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東京都「アートにエールを」募集要項を読む――その選別はフェアか、必要か

志田陽子武蔵野美術大学教授(憲法、芸術関連法)、日本ペンクラブ会員。
動画の作成も、今ではかなり手軽なものになったが…。(写真:ペイレスイメージズ/アフロイメージマート)

三つの原理と、フェアな支援

東京都は4月28日、「芸術文化活動支援事業 『アートにエールを !東京プロジェクト』募集要項」を公式サイトに公表した。

「「アートにエールを!東京プロジェクト」(東京都生活文化局公式サイト更新日:令和2年(2020)4月28日)

募集要項・応募規約PDF

募集要項に記載されたこの支援の「目的」は、「文化の灯を絶やさないため」、「アーティスト等の活動を支援する」とともに、「在宅でも都民が芸術文化に触れられる機会を提供します」となっている。表現活動者の活動を支援することで、その受け手の「文化享受」の機会をより豊かなものとしようという理念は、「文化芸術基本法」の理念と共通する。支援の概要は、「プロとして芸術文化活動に携わるアーティストやスタッフなどから、Web上で配信する動画作品を募集」するというもので、作品は「専用サイトで配信するとともに、制作されたアーティストやスタッフ等にに出演料相当を支払うという。ここで「一人当たり10万円」、一作品に参加する人数の上限は10人、したがって一作品あたりの上限は100万円となる。

同サイトでは、参考動画も公開されている。

ススムシカナインダ~Go My Way~(YouTube 東京都公式チャンネルTOKYO および東京都生活文化局公式サイト掲載)

この支援策について取り上げた記事としては、以下のものが文化政策の専門家のコメントも掲載しており、参考になる。

「ひとり10万円」の東京都アーティスト支援策は妥当か? 求められる長期的な支援(美術手帖 2020-0429)

「支援」と一口に言っても、そこには大きく分けて三つの原理がある。社会状況と現実のニーズから考えて、どの原理の上に立って支援するのが適切かを見定めることが、支援の「はじめの一歩」だろう。理想には届かなくても、少なくとも噛み合った策をとることが「公」には求められる。そこを前回の投稿では、「フェアな支援、必要な支援」と表現した。

東京都が「アートにエールを」募集要項を公開――フェアな支援、必要な支援とは(2020-0429投稿)

これをさらに整理すると、「ニーズ(必要)に噛み合った支援で、かつ、支援の原理から見て理に合わない排除をしないことが、フェアな支援」ということになる。この「噛み合った支援」かどうかを考えるために、支援のベースとなる原理を理解しておくことが必要なのである。その骨のところだけを抜き出すと、次のようになる。

(1)推進したい事業・課題、有望な事業・課題、とくに保護したい事業や財への支援(通常モードでの「助成」)

(2)休業の損失に対する補償

(3)社会的弱者(生活困窮者・児童・高齢者・事業困窮者)への支援

これまで「助成」という言葉が文化芸術分野について使われるときには、主に(1)を指していた。しかし今、コロナ自粛に伴って、文化芸術の領域で仕事をする人々に、(2)と(3)の問題が大きくのしかかっている。ここで(2)と(3)の事情を抱えているアート関係者に対して(1)の発想での「助成」を当てはめることは、噛み合わない支援となる可能性が高い。

これは、大学が学生に奨学金を出すときに、成績の良い学生や有望な課題企画を出してきた学生に学費を免除したり奨励金を出したりする支援(特待生優遇)なのか、災害によって家計事情が悪化した学生に学費を減額したり免除したりする支援(それによって退学する者を少しでも減らすための下支えとしての修学支援)なのか、という違いと似ている。下支えのための修学支援であっても、成績優良者を優先する、といった組み合わせはあるが、それでも、どちらを主眼とするのかは、重要である。

(2)と(3)については、今回の場合、同じ舟に乗っているアート関係者が多いとは思うが、違いも認識しておくべきだろう。(2)の発想をとった場合には、コロナ以前に利益を十分に上げていたので貯金(内部留保)によって持ちこたえる体力はある、という個人や事業者も、《得られるはずだった利益を失ったこと》に基づいて補償を受ける資格があることになる。ここに(3)の要素を咬ませて、《損失を抱えた結果、困窮に陥ったアート関係者》をピックアップするというキメ細かい選別をする余裕が自治体の側にあるかどうか。

これにたいして(3)は、困窮状態に陥っている個人や事業主を支援するという発想である。この筋での支援には、「コロナ自粛」とは関係のない理由で経営難に陥っていた個人や事業者が支援対象に含まれるのは筋違いではないか、という物言いがつくことが考えられるが、そこで一件ごと、一人ごとに厳密な事情調査をする余裕があるかどうか。

(2)の線も(3)の線も、今はキメの細かい選別をしている余裕はなく、「とりあえず、薄く、広く」のところでスタートするしかない、というのが実情だろう。そのことは汲んだ上で、東京都の支援策は、ニーズに噛み合った政策と言えるかどうか。こうした視点で、公開されたばかりの募集要項を読んでみたい。

対象ジャンルは

支援を受けられる対象者は、「新型コロナウイルス感染症の感染拡大防止に伴い、活動を自粛せざるを得ないプロのアーティスト、クリエイター、スタッフ等」である。この対象設定は、先に述べた三つの原理の中では(2)の線が選択されているが、今回の件ではその結果(3)の困窮状態に陥っている関係者が多いという実情から、《損失を被った結果、窮状に陥っている人》と対象にしようとしていると言えるだろう。

ここで対象となる表現ジャンルおよび表現者のカテゴリーはかなり広い。「音楽、演劇、舞踊、美術、映像、伝統芸能の分野で活動する「音楽家、俳優、舞踊・舞踏家、美術家、カメラマン、伝統芸能実演家、演出家、脚本家、舞台監督、照明家、音響家、舞台美術家、制作者、キュレーター、メイクアップアーティスト、舞台衣装家、その他アートワーク、クリエーションに関わるプロフェッショナル」となっている。ここでの支援対象はライブ・ステージ系の表現ジャンルとなるが、絵画も「美術」というジャンルの中で支援対象となる。画廊での展示会ができないことなどを考えれば納得できる。漫画も、著作権法の解釈を参考にすると、「美術」の範囲に含まれる。出版や電子出版による伝達を中心とする分野ではあるが、創作漫画の撮影動画や、ライブペインティング動画での参加は「美術」の分野として含まれるだろう。

ただし、コミックマーケット(コミケ)のように、紙媒体のパブリッシングと屋台的な即売を中心としながら、大勢の同好者が集合して仮装カーニバルのような「祭り」を形成することが魅力となっているイベントの場合には、ライブ系の表現ジャンルと見るべきかもしれない。同好者の自発的集まりの中に「同人漫画家」というプロの活動も含まれている。しかしコミケについては、当事者が自発的に「エアコミケ」と題したネット上のイベントを組むこと、企業の協力も相当数あることが報じられている。このように自力でネット上の活動の道を確保できる場合には、公的支援よりもこの方式を選ぶ当事者もいるだろう。そこは当事者の選択に委ねられる。

「エアコミケ がんばろう同人」(コミックマーケット公式サイト 2020-0428更新)

エアコミケに「企業ブース」も 出版社、画材ブランドが相次ぎ参加表明(JCast ニュース 2020-0428)

次に東京都の募集要項を見ると、対象者は過去1年以上継続して、プロとして活動を行っている人々、となっている。ここで「プロフェッショナル」というのは「不特定多数の観客に対し対価を得て公演・展示等を行う者及び当該公演・展示等の制作に携わっている者」とされている。ここで「不特定多数の観客に対して」という絞りをかけていることには、目を止めておいてもよいだろう。特定の人だけが絵を購入してくれるとか、特定の人の個人サロンで演奏や歌唱を行う人などは、ここには入らなさそうである。もっとも、その「サロン」に不特定の人が客として出入りすることになっていれば、この条件はクリアできる。ライブハウスに専属して演奏を行うハウスミュージシャン、ハウスバンドなどがこの例だろう。

今、特定個人ないし団体の中でクローズドな形で「お抱え」の形で活動しているアーティストが実際にいるかどうかはわからないが、近代以前の社会ではむしろ芸術家の生計は、教会か王侯貴族サロンの「お抱え」となることによって成り立っていた。「時代は変わった」ということである。※

※この変化については、志田陽子「文化芸術における自由と公共性――芸術の萎縮と私物化に「NO」というために」(朝日新聞社『ジャーナリズム』 2019年11月号)で論じた。

ここで気になるのが、教会専属のオルガン奏者や歌唱者は対象となるのかどうかだが、ここは「宗教」の観点から後述する。

舞台俳優による谷川俊太郎「そのひとがうたうとき」の朗読 (YouTube 東京都公式チャンネルTOKYO および東京都生活文化局公式サイト掲載)

未発表の創作作品であること

対象は「未発表」の「創作」である。ライブハウスが自分の店で行われるライブ・ステージを動画作品化して応募したいと思ったときにも、その内容は創作であることが求められる。そうなると、これより早く別媒体で発表する予定のある作品は、ここには出せないことになる。出展したい人は、自己に有利なほうを自分で判断して選ぶことになるだろう。

例外的に、既存作品をもとにした動画であっても、今回の感染拡大防止のため未発表となったものの場合には認められることになっている。

すでに持っているコンテンツ販売活動を主な目的とするもの(つまり実質的に見てアーティスト自身や企業のCDやDVDや音楽配信コンテンツのCM動画になっている場合)は、対象外となる。CM動画もクリエイターが日々、創作性と表現技術を競い、文化に貢献している分野ではあるが、ここでは、活動の場を失っているライブ・ステージ系アーティストのひっ迫状況を考えた支援であることを踏まえると、合理性のある絞りだろうと思う。ただ、自己のこれまでの作品を前提として作成する連作のような場合、その新規性、「創作」性を正当に評価できるか。そこは審査員の見識に委ねられる、ということになるのだろうか。

「けん玉」と「津軽三味線」が融合したコラボレーションユニット「和音和技(わおんわぎ)」のパフォーマンス(令和2年2月撮影の未発表作品)(YouTube 東京都公式チャンネルTOKYO および東京都生活文化局公式サイト掲載)

消極的条件――対象外となる人

この募集要項では、次の二つに該当する人は「対象外」となる。

まず「国又は地方公共団体が基本金その他これに準じるものを出資している団体に所属している者」。この人々はすでに公的な資金によって支援を受けているので、二重の支援受け取りを防ぐという意味で対象外となっている。次に、「暴力団員等(東京都暴力団排除条例(平成23年東京都条例第54号)第2条第3号に規定する暴力団員及び同条第4号に規定する暴力団関係者)」は対象外とされている。

以前に雇用調整助成金の支給対象として「風俗」が除外されかけたことがあったが、その除外は不適切ということが厚労省にも認識され、撤回されている。

コロナ禍は「水商売」が変われるチャンス?…水商売協会が「国の支援」を訴えるワケ(弁護士ドットコム 2020 0426)

東京都の「アートにエールを」では、「風俗」への言及はない。したがって、活動の場所を風俗系の店舗内に置いている音楽家やダンサーも、その内容が「アート」と言えるものであれば、参加資格があることになる。アメリカのミュージカル界では、風俗系の店のショータイム・ステージで修業を積んで、アーティストとしての認知を得るようになった人も多いと聞く。日本でもそうした可能性はあり、「風俗」関係者を除外する理由はない。

一方、暴力団関係者を除外するということは、芸能との関係から収入や利益を得てきた一部の反社会的勢力がこの支援策に乗ってくることを「お断り」する、ということで、これについては今のところ、妥当な線引きではないかと思う。今、生活に困窮した人が反社会的勢力の下請け仕事に流れることが懸念されており、それに対して「その流れを促進することはしない」という姿勢をとることは、平等や公正に反するとは言えない。ただし、これまで反社会的勢力に連なることで生活収入を得てきた人であっても、今回の流れで困窮状態に陥り、これまで頼ってきた反社会的勢力との関係を切って公的支援を求めてきた場合には、なんらかの生活支援の対象になるべきである。そうした場合にしかるべき支援があることを前提として、このアーティスト支援ではこの選別はあってよい、と筆者は考える。

消極的条件――内容が「三密」にならないこと

作品内容は、「新型コロナウイルス感染症の感染防止のため、動画作品上も、いわゆる「三密」を避けたもの」とすることが条件となっている。これに関しては、無観客動画を作成しようとしたとき、講演そのものが「三密」になってしまうためにこの支援を受けられそうにないジャンルがあること、そのジャンルについては正面からの補償も視野に入れる必要があることは、前々回の投稿で言及した。

東京都のアーティスト支援プロジェクト ――そのエールは誰にどこまで届くか]

上記の投稿を公開した後、読者から、「この指摘のとおり、ラテン系は全滅です」とのメッセージをいただいた。

ラテン音楽からの連想で、ステージ系だけでなく祭り系にも目を移すと、この可能性はかなりある。東京都内にも、それ以外の各地にも、サンバ・カーニバルやよさこい祭りなど、多くの人が集うことで地域を盛り立てる行事があり、こうした分野にプロとして関わっている人もいるはずである。また、こうした「祭り」系の仕事に携わるアート関係者の中には、東京都内に所在地を置かず、全国を巡業しているため、東京都が中心的な活動地とは言えないが東京都の文化芸術に貢献している人々もいるかもしれない。かつての歴史の中では「公界衆」(くがいしゅう)と呼ばれた人々が、移動しながら、こうした祭り芸能を盛り立てていた。こうしたタイプの活動者が自治体の支援からこぼれ落ちる可能性はないか。東京都内での近年の公演実績がある程度あれば良しとする運用となればこのタイプの活動者も支援を受けられると思うが、今後、フォローすべき点となりうる。

消極的条件――著作権などのコンプライアンス

今回の応募要領を応募者向けにより詳しく説明した「応募規約」を見ると、「対象外」とされる事項がより詳しく書かれている。

(1) 応募者以外の作品を無断で利用するなど、第三者の著作権、肖像権、商標権、所有権、その他の権利を侵害するもの

(2) 制作物等の販売活動を主な目的とするもの

(3) 宗教的又は政治的な宣伝・主張を目的とするもの

(4) 特定の個人又は団体を誹謗中傷することを主な目的とするもの

(5) 寄付やその勧誘を主な目的とするもの

(6) 児童ポルノ、差別的・暴力的言動、ヘイトスピーチ、応募者・関係者名を偽った応募など公序良俗に反するもの

(7) 日本国憲法、法律、政令、条例等社会で定められている法令に違反するもの

大まかには、これまでのさまざまな公的支援や芸術コンペの公募にも見られた内容である。(1)については、「著作権等権利関係については、応募者でご対応いただきます」とも書かれており、都の部署が権利処理の手間について手助けをすることはない、ということになる。

今、大学など教育機関が行う「オンライン授業」については、著作権に関する特別措置が4月28日からスタートし、今年度に限り、教育用のコンテンツ作成のためであれば無許諾で他人の著作物を利用できることになっているのだが、こうした措置は現時点では、この種のアーティスト支援には適用されないと考えて良い。

ここでは、もともと「創作」を行うアーティスト・クリエイターに著作権の特別措置は必要ないとの考えもありうる。しかし動画などの創作物を作るにあたっては、著作権料や肖像権料が、飲食店における「家賃」に匹敵するネックとなりうる。この条件は、現行法に照らすと問題のある限定とはならない。しかし、この特殊状況をきっかけとして、著作物の創作的利用について著作権の効力を緩める「フェアユース」の考え方を試験的に導入するなど、文化芸術の公共性に歩み寄った議論が活発化することを期待したい。

宗教的メッセージは

今回の応募要領および応募規約には、「宗教的又は政治的な宣伝・主張を目的とするものなど」は、対象外となることが明記されている。

宗教団体への公金の支出は、憲法89条で禁止されているので、このアーティスト支援の予算を特定宗教への支援に使うことはできない。しかし、この言葉をどう解釈運用するかによって、結果がかなり違ってくる。特定宗教への入信を呼びかけたり、特定宗教の宗教教義の正統性を説くような「布教」に対しては、いかに創作的にすぐれた動画であっても、このプロジェクトの支援対象にはならない。

しかし他方で、多くの文化芸術は宗教と深いかかわりを持っている。西洋音楽の多くはキリスト教教会で擁護され、育った。今では「アート」の一分野としての価値を疑われることのない黒人系の音楽も、教会で育ってきたものが多い。そうした背景にまで「宗教的」という追及をしていくと、ほとんどの文化芸術はアウトになってしまう。今、そのようなナンセンスな解釈をする自治体はないと思うが、宗教的なものはNG、といったとき、それは上記の意味での宗教勧誘を直接の目的とするものをNGだと言っているのだ、というところを確認しておくべきである。

たとえば、学校への補助金支出は、宗教法人が母体となっている私立学校に対しても行われている。これは特定の宗教を優遇するという意味合いではなく、「教育」の公共性から「学校」というものに対して一律に補助をしているもので、そこにたまたま宗教法人を母体とする学校が入ってきても憲法問題とはしないのである。文化芸術支援もこれと同じ発想で、先にみた中核的な禁止事項を確認したあとは、教会オルガニストやゴスペル合唱の応募も、僧侶が集まって組んでいるバンドの応募も、寺社でのイベントを活動拠点としているアーティストも、対象外とすべきではないだろう。

政治的メッセージは

さて、政治的主張を含む芸術表現に公的支援を行うかどうか、という問題は、東京都がながらく抱えてきた問題である。作家・会田誠の作品展示に東京都美術館が難色を示した事例などが代表である。この問題が、今回の「支援」でもそのまま引き継がれることが見て取れる。この点で採用を拒まれるアーティストが出てくる可能性もあるのではないか。内容の中に、政策課題についての署名呼びかけが含まれていた場合には、対象外とされるだろう。「寄付の勧誘」もできないこととなっている。

今、コロナ問題の深刻さ・重大さに触発されて、新たな創作の着想や意欲が起きているアーティストも少なくないのではないか。そうした作品が、見ようによっては政治的主張を含む作品に見える可能性もある。ここで対象外とされる「政治的主張」とは、特定政党や特定公人を支持したり次期落選を呼びかけたりするような表現に限定すべきで、政治的課題にかかわるイシューを題材とした作品を「対象外」とすることは芸術表現を不当に狭め不適切だと筆者自身は考えている。「〇〇を救おう」という呼びかけや、「〇〇問題に気づいて」といった表現、統治者を風刺する表現などは、芸術表現の一ジャンルとして許容されることが望ましい。しかし、これまでの経緯を考えると、そうした表現にはリスクがあることを、応募者の側は織り込んでおく必要がありそうである。

筆者としては、このテーマについては、稿を改めてきちんと論じなければならないと思っている。

ノンバーバルユニット「ゼロコ」による「LINEのビデオ通話」と「パントマイム」を用いたパフォーマンス (YouTube 東京都公式チャンネルTOKYO および東京都生活文化局公式サイト掲載)

動画に求められるクオリティは?

動画作品は、3分以上、30分以内のもので、5分~10分程度を目安とする。動画の撮影メディアは問わない。スマートフォンなどで撮影したものでも可、絵画などの静止画のスライドショーなどの作品も可となっている。

この条件は、かなり緩い。動画に慣れていないアーティストも気軽に応募できるように、との意図だろうと思う。しかし、プロとして活動している人々には、この「緩さ」がむしろ問題として映る。プロとして動画を撮る(動画の被写体としてパフォーマンスをする)というとき、それなりのレベルのものに仕上がらないと辛い。しかし、そのレベルを実現しようと思ったときには、10万円ではとても実費がまかなえず、むしろ足が出るというのである。そうなると、「足が出てもいいから宣伝の機会になれば」と思えるくらい「余裕のある人」しか応募できないのでは、と懸念する声もある。

ここでもしも審査が、作品の完成度までを見て上位作品を選別をするということになると、10万円を受け取るためにその数倍の製作費をかけなければならない状況になる。これでは今回の支援としては本末転倒である。

つまり、審査が何を審査基準ないし対象事項とするのかによっては、東京都の活動自粛要請に応えたために収入を断たれているアート関係者を支援するという目的に対してまったく噛み合わない、アンフェアな策になりかねない。

この関心から審査について詳しく見ると、審査期間は5月20日〜6月12日と短めである。また「募集人数に達した段階で、応募の受付を中止する」場合があるとのことである。Q&Aでも「先着順に審査」とあることから、「実質的に先着順ではないか」との指摘もある(冒頭に引用した「美術手帖」2020年4月29日の記事内、作田知樹氏のコメント)。

そうであれば、作品のクオリティに対する審査というものは無いに等しいことになる。そして、審査として行われるのは、上記の消極的条件に該当しないかどうかの審査だ、ということになりそうである。

先の「本末転倒」の懸念から見れば、そのような審査のほうが理にかなう。しかし、それでは逆に、プロのアーティストがモチベ―ションを持つことができるかどうか、疑問視する声もある。

ニーズと支援策との「噛み合わせ」

そう考えると、北海道の「ライブハウスに一律25万円支給」といった措置は、コロナ自粛に伴う経営困窮を直接救済する支援方法と言える。その一方で、東京都や京都市がとっている支援策は、(2)と(3)の状況におかれている人々を(1)の発想の中で支援しようとしているために、噛み合わない部分が出てくることになるかもしれない。筆者が見た限り、要項には、今回の自粛要請によってどのように活動不能になっているか、どのように困窮しているかを申請者が説明する欄はとくにない。

さらに、この噛み合わせが悪いために、次のようなことが起きることも懸念される。それは、動画作成のスキルを持っていないアーティストに動画作成サービスを行う業者が現れ、支給額10万円が実質的にそうした動画作成業者に流れてしまうことである。その業者自身が今回の支援を必要とするプロのアート関係者であれば、まさに都の支援意図と合致するすることになるが、むしろ今回の出来事で仕事が増えているような業者が、多くの応募者から対価を得る結果、都の支援金がそちらに吸い取られるような流れになることが考えられなくもない。それ自体は経済活動の自由に属することであり、ここに商機を見出す業者がいてもいい。しかし、東京都の支援の趣旨からすれば、これはいびつな形だろう。

ここで、非動画系のアーティストと動画系のアーティストのコラボレーションを実現させるためのコーディネイターが現れてくると、支援策をより有効に生かせる。複数名が集まって一本の動画を作るほうが、都からの支給額が増える分、製作費も有効に使える。独立独歩を好むアーティストにそれを望むのは難しい、との声もあったが、「プロ」としてやっていくにはそうした連携も必要、という割り切りのできる人だけでも、そうしたコラボレーションを考えることは有用だろう。

そして本当は、この部分こそ、東京都が手助けをすべきところなのではないか。つまり、コーディネイト役のできるアート関係者や、動画作成サービスを提供できる業者に東京都が業務委託をして、「動画クオリティはおおよそこのレベル」という仕事を都のほうで保障し、「支援額を超えるクオリティ競争」が生じるリスクを払拭するのである。

この種の「マッチング」は、東京都ならばできるのではないか。企業と大学と自治体が連携する産官学連携型プロジェクトの事業の一環として、東京都が企業のニーズと大学の研究能力のマッチングに協力する、といったことも行われてきた。そうしたマッチングを都が行うならば、動画作成に不案内なアーティストが「貧困ビジネス」的なものに引っかかるリスクもなくすことができる。

筆者の考えはあくまでも一例にすぎず、よりよい策は他にいくらでもありうるだろう。とりあえず急いで実施される今回の支援から、さまざまな声が出てくることを東京都が受け止めて、より実情に噛み合った支援策へと精錬していくことが望ましい。

冒頭にも引用した「美術手帖」の記事によれば、都は、「この支援事業は『第1弾』だという認識」を示しているという。同記事は、実態調査や、多くの芸術・文化政策方面の専門家による意見集約を踏まえた継続的な取り組みの必要性を示唆し、「東京都には、今後のレガシーとなるような支援策の策定が求められる」と結んでいる。筆者もこれに同感である。

支援をこの「第一弾」で終わらせれば、それほどの効果は期待できず、もともと動画発信の志向をもっていて順応しやすい人や、動画作成を請け負う業者だけが恩恵を受けることになるかもしれない。支援を実のあるものにするためには、第一弾で支援が届かなかった人や不満があった人の声を受けて、「次」があることが必要である。政策をニーズのある現場に届けるためのきめ細かな仕組みづくりは、コロナの後の文化政策や各種行政にとっても、有益な先駆けとなる。

そして最後になったが、筆者自身は、この支援にメリットがあると考える当事者は、応募してみてほしいと思っている。問題点はあるとしても、その不備・不満の声は、当事者が一度、差し出された手に乗ってみて、その使い勝手について文句を言うのでなければ届かないだろう。乗る人が少なければ、「不要な策だった」ということで打ち切りになるだけで、「なぜ乗ってくる人が少なかったか」を反省し、よりよい策を検討する機運は生まれにくいだろう。民主主義の中の文化芸術支援のあり方を最終的に決めるのは、その福利を受ける表現者と、アートを愛好する一般人みんなである。

本稿は、令和2年度科研費採択研究「アメリカにおける映画をめぐる文化現象と憲法:映画検閲から文化芸術助成まで」の成果の一部です。

武蔵野美術大学教授(憲法、芸術関連法)、日本ペンクラブ会員。

東京生まれ。専門は憲法。博士(法学・論文・早稲田大学)。2000年より武蔵野美術大学で 表現者のための法学および憲法を担当。「表現の自由」を中心とした法ルール、 文化芸術に関連する法律分野、人格権、文化的衝突が民主過程や人権保障に影響を及ぼす「文化戦争」問題を研究対象にしている。著書に『文化戦争と憲法理論』(博士号取得論文・2006年)、『映画で学ぶ憲法』(編著・2014年)、『表現者のための憲法入門』(2015年)、『合格水準 教職のための憲法』(共著・2017年)、『「表現の自由」の明日へ』(2018年)。

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