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那須川天心は、なぜプロボクサーに転向したのか? その悲しき背景─。

近藤隆夫スポーツジャーナリスト
4月8日にプロボクシングのリングに上がる那須川天心(写真:東京スポーツ/アフロ)

競技間に存在する格差

「キック(ボクシング)よりもボクシングの方が凄いとは、まったく思っていない。両方とも素晴らしい競技。ただ、ボクシングはさらに伝統があって、(世界王座認定主要組織は)4団体あるが、コミッションは1つ。競技として整備されているイメージはある」

「(プロテストは)ニュースでも放送され、また多くのテレビ局も取り上げて頂き凄く嬉しかった。キックの時は、一度もニュースで放送されなかったから悔しさはありました」

2月13日、ザ・リッツ・カールトン東京で開かれたデビュー戦発表記者会見と、その後の囲み取材で那須川天心は、そう口にしていた。

聞きながら私は、少し寂しい気持ちになった。

那須川天心は、キックボクシングよりもボクシングの方が競技性が優れていると感じて転向するわけではない。本当は大好きなキックボクシングを離れたくはない、できればキックボクサーのままでいたかったのだろう。

改めて、そう感じたからだ。

では、なぜ那須川はプロボクサーに転向するのか?

「僕の人生は、挑戦しかない。ずっとチャンピオンでいるのは好きではないし、そういう人生を送りたくない。新しいことに挑戦し、どの競技でも極められるところを見せたい」

那須川は、そう言って前を向く。

だが、転向の背景には悲しき現状がある。

それは、ボクシングとキックボクシングの置かれている状況の違いだ。世界的に見てボクシングはメジャー競技、対してキックボクシングはマイナー競技なのである。

まず競技人口において大きな開きがあり、アマチュアを含めれば比率は「100:1」ともいわれる。

ボクシングはオリンピック競技であり、そのため世界各国に競技連盟、コミッションが存在、プロにおいても国内王者を決められる状態にある。

対してキックボクシングは、統一機構を持たない国がほとんど。日本もそれに当てはまり、K-1、RISE、KNOCK OUTなど団体は数あれどボクシングのようなコミッション制度は確立されていない。よって全団体を通しての日本王者を決められない状況なのだ。

「世界王座」が存在しないキック界

いま、プロボクシングには、世界王者を認定する主要団体が4つある。

WBA(世界ボクシング協会)、WBC(世界ボクシング評議会)、IBF(国際ボクシング連盟)WBO(世界ボクシング機構)。

世界王者が4人もいては、その中での最強は誰なのかとなるが、井上尚弥のように4団体統一王者となれば「バンタム級世界最強」を名乗れ、国内外から多大な注目を集めることができる。

だがキックボクシングの場合、そうはいかない。ボクシングのように選手なら誰もが目指す「世界王座」が存在しないのだ。

WKA(世界キックボクシング協会)、ISKA(国際スポーツキックボクシング協会)といった世界王座を認定している団体はあるが、実際のところ運営機能が果たされておらず有形無実の状態。これらの団体のベルトを獲得しても、その選手を最強と認知する者はほとんどいない。

ムエタイのルンピニー、ラジャダムナン両スタジアムの王座には権威はある。しかし、ムエタイとキックボクシングではルールと採点基準が異なる。キックボクシングでは強くてもムエタイでそうであるとは限らず、逆も然りである。加えてムエタイ王者になったとしてもファイトマネーは安価で、世界的認知度も決して高いとは言えない。

昨年6月19日、東京ドームのリングで武尊からダウンを奪い勝利した那須川天心。この試合がキックボクシングでのラストファイトとなった(写真:藤村ノゾミ)
昨年6月19日、東京ドームのリングで武尊からダウンを奪い勝利した那須川天心。この試合がキックボクシングでのラストファイトとなった(写真:藤村ノゾミ)

あるか!? 闘いの「第3章」

私は、フリーファイト(規制事項を可能な限り廃した闘い)を念頭に置いた場合、ボクシングよりもキックボクシングの方が、より実戦的な格闘技だと思っている。闘い模様もスリリングだと感じる。

しかし、ルール統一を含めての競技完成度、運営組織の統制においてはボクシングに劣っている。また、国際的認知度、それに比例してのファイトマネーもボクシングの方が明らかに上位なのである。つまりは世界のトップに立った時に、稼げて人気者になれるのはボクシングの方なのだ。

そんな状況下で、さらなる輝きを求める那須川はボクシングへの転向を決めた。

昨年6月、東京ドームでの『THE MATCH2022』武尊戦は大いに盛り上がった。しかし、これはスペシャルな一戦であり、それ以外の舞台において那須川は対戦相手にも恵まれなかった。

一昨年大晦日、『RIZIN』での最終戦も対戦相手がなかなか決まらず、結局は総合格闘家・五味隆典とのエキシビションマッチに。また『RISE』での卒業試合も同門の後輩・風音に胸を貸すしかなかったのだから。

那須川がボクシングのリングでも無敗を貫けるかどうかはわからない。それでも、世界王者とその先の飛躍を彼は必死に目指す。

「世界をアッと驚かせたい」

そう話す神童の可能性を信じ、見守りたい。できることなら井上尚弥との対峙まで辿り着いて欲しいと思う。

そして、ボクシングでの闘いを終えた後、彼が再び大好きなキックボクシングのリングに立つことを私は望んでいる。

現在24歳。まだ時間は十分にある。那須川天心の闘い「第3章」は、きっとある。

スポーツジャーナリスト

1967年1月26日生まれ、三重県松阪市出身。上智大学文学部在学中から『週刊ゴング』誌の記者となり、その後『ゴング格闘技』編集長を務める。タイ、インドなどアジア諸国を放浪、米国生活を経てスポーツジャーナリストとして独立。プロスポーツから学校体育の現場まで幅広く取材・執筆活動を展開、テレビ、ラジオのコメンテーターとしても活躍している。『グレイシー一族の真実』(文藝春秋)、『プロレスが死んだ日。』(集英社インターナショナル)、『情熱のサイドスロー~小林繁物語~』(竹書房)、『伝説のオリンピックランナー”いだてん”金栗四三』、『柔道の父、体育の父  嘉納治五郎』(ともに汐文社)ほか著書多数。

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