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東京都のアーティスト支援プロジェクト ――そのエールは誰にどこまで届くか

志田陽子武蔵野美術大学教授(憲法、芸術関連法)、日本ペンクラブ会員。
その場に居合わせることに意味がある「ライブ」芸術を、どう救うか…(写真:アフロ)

「アートにエールを!東京プロジェクト」

4月24日、小池都知事は記者会見で、新型コロナウイルス感染拡大防止策の一環として「芸術文化活動支援事業『アートにエールを!東京プロジェクト』」の骨子を明らかにした。

この会見はNHK総合で最初の12分だけ放映されたようだが、筆者自身は、としまテレビを通じてほぼ全体を視聴した(番組は都知事と記者との質疑応答の途中で終了した)。その内容は、次の「美術手帖」の記事によくまとめられている。

東京都のアーティスト支援策、詳細が明らかに。1人10万円を「出演料相当」として支払い(美術手帖 2020.4.24)

この支援策では、アーティストから動画作品を募集し、都が用意する専用サイトで配信し、これに対する「出演料相当」として、一人当たり10万円が支払われる。対象となるのは、感染拡大防止のための休業要請によって活動を自粛せざるを得ないプロのアーティストである。過去1年以上継続してプロとして活動しているアーティスト、クリエイター、そして技術面でサポートするスタッフが含まれる。

 支援の対象となる動画は、応募者自身が創作する未発表の新作のもので、静止画のスライドショーを作品として応募することもできる。応募受付は5月20日~6月12日、4000人程度を募集するという。支払い時期は、調整中だという。

 会見では、イメージサンプルとして短い動画が披露された。また、スポーツ選手らの顔映像付きの「エール」の動画も上映された。

 この会見全体は、4月末から5月の連休に、外出せずに家で過ごしてほしいという呼びかけと、この呼びかけのスローガンとしての「ステイホーム週間」、そしてこれをネット上でアクセスできる「ステイホーム週間ポータルサイト」にまとめたことを報告するものだった。その全体は、以下の記事にまとめられている。

連休のレジャー自粛を 在宅楽しむサイト開設 小池都知事 (時事通信 2020/04/24)

小池都知事4月24日記者会見・時事通信社報道記事
小池都知事4月24日記者会見・時事通信社報道記事

筆者は、感染症対策そのものや、経済政策としての補償・助成問題に言及する資格は、当サイト上では与えられていないため、アーティスト支援というイシューを取り囲む地図や、他の政策・財政とのバランスについて言及することはできない。そこで記者会見の全体については記事リンクを貼るにとどめ、その中の「芸術文化活動支援事業」だけを取り出して考える。

この部分をまとめた「報道資料」も、東京都の公式サイトに同日付で掲載されている。

「新型コロナウイルス感染症緊急対策 芸術文化活動支援事業「アートにエールを!東京プロジェクト」について(第256報)」

文化芸術に支援が必要な理由

今、博物館・美術館・映画館からポピュラー音楽の愛好家が集うライブハウスまで、文化芸術の担い手を支援する必要性を説く論説が、さまざまなところから発信されている。以下、そのいくつかを拾ってみる。

社説:コロナ禍の文化 担い手支える現実策こそ(京都新聞 2020 04/12 配信)

《論説》緊急事態宣言・文化 芸術家の痛みに敏感に(茨木新聞2020/04/16 配信)

9割が「国の金銭的支援不十分」。新型コロナによる芸術文化活動への影響が明らかに(美術手帖2020/04/15配信)

メディアがこうした論説・社説を次々に発信しているのは、それだけの必要性があるからである。文化芸術の危機は、当面の問題としては、アーティストの経済的困窮をどうするか、という問題である。しかし、仕事がなくなったとき、本当にアートと心中して餓死する人は稀で、むしろ収入のある仕事に転職していくのが現実だろう。

楽器演奏にしても絵画・彫刻にしても、芸術活動には修練に裏打ちされた技術がいる。離職して手を放してしまうと、身に着けた技芸やカンが鈍ってしまって、戻ってこられなくなることが多い。音楽家やダンサー、舞台演劇俳優の仕事はスポーツ選手と同じで、身体的修練と本番の感覚を日々の生活の中に組み込んでいないと、現役のステージに戻れなくなる。つまり、休業要請が長く続けば、その分野の担い手がいなくなってしまうのである。そのため、アーティストの休業は、本人の経済的困窮だけではすまず、社会からその分野の文化芸術がなくなっていく流れにつながってしまう。ここに文化芸術の危機がある。

今月(4月)の7日に閣議決定された予算案には、休業要請・外出自粛要請に伴って生じる損失に対する支援策が盛り込まれた。そのうち文化芸術にかかわる部分については文化庁HPでも告知が始まっている。これに続いて、今月(4月)の15日には、東京都も独自の支援策を出すとして、予算概算が5億ほどになると発表した。その支援策の具体的内容はその時点ではまだ明らかにされていなかったが、これの続報が、24日の記者会見だった。

文化庁から発表されている支援策については、稿を改めて考察することとして、本稿では、出されたばかりの東京都の支援策に的を絞って考えてみたい。

支援策の選択肢

この件については、先にも予習的な論点整理をしたが、今回、ある程度の内容が出てきたところで、もう一度論点を整理しておこうと思う。

このような場合の支援のあり方にはいくつかのパターンがある。どれが良くてどれが間違っているという問題ではなく、実情に応じてどれを選ぶのが賢明か、という話になる。大きく整理すると、(1)休業補償、(2)活動への補助・助成、(3)公共事業、の三つに分けることができる。(他業種への転職あっせんは、先に見た理由から、生活支援にはなるが文化芸術支援にはならないと考え、ここでは考察対象に含めないことにする)。

(1)休業補償とは、休業することによって収入を得られなくなることに対して、その損失を金銭で補償するというものである。簡単に言うと、「活動できないことの損失への穴埋め」である。

憲法29条3項を見ると、国や自治体が、公共のために、一般人の財産を収用することはできる。そのさいには「正当な補償」をすることが条件として定められている。この規定が想定している中心的なケースは、道路建設やダム建設のために、土地家屋を手放してもらうようなケースである。このときには国や自治体は、現金で買い上げるなり、借り上げて補償金を支払い続けるなり、なんらかの補償をすることになる。感染症拡大防止という目的ももちろん「公共のため」に入る。旅館などの建物を、国や自治体が医療施設として使う、という場合がそれにあたるだろう。

しかし、休業要請に伴う損失補償については、この規定がそのまま当てはまるわけではない。なんらかの補償が行われることが憲法の趣旨に沿うことではないかと、筆者自身は憲法研究者として考えているが、どこまでやれるかの最終判断は、国や自治体の裁量にゆだねられていると説明するのが、とりあえずの現状説明だろう(当サイト上では筆者はこの論題について論じる資格がないので、とりあえずの現状説明にとどめる)。国や自治体は、状況のひっ迫性と現実の財政とを見比べながら、落としどころを探ることになる。その「落としどころ」について、法による明確な答えがない分、関係者がさまざまな判断材料を持ち寄って、議論をしなければならない。その議論の中に、先に見たような、文化芸術の特性からする支援の必要性、という要素が入ってくる。

(2) 活動への補助・助成とは、簡単に言えば、「活動に対する実費援助」である。芸術祭への「補助金」もこれである。また、公立の美術館や音楽ホールのような高度な施設(芸術インフラ)が使える、出展できる、というような「場の利益」も、これにあたる。

今回のことにあてはめると、自粛要請によって本来の活動が阻まれている事業者が、可能な条件で活動することについて支援をすることである。客を呼ぶことができなくなった飲食店が、デリバリー(出前)に切り替えればある程度仕事が成り立つという場合に、自力でデリバリーを行うための人件費や運搬車を準備できない事業主に対して、デリバリーの部分にかかる費用を補助金として出すような考え方が、これにあたる。

(3)公共事業とは、国や自治体がなんらかの事業を行い、これに従事する者に対価を支払う、という方法である。「雇用を創設して経済をまわす」という方策である。経済政策としての公共事業のあり方や有効性については筆者の専門外となるため立ち入ることはできないが、東京都が示したアーティスト支援策がこの要素も含んでいるため、このアーティスト支援策の性質を理解するために必要な限度で触れておく。

以下、東京都が示している支援策(4月24日現在までで示されている内容)を、この三つの選択肢に沿って考えてみたい。

活動助成型+公共事業型の組み合わせ?

24日に公表された東京都の支援内容――アーティストから動画作品を募集し、都が用意する専用サイトで配信し、これに対する「出演料相当」として、一人当たり10万円が支払われる、という内容――は、上記の三つのパターンで言うと、(2)の補助・助成のパターンと(3)の公共事業パターンを組み合わせたもの、と言える。

まず、都が用意するサイトに出展できるということだから、都が「場の利益」を提供するということになる。その動画作成にかかる実費を補助する、という場合には(2)のパターンになるが、ここではそうではなく、「出演料相当」の対価として、10万円を支払うという。東京都が設置するサイトを魅力的なコンテンツで賑わしてくれることへの出演料、と理解してよいと思われるので、これは公共事業的な発想が加味されていると言えるだろう。

この「出演料」だが、東京都が企画した広報にアーティストが技術協力をするパターンであれば、公共事業としてわかりやすい。人権啓発ポスターや、「家で過ごそう」という呼びかけのCMなどにアーティストの技能を提供してもらい、対価を支払うパターンである。これはコロナ問題が起きなくても、多くの自治体が行ってきたことである。オリンピックの広報動画には、多くのアーティストやデザイナーがかかわっている。こうした場合には、内容や事業者選択の公共性が確保されなくてはならない。東京都知事個人や所属政党の宣伝のようになってしまうと、公費の私物化になってしまうため、そうなる演出は避ける必要がある。とりわけ選挙が近いとなれば、そこへの配慮は必須となる。

そこを避けることができれば、これ自体は、あってもよい政策ではある。ただ、昨年から今年にかけて、「あいちトリエンナーレ2019」の展示中止・補助金不交付問題や、「ひろしまトリエンナーレ2020」の審査方法変更から全面中止といった問題が起きたため、こうした公共事業型のアーティスト起用にアレルギー的な反応が出ることが懸念される。ーーなんだ結局「芸術家の自由」を認めず、内容を縛って、都の政策推進のために利用するだけか、と。

本来は、芸術祭における芸術支援と、自治体広報の仕事を依頼することとはそれぞれに異なる場面なので、そのことを「公」の側が先にはっきりさせておけばいいのだが、いくつかの芸術祭や美術展で起きた「表現の不自由」問題が、この二つの路線を混線させるような展開を見せてしまった。このため、都が内容を方向付けた上で何かを依頼する、ということについて、支援される当事者の芸術家の側が、「芸術の自由が軽視される」というマイナスのイメージを持ってしまうことが考えられるのである。そのことを考えたとき、純粋な公共事業依頼より、「内容は自由」ということにして募集人数も4000人と多めにして、一人当たりの支給額を少額に抑えたほうが実際的だ、との判断が東京都側にもあったかもしれない。

中止となった「ひろしまトリエンナーレ」のプレイベント展示が行われたアートベース百島。抗議を受ける前は静穏な空間だった。(2019年10月6日・志田陽子撮影)
中止となった「ひろしまトリエンナーレ」のプレイベント展示が行われたアートベース百島。抗議を受ける前は静穏な空間だった。(2019年10月6日・志田陽子撮影)

公共事業的な芸術支援は、アメリカ大恐慌(1929年~)の時代に始まったものだと言われている。それまでのアメリカでは、芸術支援は私企業が中心となって担っていたが、その企業の経営が苦しくなり、多くのアーティストが失業することになった。これを救済するために、公園や公共施設の壁画など、それまで殺風景だった「パブリック」な場所に美観を与える仕事が創設され、アーティストの雇用と収入が確保されたという。これが原型となって、今、「パブリック・アート」と呼ばれる分野が発展してきている。ただし、アメリカでこれが始まった当初は、まだアーティストの自由はそれほど認められておらず、不況にあえぐ町を明るくしてほしい、という装飾的な意味合いでの作品内容が期待され、それに合わないものは修正や撤去を求められることもあったという(※)。日本の芸術祭や公的な美術展をとりまく社会の意識は、おおよそ、90年前のこの段階にあるように見える。

(※工藤安代『パブリックアート政策―芸術の公共性とアメリカ文化政策の変遷』(勁草書房、2008年);松尾豊、藤嶋俊會、伊藤裕夫『パブリックアートの展開と到達点:アートの公共性・地域文化の再生・芸術文化の未来』(水曜社、2015年)を参照。)

どの「エール」が誰に届くか、届かないか

アーティスト支援策として、上記の三つのパターンのうち、どれが良いかは、その分野が今置かれている状況による。まずは、(2)の活動助成が基本で、(3)の雇用創出としての公共事業はいくつかの条件付きで取りうる選択肢、(1)の「補償」はそのどちらも無理な場合に必要となる方策、と考えるのが普通だろう。

本来的な活動がまったくできない「八方ふさがり」の状態に置かれているジャンルに対しては、(1)の休業補償をする必要がある。たとえば、無観客講演を行おうにも講演自体が「三密」にあたってしまうために無理なジャンルがある。大人数で行うオーケストラ演奏や、サンバなどラテン系の演奏・舞踊があげられる。演劇や多人数の舞踊も同様だろう。

筆者の経験からいうと、ポピュラー音楽の場合には、遠隔で一人一人が演奏したものを後から合成することは、比較的容易にできる。星野源の「家で踊ろう」に多くのアーティストが「コラボ」した動画が、今YouTubeに多数アップされているが、それが良い例だろう。しかし、クラシック演奏や舞踊の場合にはこれは難しい。ポピュラー音楽の場合にはリズムがかなり機械的に固定され共有されるので、遠隔合成や、時間差での合成(トラックダウン)ができるのだが、クラシックの場合にはリズムに揺れがあること自体が芸術的表現なので、全員が同じステージ空間にいることが必要となる。

こうした人々の活動を支える一つの方策としては、感染症が出ておらず休業要請をせずにすんでいる地域に疎開して無観客講演を行うこととし、その旅費や場所代や動画作成費用を助成する、という方法が考えられる。しかし今、「ロックダウン」には至っていないにしても、そうした移動を自粛することが求められているわけだから、これも東京都としては使えない方策だろう。

このように、東京都の「エール」をもらうために「動画」を作成しようとしても、その作成場面が「三密」にあたってしまうために身動きがとれない、というアーティストがいる。この場合、補償がないと、離職による担い手の喪失ということが起きる。

芸術もエンタメも、人がそこにいなければ成り立たない…(撮影・photographer 松浦武臣(使用許諾済)))
芸術もエンタメも、人がそこにいなければ成り立たない…(撮影・photographer 松浦武臣(使用許諾済)))

アーティスト支援は、もちろん、ないよりは、あったほうが良い。今なら、窮地にいるアーティストを応援しようという気持ちから、動画サイトを見てくれる視聴者も多数いるだろう。その「場」を、その後の活動再開に向けてのファン獲得のチャンスととらえることもできる。これは、東京都が提供するサイトを、広告スペースを無料で――しかも出演料ありで――使える、と見るポジティブな解釈だ。ただし、そのようにポジティブに解釈できるのは、活動再開まで持ちこたえられる人に限られる。その関心からは、10万円という少額ではあっても、少しでも早く当事者の手に渡る必要があるのだが、記者会見によれば、支払時期はまだ調整中とのことである。

それまで持ちこたえられない人や事業主に、どういうエールを送るべきか。今の状況を、ドイツやイギリス、アメリカと比較するのは、アーティストにとっても東京都にとっても酷かもしれないが…

東京都の発表の前日、23日には、北海道知事が、道内のライブ・エンタテイメント事業者に一律25万円を支給すると発表している。こうした明確な休業補償に踏み切る自治体が出てきたのは、それが必要だと認知されたからだろう。

ライブハウスなどに一律25万円 北海道が独自の支援金(朝日新聞 2020/04/24)

しかし同時に、国や各自治体の財源が有限であること、今後の財源が大幅に減ることはあっても増えることは見込めないことは、理解しておかなくてはならない。そこを論じる資格は筆者にはないが、周知の常識、あるいは周知の論理として、「財源は有限だ」「だから社会の自力復興を促す役に立つよう使われるべきだ」と述べることは、許されるだろう。

限りある財源をどう使うか、「死に金」にせず「生き金」にするにはどの方策が良いのか。アーティスト支援策のさらなる詳細について、東京都の次の発表を待ちたい。

追記

この記事をアップした後、動画や音楽を仕事にしている人から、「この支援策は、動画制作というものをどの程度理解しているのか。都知事は「スマホで撮影したものでも」とは言っていたが、プロのパフォーマンス動画となるとそうはいかない。プロのステージパフォーマンスを動画化するというのは、素人がスマホで動画撮影をするのとはまったく異なる。日頃、自分では動画作成をしていない舞台アーティストが、動画作成を誰かに頼むとなれば、その実費だけで、10万円では足がでる」とのご指摘をいただきました。なるほど、たしかに、と思いました。そうした現場の声を含めて、今後もこのイシューについて、見ていきたいと思います。(2020年4月26日 追記)

本稿は、令和2年度科研費採択研究「アメリカにおける映画をめぐる文化現象と憲法:映画検閲から文化芸術助成まで」の成果の一部です。

武蔵野美術大学教授(憲法、芸術関連法)、日本ペンクラブ会員。

東京生まれ。専門は憲法。博士(法学・論文・早稲田大学)。2000年より武蔵野美術大学で 表現者のための法学および憲法を担当。「表現の自由」を中心とした法ルール、 文化芸術に関連する法律分野、人格権、文化的衝突が民主過程や人権保障に影響を及ぼす「文化戦争」問題を研究対象にしている。著書に『文化戦争と憲法理論』(博士号取得論文・2006年)、『映画で学ぶ憲法』(編著・2014年)、『表現者のための憲法入門』(2015年)、『合格水準 教職のための憲法』(共著・2017年)、『「表現の自由」の明日へ』(2018年)。

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