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那須川天心、ボクシング2戦目も判定完勝。それでもファンが納得しない理由─。

近藤隆夫スポーツジャーナリスト
ボクシング2戦目でメキシコ王者に判定完勝した那須川天心(写真:藤村ノゾミ)

高過ぎるファンの期待値

「無事に2戦目を勝つことができ、多少はホッとしています。課題というか、次に進むステップが見えた試合でした。まだまだこれから成長できる。これに満足せず、さらに経験を積んでもっと強くなっていきたい」

「前回と比べればドッシリと構えられ思った通りの動きができるようになったが、1ラウンドにダウンを取った後に迷ってしまった。僕のスタイルは打って打って、相手が返してきた時に(カウンターで)合わせるというもの。でも相手が(ガードを固めて)何もしてこなかったので戸惑った。(ラウンド間に)『どうやって攻めればいいですかね』とセコンドに聞いていましたから。その辺りがKOできなかった理由かな」

試合後に、那須川天心(帝拳)は、そう話していた。

9月18日、東京・有明アリーナ『Prime Video Presents Live Boxing 5』のセミファイナルに出場した那須川は、メキシコ・バンタム級王者ルイス・グスマンと対戦し、2度のダウンを奪い判定完勝を収めている。これでボクシング2連勝。

「この5カ月間の成長を見せたい」と戦前に彼は話していたが、これも見て取れた。

パンチの打ち方、ヒットさせるタイミングの取り方は明らかに変わっていたし、デビュー戦の時よりも相手を倒そうとする気持ちも強く感じられた。

KOには至らなかったが、文句なしの勝利。ボクシング2戦目でメキシコ王者を完封した(ジャッジ3者が80-70)のだから賞賛に値しよう。

試合後、プレスルームで報道陣からの質問に答える那須川天心。右は粟生隆寛トレーナー(写真:SLAM JAM)
試合後、プレスルームで報道陣からの質問に答える那須川天心。右は粟生隆寛トレーナー(写真:SLAM JAM)

だが、試合後にこんな声も多く聞かれた。

「あれだけ攻めていたのに、なぜKOできないのか?」

「パンチが軽いのか? 判定勝ちばかり見せられても面白くない」

これはボクシングに限ったことではなく『RIZIN』などのMMA(総合格闘技)でも同じだが、ファンは判定決着ではなく派手なKO勝利を求める。

だから那須川は、勝利したことと自分の成長を実感できたことには満足しながらも、ファンの期待に応え切れなかったことを幾らか悔やんでいた。

勝ち方だけではない。

那須川に対する観る者の期待値が高過ぎるように感じる。

那須川は、キックボクシング界のスターだった。42戦無敗の実績を引っ提げボクシング界に乗り込んだのだ。単なる新人ではない。

だからこそ「キックボクシングでの強さを、ボクシングでも早く体現して欲しい」とファンは願い、早急に結果を求め焦れているのだ。

キックボクサーから世界王者に

キックボクサーからボクシングの世界王者に─。

このパターンが、圧倒的に多いのはタイである。歴代の世界王者の多くがムエタイ出身だ。

もうかなり昔の話になるが、1975年に元ムエタイ王者(ルンピニースタジアム・スーパーライト級王者)だったセンサク・ムアンスリンは、プロボクシング転向3戦目でWBA世界スーパーライト級王座に就き長期政権を築いた。

那須川がボクシング転向を表明した時、この記録に並ぶことを期待した者は多かったし、私も「可能性はある」と思った。だが、これは現時点で現実的ではない。

破天荒な男もいた。

86年1月にルぺ・ピントール(メキシコ)を5ラウンドKOで破りWBC世界スーパーバンタム級のベルトを腰に巻いたサーマート・パヤカルン。

長身で手足も長く、類稀な身体能力を誇っていた彼は、ムエタイから大きくスタイルチェンジをすることなくボクシングのリングに上がっていた。

これはサーマートが2度目の防衛戦でジェフ・フェネク(豪州)に敗れWBC王座を明け渡した後のことだが、当時バンコクで暮らしていた私はパタヤのジムで練習する彼のもとを幾度も訪ねた。

決して練習熱心とは言えないサーマートだったが、驚くことに彼はボクシングとムエタイのスパーリングを交互に行っており、いずれにおいても無類の強さを発揮していた。

ジムの庭に置かれたハンモックに寝そべりながらサーマートは私に言った。

「同じだよ、ボクシングもムエタイも。リングに上がれば集中して相手をぶっ倒しにいくだけだから」

もう一人いた、サガット・ぺッティンディー。

日本のリングにも上がったことのある彼は世界チャンピオンではなかったが、80年代後半にボクシングのOPBF(東洋太平洋)ライト級王座とムエタイのルンピニー同級王座を同時に保持し、防衛戦も交互に行っていた。つまりは”二刀流”である。

そんな例もあったから、ファンはキックボクシングでの強さそのままにボクシングでも圧倒的な強さを見せ続ける那須川を求めた。

だが、彼が選んだ道はそうではない。

”スタイルそのまま”でも”二刀流”でもなく、一度キックボクシングを離れカラダもつくり直し一からボクシングに取り組んでいるのだ。確実な強さを求めて階段を一歩ずつ昇っている。

ならば時間はかかろう。

帝拳ジムの本田明彦会長は試合後に次のように話していた。

「(那須川に)才能があることは間違いない。世界チャンピオンにしてみせる。ただ時間はかかるよ。じっくりと育てたい。あと6戦は課題を伴ったマッチメイクで実績を積ませ(世界戦は)その先です」

大輪の花を咲かせるのは2年後か。焦らずに神童の進化を見守ろう。

ボクシング3戦目は、来年1月に予定されている。

スポーツジャーナリスト

1967年1月26日生まれ、三重県松阪市出身。上智大学文学部在学中から『週刊ゴング』誌の記者となり、その後『ゴング格闘技』編集長を務める。タイ、インドなどアジア諸国を放浪、米国生活を経てスポーツジャーナリストとして独立。プロスポーツから学校体育の現場まで幅広く取材・執筆活動を展開、テレビ、ラジオのコメンテーターとしても活躍している。『グレイシー一族の真実』(文藝春秋)、『プロレスが死んだ日。』(集英社インターナショナル)、『情熱のサイドスロー~小林繁物語~』(竹書房)、『伝説のオリンピックランナー”いだてん”金栗四三』、『柔道の父、体育の父  嘉納治五郎』(ともに汐文社)ほか著書多数。

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