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ネット中傷への法規制、議論が本格化――「木村花さん問題」を受けた対応に求められる熟慮

志田陽子武蔵野美術大学教授(憲法、芸術関連法)、日本ペンクラブ会員。
「その発言、投稿しますか? その発言で他者の権利が侵害された場合は…」(写真:ペイレスイメージズ/アフロイメージマート)

法規制を求める議論の高まり

女子プロレスラーの木村花さん(享年22)が23日、亡くなった。テレビ出演上での発言に関して、木村さんを非難する中傷が激化したことが理由と言われている。こうした表現は今、「ネットいじめ」、「ネットリンチ」と呼ばれるが、これを防止する策が、法制度化という形で、国会の場で取り上げられる見通しとなった。海外の事例を参考に、SNSのサービスを提供するプラットフォーマーに一定の責任を課す方法や、誹謗中傷した人への罰則を設けるなどの法整備を検討する、とのことである。

ネット上の誹謗中傷、規制検討へ 与野党「ルール化必要」 木村花さん急死で(毎日新聞2020年5月25日)

事件と法規制の議論がセットで高まっている…(TBS系ニュース 5/25より)
事件と法規制の議論がセットで高まっている…(TBS系ニュース 5/25より)

ネット暴力 与野党で対応協議へ  (TBS系ニュース 5/25)

起きた出来事自体は痛ましい出来事であり、こうしたことをもう起こしてはならない、という思いを筆者も強く持っているが、その痛ましさに寄り添う論説は多くの良記事が投稿されているのでそちらに譲り、本稿は、これを受けた法規制の議論がどうあるべきか、どこに向かってはならないか、という視点から書く。

この件では、菅官房長官も25日の記者会見で答え、4月からすでに始まっている総務省の研究会での議論に言及した。

ネット中傷、「適切に対応」 菅官房長官(時事通信5/25)

4月23日の報道資料 「発信者情報開示の在り方に関する研究会」の開催

この件は、木村花さん1名の問題としてではなく、ネット中傷全般の問題として、メディアでも次々に取り上げられ、政治家、著名文化人・芸能人の発言も相次いでいる。

蓮舫氏、きゃりー応援 ネットでの攻撃「やめよう」(日刊スポーツ2020年5月25日)

(日刊スポーツ2020年5月25日)
(日刊スポーツ2020年5月25日)

ツイッターでも、こうした誹謗中傷に対応できるような法制度の整備を訴える声が多く上がった。法改正と刑事罰化を求めるネット署名に賛同者も増えている。今回については、他の政策課題に比べて、政治がそれらの声を拾い上げる反応が驚くほど速いことが、かえって気にかかる。

 

まず、問題点を整理しておこう。今回の出来事で問題となっている事実は、次のように柱を整理できる。

(1)発言者の発言内容を《言葉の暴力》として扱う議論。「こういう言論は、もう許容できない」という思いに対して、ストレートに法規制(とくに刑事罰)で対処するかどうか。

(2)SNS(ネット交流サービス)上の表現であることから、そのサービスを提供しているプロバイダに、どこまで対応責任を求めるか。

(3)発言のほとんどが「匿名アカウント」によるものであること。「匿名表現の自由」を認めるか、本人特定情報の開示を今より踏み込んで制度化するか。

(4)こうした炎上を起こしやすい番組演出を行ったテレビ番組制作のあり方の問題。本稿ではここには立ち入らないが、これはネット表現規制の問題とは別に、BPO(放送倫理・番組向上機構)などが取り上げるべきマターになっていくことが予想される。

人格権侵害

「表現の自由」は、ある程度までは「傷つく・傷つけるリスク」を許容しないと成り立たないもので、もしも法が先回りして「誰も傷つかない社会」を作ろうとすれば、「表現の自由」は成り立たない。だから、表現はまずは「自由」にして、これによって傷ついた人がいたら「やめてください」という対抗言論や裁判などで救済を図る。その原則を超えて、先回りして被害を防ぐ「表現規制」を行うのは、よほどの必要性がある場合に限られる。というのが、憲法上の「表現の自由」の思考である。この思考に基づいて、表現については法規制よりも「人格権」ないし「人格的利益」を根拠に、裁判での救済をはかる道がとられてきた。

性差別、ヘイトスピーチ論議に必須!「表現の自由」の超基礎知識(志田陽子:現代ビジネス2019.05.03)

「殺す」「放火する」といった言葉があれば、脅迫(罪)や業務妨害(罪)が成立するが、今回のような誹謗中傷のほとんどはそこまではっきりした違法性がない。しかし表現が人の社会的信用や精神・人格を傷つけることはあり、この問題は、「名誉毀損」「侮辱」「プライバシー侵害」「肖像権侵害」など、「人格権」と呼ばれる権利群の問題として考えられてきた。

今回の件でクローズアップされた誹謗中傷は、それ自体では上の類型にも当てはまらないものが多いが、今、従来の定式に当てはまらないものであっても、人を傷つけたり社会的に不利な立場に追い詰めるような言論を、人格権に基づいて「アウト」にする判決も出るようになっている。この問題については、次の論考が参考になる。

「在日朝鮮人」と虚偽投稿…ヤフーに削除・慰謝料命じる判決の意味(曽我部真裕:現代ビジネス、2018/07/26)

ここでは、人格権救済の新しい形として、プラットフォーマーの役割と責任が議論に入ってくる。筆者自身もYahoo!個人オーサーとして投稿をするにあたっては、Yahoo!からこうした問題を生じさせないようなルールへの同意を求められている。これも、プラットフォーマーとしてのYahoo!が、こうした判決以後、この役割と責任を引き受けている姿勢の表れだといえる。

このように、国家が直接に個人の言論内容に制限をつける「言論規制」ではなく、人格権をベースにした当事者間の解決が基本となり、そこに今ではプラットフォーマーが協力する法的責任がセットになってくる、という、(1)と(2)を組み合わせた考え方をとることが原則となるだろう。「一度に大人数への損害賠償請求を可能にする法的な制度を」という発言も、基本的にはこの線での提唱といえる。

木村花さん「誹謗中傷」、なぜ芸能人が声を上げた? 背景を弁護士に聞く(J Castニュース 5/25)

しかし、こうしたオーソドックスな法的思考では、叩かれる弱者を守れない、との声もある。

木村花さんを死へ追い込んだ誹謗中傷の壮絶連鎖…識者は今後の悪質化を懸念(日刊ゲンダイ 5/25(月))

もしこれが大物タレントなら、法的手段を取ることもできるが、木村さんはそこまでの力を持ちえなかったのだろう、というのである。

たしかに、それが社会の実態かもしれない。しかし憲法14条「法の下の平等」は、大物有名人であろうとなかろうと、同じ人権侵害については同じ法的救済が得られる、ということを意味する。ここに何らかの力関係による壁があるのなら、その壁を取り払わなければならない。権利というものは、《行使しない自由》もあるので、本人が権利を行使せずに黙って死んでしまったら、法律の側では何もできないことになる。だから、今、自ら法的権利の行使を公言する著名人が増えていることは、重要なことだ。

一人一人が自分を《権利の主体》としてリスペクトできる社会を作らなくてはならず、まずは権利行使をする人を非難したり、「仕事がなくなる」というおそれを抱かせたりするような法文化を、なくしていかなくてはならない。これは、今盛り上がっている対症療法の議論にたいし、基礎体力づくりの話、ということになる。日本はたしかに、あらゆる人権領域で、この問題を抱えてきた。

事業者(プラットフォーマー)の責任と「匿名性」

ここでは、削除などの具体的対処をプラットフォーマーのほうで行う「責任」をもっと強めるべきだという主張が高まっている。先の整理で言えば(2)の問題場面である。

一方で、発信者情報の開示、という方策がここでは有効である。今でも被害を受けた本人が裁判を起こしたいとき、プロバイダが発信者の情報を被害者に開示することが認められている。プロバイダは本来、契約に基づいて、ユーザーが匿名参加しているときにはその匿名性を保護することになっているので、こうした情報開示は契約違反や個人情報保護法違反になるのだが、被害者救済の必要が生じたときにはプロバイダがこの板挟み状態に置かれることを避けるため、この場合には発信者情報を開示してよい(開示したことに法的責任を問わない)というルールがある。これは先の整理でいうと(3)の問題である。

「インターネット上の違法・有害情報に対する対応(プロバイダ責任制限法)」総務省公式サイトより

(2)にしても(3)にしても、総務省など国の機関が直接に介入して削除や情報開示を行うことは、憲法21条2項の「検閲の禁止」や「通信の秘密の保護」に反するため、認められない。そこで、ユーザーと民間企業であるプラットフォーマーとの関係の中でこれに対処することが求められる。

匿名表現の自由も、「表現の自由」によって守られるべき重要な利益である。アメリカの憲法判例では、このことを認めた判決もある。ネット社会の病理にどう対処するかという問題関心からは、「匿名性」は悪の温床であるかのように言われがちだが、本来的には価値を認められるべきものである。このことについては、以下の論説の前半を見てほしい。

憲法記念日に寄せて――憲法制定過程と国民主権、そして「表現の自由」(Yahoo!個人 志田陽子2020/5/3)

そうした中で、権利(誹謗中傷から救済される権利)と匿名表現の権利とのバランスをどうとるか、である。今のプロバイダ責任制限法はそこに一定の解決をつけているのだが、もう一段、発信者情報開示のハードルを下げよう、という議論が起きている。

こうした方向は、プロバイダの業務を増やすことになる。この流れを引き受けきれないと見てサービスを終了する業者も現れた。

SNS『mstdn.jp』、誹謗中傷への対応の事務負担増に耐えられないと判断して6月30日で閉鎖へ (Yahoo!個人 篠原修司 2020/05/25)

一方で、プロバイダや警察が動かないために、実際には権利があっても行使できないので、裁判やSNS運営者の対応に期待するのではなく、刑事罰化で対処するしかない、という声も上がっている。

木村花さんの死が問いかける、ネット上の誹謗中傷の罪とプラットフォームの責任(Yahoo!個人 伊藤和子 2020/05/24)

言論の内容への規制は最後の手段

「表現の自由」の考え方から言えば、発言者への言論規制(事前規制)は《最後の手段》とするべきである。

このような事態を防ごう、という目的は誰もが合意できると思うが(もちろん筆者も合意する)、次に熟慮すべきポイントとして、「その目的のために、他にもっと表現への規制の度合いの低い方法がある」という場合にはそちらをとり、そういう手段がない、あるいはやってみたが功を奏さない、という場合の最後の手段として、言論内容に着眼した法規制(裁判でなく法律による事前の規制)が認められる。

こう考えると、第一段階として、人格権の理論の進展とプロバイダ責任の再検討という方策をとるべきだろう。それでダメだったときに、次の段階として、刑事罰を伴う言論規制に踏み込む議論をすべきである。

言論規制はかならず二面性をもつ。規制したい方向には思ったほどの効果がなく、規制するべきでないほうの言論に萎縮が生じたり、警察などに取り締まりの根拠を与えてしまったりする。もしも「出ていって」「あなたが嫌いだ」「あなたの言動は不快だ」といった言葉を規制の対象にしたら、自分のチャットルーム参加者で迷惑行為を行った人に退出してほしいときや、ハラスメントをやめてほしいと意思表示するときなど、必要がある時にこの言葉を使うことができなくなるかもしれない。さらに、次の例を考えてみてほしい。

HBCドキュメンタリー「ヤジと民主主義」4月26日番組トレーラー 北海道放送(HBC)YouTube公式サイトより

この問題について筆者の考えを述べたロングインタビューを、参考のために載せる。

選挙演説へのヤジ排除は「なぜ許されない」? 憲法学者・志田陽子氏に聞く「表現の自由」(サイゾーウーマン 2019/10/09)

  

言論規制に踏み切るときは、こちらの言論排除に根拠を与えてしまう方向に行くことのないよう、「表現の自由」の思考方法に照らして、緻密に「防止すべきもの」と「その方法」を絞り込む必要がある。

さいごに

誹謗中傷と、批判や告発との線引きは実際には明確ではないことが多く、今回の件のような《わかりやすい悲劇》《わかりやすい悪》ばかりではない。言論規制が、批判を含む公論を封じる道具に使われてしまうという本末転倒な状態が起きることを、私たちは常に警戒する必要がある。

それを考えると、被害当事者の意思に基づいた解決が図れるように、発信者情報開示を今より容易にする、といった第一段階の対応が望ましい。匿名表現の自由は、本来は「表現の自由」によって保護されるべきものだが、このような権利侵害を受けた人が実際にいるときには、匿名表現の自由よりも人格権侵害からの救済を求める人の利益のほうが重い。

また、SNSサービスを提供しているプラットフォーム事業者に、ここまでの議論とは異なる《投稿前の一ステップ》を設けてほしいと思う。閲覧注意コンテンツの場合と同じ方策である。投稿者が投稿(送信)ボタンを押す前に、「その投稿、送信しますか? あなたの投稿で他者の権利が侵害された場合、あなたの発信者情報が開示される場合があります」というメッセージを表示する、という方策である。自分が大勢の群衆の前で語る登壇者になった風景(この記事のトップ画像のような写真)を表示するなどのデザインがあるとなお望ましい。

これについては、すでにそうしたアプリがあり、導入を求める声がある。筆者もこの考えに賛成である。

ロバート・キャンベル教授、ネットいじめ防止アプリ「ReThink」のサービスを求める(スポーツ報知 2020年5月26日)

筆者は、上記の方策や、先ほど述べた第一段階の方策で改善がみられるなら、その方向を支持する。そして、それでダメだったときには、次の段階として、罰則を考えることを否定できないと思う。人を攻撃することを楽しんでしまうユーザーは、今、自分たちの自由とネット社会の可能性を狭めようとしているという意味で、自分で自分の首を絞めようとしていることを知ってほしい。筆者は、第一段階の対処までで「表現の自由」と「人格権」とのバランスが回復されることを願って、今は第一段階の方策を支持したい。

武蔵野美術大学教授(憲法、芸術関連法)、日本ペンクラブ会員。

東京生まれ。専門は憲法。博士(法学・論文・早稲田大学)。2000年より武蔵野美術大学で 表現者のための法学および憲法を担当。「表現の自由」を中心とした法ルール、 文化芸術に関連する法律分野、人格権、文化的衝突が民主過程や人権保障に影響を及ぼす「文化戦争」問題を研究対象にしている。著書に『文化戦争と憲法理論』(博士号取得論文・2006年)、『映画で学ぶ憲法』(編著・2014年)、『表現者のための憲法入門』(2015年)、『合格水準 教職のための憲法』(共著・2017年)、『「表現の自由」の明日へ』(2018年)。

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