内で独特の疑似的政権交代が行われていたのだ。

 一方、ロッキード事件で逮捕された田中角栄は無実を訴え、派閥を膨張させて数の力で日本政治を支配し、無罪を勝ち取ることを考えた。つまり自民党総裁選で自分の派閥から候補者を出さず、他派閥の候補を担ぐことでキングメーカーになるのである。

 そのため総理になろうとする者は角栄にひざまずいて支持を得るしかない。そして総理になった後も何事も角栄の協力を得なければ政権運営ができない。この田中支配は1985年2月に角栄が病に倒れるまでおよそ9年続いた。それは日本政治に閉塞状況を生み出す。それを打破したのは田中派内部の世代交代の声だった。

 最初に声を上げたのは金丸信だ。竹下登を総理候補にしようとして角栄を激怒させた。そのため金丸も竹下も「雑巾がけ」を命じられ、政治の表舞台から遠ざけられた。しかし世代交代を求める声は消えず、1984年12月、秘密が漏れないようごくわずかの人間だけが集まり、「創政会」という勉強会の結成につなげる。それは政治生命をかけた決死の行動だった。

 「創政会」の結成が表面化した直後、フーテンは角栄と目白の私邸で面談した。角栄は静かな口調だがきっぱりと「世代交代は革命だ。保守党の中の革命だ。革命は成功しない。俺が潰してみせる。よく見ておけ」と言った。その言葉は嘘ではなかった。

 通常国会の予算審議が野党の抵抗でびくとも動かなくなる。するとどこからともなく竹下大蔵大臣と金丸幹事長の責任を追及する声が出てくる。2人をクビにしない限り予算は成立しないと言われる。中曽根総理も角栄側に付いて2人は切り捨てられるという噂が流れ、金丸幹事長は追い詰められた。

 この時、フーテンは野党が角栄と結託し予算審議を止めていることを知った。野党は自民党内の権力闘争に一枚かむ存在で、角栄の秘密応援団は社会党左派と公明党だった。だが創政会結成に対する心労から角栄は病に倒れ、すると金丸・竹下包囲網はみるみる消えて、予算は支障なく成立した。そして田中が握っていた権力は中曽根と金丸に移った。

 フーテンには現下の政治情勢がこの時とダブって見える。9年間の田中支配で日本政治は閉塞状況に陥り、しかし田中派内から上がった世代交代の声が角栄を追い詰め、角栄が病に倒れて派閥偏重の日本政治に風穴があいた。

 8年8か月の安倍―麻生体制は、「ナチスを真似た」民主主義の手法で憲法を無力化しようとする政治である。そのため安倍前総理は勝てる時に解散する方法で自派閥の数を増やし、安倍―麻生の2派閥で自民党の4割を確保する。そこに岸田派を取り込めば過半数を超える。

 岸田政権を傀儡にし、憲法改正の露払いをやらせ、その後に3度目の安倍政権を誕生させれば、安倍―麻生体制は田中支配の9年を超え、日本政治史上最長の権力体制を実現することになる。そのためには派閥の数を減らさないことが絶対条件だ。

 安倍前総理は岸田政調会長に政権を「禅譲」することでその野望を実現しようとした。それを阻んだのは菅官房長官と二階幹事長である。公明党も参画して岸田政調会長のコロナ対策を覆し、国民一人当たり10万円給付を実現させた。

 そこで安倍―麻生体制は1年限定での菅政権の誕生に舵を切る。すると菅総理はグリーンとデジタルという中長期の政策課題を掲げ、その担当に河野太郎、小泉進次郎という若手を登用し、世代交代の可能性を見せて安倍―麻生体制に対抗した。

 一方で選挙を取り仕切る二階幹事長は「何度でも選挙をやる」と豪語し、二階派を増やして安倍―麻生体制の数の優位を崩そうとする。安倍―麻生連合にとって二階幹事長は自分たちの野望を阻む最大の障害となった。

 ここに安倍―麻生連合と菅―二階連合の戦いが始まる。しかし安倍―麻生連合はコロナ禍の最中に総理を代えることまでは考えていなかったと思う。菅総理の続投は認めるが二階幹事長を交代させろと要求する。自分たちが推す甘利幹事長にすれば安倍―麻生連合の数が減る選挙にはならない。

 それは菅総理からみれば傀儡になれと言われているようなものだ。菅総理は二階幹事長交代を飲むように見せて、そうなれば安倍―麻生連合が最も嫌がる石破茂、河野太郎、小泉進次郎のいずれかを幹事長にするとけん制した。石破、河野、小泉トリオの後ろには菅―二階連合がいる。

 一方、安倍―麻生連合の要求を受け入れた岸田前政調会長が総裁選出馬を表明すると、総裁選は現職の菅対岸田の戦いの構図となる。そうなれば安倍―麻生連合の数の優位が決定的だ。すると菅総理は小泉進次郎に出番を与えたうえで総裁選不出馬を表明し、世代交代を前面に押し出してきた。

 つまり河野太郎を総理に担ぐことで、自民党政治の安倍―麻生連合からの脱却、角栄の言う保守党内の「革命」に打って出たのだ。河野が勝てばキングメーカーは菅総理である。そこで安倍―麻生連合はキングメーカーの座から転落する。それは8年8か月権力の座にあった安倍―麻生連合の終局を意味する。