フーテン老人世直し録(591)

水無月某日

 東京五輪開催まで1か月を切った6月24日、宮内庁の西村泰彦長官は記者会見で、天皇陛下が新型コロナウイルスの感染状況を心配されているとしたうえで、「国民に不安の声がある中で、ご自身が名誉総裁を務めるオリンピック、パラリンピックの開催が感染拡大につながらないか懸念されていると拝察している」と述べた。

 五輪憲章では開催国の元首が開会式で、「わたしは、第〇回近代オリンピアードを祝い、(開催地名)オリンピック競技大会を開催することを宣言します」という文章を読み上げることになっている。つまり天皇は開会宣言を行わなければならない。

 1964年の東京大会と72年の札幌大会では昭和天皇が、98年の長野大会では平成の天皇、現在の上皇が開会宣言を行った。来月開かれる東京大会では現在の天皇が開会宣言を行うことになる。

 しかし現状は、多くの国民が東京五輪開催に釈然としないものを感じている。今さら中止にはできないだろうと思いつつ、納得する説明を聞かされた覚えがないからだ。関係者は「安全・安心の大会に向けて努力する」と壊れたレコードのように繰り返すだけで、国民が抱いている疑問を解消する努力を見せない。

 そうした中で祝意を述べなければならない天皇は、苦しい立場に追い込まれているように見える。象徴天皇として国民と共にある姿勢を大事にする立場なのに、国民に犠牲的精神を強いる東京五輪に祝意を述べなければならないからだ。天皇は心の痛みを感じている。その訴えを表現したのが宮内庁長官の記者会見だったとフーテンは受け止めている。

 この会見を伝える新聞各紙の扱いはみな小さかった。天皇の発言が政治利用されることを恐れたためだとフーテンは思った。そして各紙とも宮内庁長官の言葉と並んで、加藤勝信官房長官の「宮内庁長官自身の考え方を述べられたものと承知している」という発言、また武藤敏郎東京五輪組織委事務総長の「一般的な話で、現状どこかに問題点があるとは理解していない」との発言を紹介している。

 いずれも天皇自身の言葉ではないとして天皇と切り離し、さらに具体的な問題提起ではないと「無視」する姿勢を鮮明にした。憲法上、天皇の政治的発言は許されないので、当たり前と言えば当たり前の反応だが、しかしあまりにも「建前」に徹し過ぎ、天皇の心の痛みを軽く見ているとフーテンは感じた。

 そしてフーテンが驚いたのは、天皇の五輪開会式出席がまだ「調整中」だというのである。開会式まで1か月を切る中で「調整中」とは何を意味するか。開会式に名誉総裁である天皇の出席が決まっていないことで、フーテンには様々な想像が生まれる。

 例えば、現状では1万人を上限として有観客で東京五輪は行われる。開会式には観客と同程度の五輪関係者1万人が会場入りすると言われる。その中には各国元首など世界のVIPがいるため、天皇は出席せざるを得ないだろう。しかし国民よりスポンサーなど大会関係者が優先される中に天皇が参加することを、天皇自身はどう思われるのだろうか。

 もし感染拡大で五輪開会式が無観客になれば、天皇も会場には入らず、リモートで開会宣言を行う可能性が出てくる。天皇皇后両陛下は5月に行われた全国植樹祭にリモートで参加されたので、心の中ではリモートでの参加を望まれているのかもしれない。しかしそのためには無観客で行われることが前提になる。

 ところがIOC(国際五輪委員会)をはじめ五輪関係者は無観客の開会式を考えていない。無観客にすれば「コロナに負けた」ことが証明されてしまい、それを恐れているからだと言われる。

 いやそうではなく、無観客にすれば来場者は大会関係者だけになり、一部の特権階級だけが参加する五輪の姿が世界に発信される。それが五輪のイメージダウンにつながることを恐れているとの解説もある。

 いずれにしても天皇皇后両陛下の開会式への出席がまだ決まっていないということは異常な事態である。そして今回の宮内庁長官のニュースは既に世界に発信された。米国のワシントン・ポスト紙は「東京五輪は不信任決議を受けた」と報じたが、フーテンはそれよりも天皇の心の痛みが各国元首らに伝わり、それが東京五輪に影響する可能性があるのではないかと思う。

 天皇の心の痛みを世界のリーダーや有識者は果たして「無視」するだろうか。そしてもちろん国内でも、東京五輪を推進してきた与党政治家は「無視」の姿勢だろうが、庶民の心の中には天皇の心の痛みが響く可能性があるのではないか。

 日本では天皇の政治的発言を厳しく制約し、それは国民主権の立場から当然すぎることではあるが、しかし世界には、民主主義が政党政治によって機能不全に陥り、国民の利益にそぐわなくなった時、君主の判断が民主主義を前進させた歴史もある。

 例えば、英国の議会政治は700年の歴史を持つと言われるが、つい100年ほど前までは、世襲の貴族院が国民の選挙で選ばれる庶民院より上位にあった。庶民院で決定されたことは簡単に貴族院でひっくり返された。それが今では、法案を決定するのは庶民院で、貴族院に決定権はない。

 貴族院は庶民院が決めた法律を1年間施行させない権限だけが認められる。その議会改革を主導したのは1908年に首相になったハーバート・ヘンリー・アスキスだが、当時の国王ジョージ5世がこの改革に重要な役割を果たした。

 ジョージ5世は「君臨すれども統治せず」という立憲君主制の基本を、皇太子時代の昭和天皇が英国を訪問した際、自分の息子のように世話をして、懇切丁寧に教えたことで知られている。