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「卒業式のため」避難所スペース縮小 「罹災証明書出ない」まま町外へ…震災2カ月の能登町松波地区の現状

関口威人ジャーナリスト
40人余りが避難生活を続ける石川県能登町の松波中学校体育館=3月3日、筆者撮影

 能登半島地震の発生から2カ月が経ったタイミングで、約1カ月ぶりに石川県能登町などを訪ねた。避難所環境や街の様子が少しずつ変わる中、罹災証明書の発行手続きなどはなかなか進んでいない。住民はもどかしい思いを抱えながら前に進もうとしていた。

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体育館を半分空けてピアノなどが置かれる

 珠洲市と接する能登町の東端・松波地区で地震発生直後から避難所となっている松波中学校。当初は600人ほどの避難者でぎっしりだったが、1カ月後には70人ほどとなり、今は44人にまで落ち着いた。

 「発生直後は足の踏み場もなくてすごかった。あの頃に比べれば今は人も少なくなって、きれいになってよかった」と避難を続けてきた女性はこの2カ月間を振り返る。

 この日(3月3日)は午前中、体育館で段ボールの壁を移動したり撤去したりして避難所スペースを縮小する作業が行われていた。「小中学校の卒業式のため」なのだという。

松波中学校の体育館では、小中学校の卒業式のために段ボールの避難所スペースを縮小し、舞台側にピアノなどを置く作業が行われていた=3月3日、筆者撮影
松波中学校の体育館では、小中学校の卒業式のために段ボールの避難所スペースを縮小し、舞台側にピアノなどを置く作業が行われていた=3月3日、筆者撮影

小学校は使えず、中学で避難者も「式見守る」

 松波中学校では9日に卒業式が予定されている。さらに15日には松波小学校の卒業式も、同じ中学校の体育館で行われる。松波小は地震で校舎やグラウンドの損壊が激しく、授業ができない。小学生は3学期開始以来、小学校ではなく中学校に通い続けている。

 一方で、中学校にはこれだけの避難者がまだ残っている。学校側は体育館の避難スペースを半分空けてもらい、避難所と教育現場との「共存」を図ることにしたのだという。

 舞台側から奥の方へ“引っ越し”をした70代の男性は「卒業式当日は避難所の我々にも式を見守ってほしいと言われたので、ここで見ていようと思う。自分もこの学校の卒業生なので」と笑った。

 ただ、これは決して美談ではない。こうした避難所環境にならざるを得ない、日本の災害対応の大きな課題が見えていると言えるだろう。

校門までの道からグラウンドにまで大きなひび割れが発生した松波小学校。児童たちは300mほど離れた中学校に通い続けている=3月3日、筆者撮影
校門までの道からグラウンドにまで大きなひび割れが発生した松波小学校。児童たちは300mほど離れた中学校に通い続けている=3月3日、筆者撮影

町外のアパートへ一時転居、「いずれまた松波に」

 ペットの犬と一緒に避難を続けてきた70代の夫婦と30代の長男の一家は、ようやく町外のアパートに入ることが決まったという。

 「ペットもOKのアパートがようやく見つかり、少し遠いですが入ることに決めました。アパートの近くには買い物する店も母の持病の検査ができる病院もあるらしいので。先が見えて少しほっとしています」と息子さん。

 「いずれ松波で仮設住宅が出来たらまたこっちに引っ越してきたい。母親たちはやっぱり住み慣れた地域の方がいいですから」。自身も地元の介護施設での仕事を休職中だが、松波に戻ったらまた仕事を再開するつもりだ。

  ただし、申請した罹災証明書がまだ手元に届いていないという。

 「罹災証明が出ないうちは普通のアパート暮らしとして家賃を払い、出れば『みなし仮設』になる。ちゃんと対応してもらえると言われているけれど、実際に出してもらえるまでは不安です」と明かす。

 能登町役場によれば、罹災証明書の交付率は3日時点で約63%。既に70%を超えている隣の穴水市や、申請自体を制限しているものの8割に交付されている輪島市と比べて、遅れが指摘されている。

 担当の税務課職員は「人手不足もあり、申請内容のチェックやシステムへの入力などに手間取っているのは確か。しかし郵便事情も改善されているので、これから町民の手元に届いていくはず」だと話す。

 一方、松波地区では応急仮設住宅もまだ建設場所すら決まっていない。小学校のグラウンドをはじめ、まとまった土地が使えないことが影響しているようだが、入居の申し込みは1月末に締め切られている。「何もかも遅い気がして…」。息子の傍らで母親はこぼした。

津波にさらわれた街で悩み続ける人たち

津波の被害が激しい白丸地区。海に流されていた建物の一部は撤去されていたが、大半の建物や瓦礫は手つかずのままだ=3月3日、筆者撮影
津波の被害が激しい白丸地区。海に流されていた建物の一部は撤去されていたが、大半の建物や瓦礫は手つかずのままだ=3月3日、筆者撮影

 白丸や布浦といった漁港を中心に津波の被害が大きかった松波地区。1階部分が津波にさらわれたが、建物自体は構造を保っているため2階で住み続けている住民も少なくない。

 1カ月前、車中泊をしていた公民館長の滝田敦夫さん(69)もその一人だ。ボランティアに2度来てもらって1階はある程度片付き、2階で寝られるようになった。電気や水道も通った。

 これから徐々に家を直していきたいが、やはり「罹災証明が出ないから応急修理でいくら費用を出してもらえるか分からない」という。「そもそも大工も忙しいし、工場(こうば)も被災してしまったらしいからいつ来てもらえるか」と苦笑いする。

 周りでは公費解体を希望する住民もいるが、そのためには原則、家財をすべて運び出したり処分したりしておかなければならない。そのための人手や労力をどう確保するか、津波で海に流された所有物はどこまで回収するか。

 「みんなそんなことを真剣に考えているよ」と滝田さん。片付けなどの作業だけでなく、こうした生活相談にのれる人手も求められていると言えそうだ。

能登町松波地区を中心とした位置関係図(筆者作成) 沿岸の赤い部分は日本地理学会の調査報告を参考に筆者が取材で確認した津波浸水被害の激しい地域
能登町松波地区を中心とした位置関係図(筆者作成) 沿岸の赤い部分は日本地理学会の調査報告を参考に筆者が取材で確認した津波浸水被害の激しい地域

ジャーナリスト

1973年横浜市生まれ。早稲田大学大学院理工学研究科(建築学)修了。中日新聞記者を経て2008年からフリー。名古屋を拠点に地方の目線で社会問題をはじめ環境や防災、科学技術などの諸問題を追い掛ける。2022年まで環境専門紙の編集長を10年間務めた。現在は一般社団法人「なごやメディア研究会(nameken)」代表理事、サステナブル・ビジネス・マガジン「オルタナ」編集委員、NPO法人「震災リゲイン」理事など。

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