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僕らは「新しい牛肉体験」を手に入れることができるのか(後編)/保存と熟成。好みを否定せずに分断回避を

松浦達也編集者、ライター、フードアクティビスト

僕らは「新しい牛肉体験」を手に入れることができるのでしょうか。前編では血統と飼料という昔から牛肉の味に大きく関与すると言われてきた要素をひもときました。

前回は月齢や体重という、まだ一般には広く知られていないながらも、実は牛のまわりのプロなら誰もが知る「味のノリ」や「深み」について触れました。

今回は生体としての牛ではなく、と畜後の保存(熟成)の話を中心に展開したいと思います。そして初回に触れた、以下の料理王国5月号の件です。

Facebook上で黒毛和牛好きの友人が「最新号の料理王国、黒毛和牛が蔑ろにされているような気がしてモヤる」「みんな黒毛にはお世話になっているはずなのに」というような長文を書いていました。

当初「黒毛を否定するような企画はなかったはず……」と思っていましたが、誌面を読み返して「たぶんこのページのことだろうな」というアタリがついたので謎解きをしていきたいと思います。

ただし、何かを糾弾するつもりではないので、こちらについては後半のクローズドにて。

保存と熟成で肉の味は決定される

さて今回の本題「保存と熟成」です。

そもそも狭義の「熟成」とは食物を適切な環境で保存することで食品の色や味、香り、食感などを変化させ、食味を好ましい状態に変化させることを指します。

そしていま国内で「肉の熟成」と言われる手法には「ドライエイジング」「枯らし」「ウェットエイジング」などが挙げられます。いい機会なので「熟成」の特徴について整理していきましょう。

「ウェットエイジング」とは何なのか?

真空パックで保存する「ウェットエイジング」(筆者撮影)
真空パックで保存する「ウェットエイジング」(筆者撮影)

「肉の熟成」とは本来、肉が持っているタンパク質分解酵素(プロテアーゼ)がタンパク質をアミノ酸分解し、筋繊維が柔らかくなっていく事象を指します。極論すれば、と畜された瞬間から熟成は徐々に進行しています。

乱暴に言えば、と畜した肉を冷蔵庫に入れて数日置いたら、それはもう熟成肉と言えなくもありません。でも実際にはそういう肉を「熟成肉」とは言いません。肉でも魚でも置いておけばなんでも熟成されるわけです。それをわざわざ「熟成肉」とは言いませんよね?

それを扱いやすくしたものが、分割したブロック肉を真空パックで小分け保存したものです。空気を遮断して保存性を高めた肉ですが、いつからかその真空パックの肉が「ウェットエイジング」と呼ばれるようになりました。

売りやすいようパーツごとに問屋で分割し、保存のために真空パックにしただけの肉を「熟成肉」と言われるとちょっぴり違和感を覚えますが、そこはいろんなご商売がありますから売る側としてはいいのだと思います。そしてこの保存方法だと、真空パックを開封しない限り、ほぼロスがないというメリットがあります(しかし開封したあとは一気に腐敗に向かいます)。

日本の伝統手法「枯らし」

静かに味を深めていく、枯らし熟成(筆者撮影)
静かに味を深めていく、枯らし熟成(筆者撮影)

真空パックは日持ちがすることに加えて、一般的な冷蔵庫でも肉の保存ができるとても便利な保存方法ですが、肉に真空の圧がかかることで熟成が進むとパック内部でドリップが出やすく、しかも真空パック内で逃げ場を失い、劣化したドリップの味が肉の風味を損ねてしまいます。

対して「枯らし」とは、温度・湿度管理をした巨大な冷蔵庫で、枝肉か大分割した巨大なブロック肉を寝かせる熟成法です。肉内部のプロテアーゼによってタンパク質が分解されて、旨味と柔らかさが増すだけでなく、水分が肉表面から自然に蒸散していきます。

真空パックと違ってドリップが絞り出されるわけではなく、血漿タンパク質成分などは逃げないので肉の味わいは濃厚になります。しかもドリップと違って劣化臭で肉の味を損ないません。近年、真空パックに頼らずに熟成をかける精肉店が人気となっているのには、れっきとした理由があるのです。

ドライエイジングビーフ(DAB)は発酵+熟成のあわせ技

扇風機でガンガン風を送るNY式ドライエイジング(筆者撮影)
扇風機でガンガン風を送るNY式ドライエイジング(筆者撮影)

この10年ほどメジャーになってきたNY式ドライエイジングビーフ(DAB)。枝肉や大分割した巨大な骨付き塊肉のまま熟成をかけるのは「枯らし」と同じですが、大きな違いは「カビ」のような外部微生物の力も借りていること。そして風を当てて表面の感想を促進すること。

本来、カビなど外部の微生物を使う分解は「発酵」にカテゴライズされますが、カビづけしたチーズのエイジングも"熟成"と言われますし、昨今の定着感を考えると、精肉カテゴリーにおける肉の作用については、自己消化(狭義の熟成)、外部微生物(本来は発酵)どちらの主導でもまとめて"熟成"でいいと考えます。

現時点の整理では、「肉の発酵」は外部微生物を使うぬか漬けなど調理時の変性作用という住み分けだと理解しやすいように思います。ちなみにDABは枯らし熟成の旨味に加えて、チーズやナッツのような香りが付与されて、深い味わいになります。

熟成のタイプまとめ

真空パック(ウェットエイジング)は歩留まりはいいが、開封後に劣化しやすい。比較的リーズナブル。

枯らし熟成は手間もかかり、歩留まりは落ちるが、味は肉本来の旨味が増幅・凝縮される。手がかかり、歩留まりが落ちる分やや高くなる。

DABも手間はかかり、歩留まりも悪いが、肉の旨味は増幅・凝縮され、ふくよかな香りが加わる、といった特徴がありそうです。

あとは元がどんな牛肉で、あなたがどんな熟成が好みで、誰(どの会社)が熟成をかけたかで選べばいいと思います。

たまに「DABが一番うまく、枯らし熟成は一段旨味が少ない」というような間違いを大きな声でお話される方がいらっしゃいますが、両者の間にはちょっとした方向性の違いしかありません。カビのつけ方などによっては両者の中間のようなアプローチの肉もあるので、あまり大きな声でおっしゃらないほうが身のためかと思われます。

さてこの短期連載のきっかけとなった黒毛和牛好きの友人が『最新号の料理王国、黒毛和牛が蔑ろにされているような気がしてモヤる』と料理王国5月号のインプレッションを書いていた件、本誌全体に関わっていなかった僕は当初何のことだかわからなかったのですが、「おそらくこれだろう」とアタリがついたので触れておきます。

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編集者、ライター、フードアクティビスト

東京都武蔵野市生まれ。食専門誌から新聞、雑誌、Webなどで「調理の仕組みと科学」「大衆食文化」「食から見た地方論/メディア論」などをテーマに広く執筆・編集業務に携わる。テレビ、ラジオで食トレンドやニュースの解説なども。新刊は『教養としての「焼肉」大全』(扶桑社)。他『大人の肉ドリル』『新しい卵ドリル』(マガジンハウス)ほか。共著のレストラン年鑑『東京最高のレストラン』(ぴあ)審査員、『マンガ大賞』の選考員もつとめる。経営者や政治家、アーティストなど多様な分野のコンテンツを手がけ、近年は「生産者と消費者の分断」、「高齢者の食事情」などにも関心を向ける。日本BBQ協会公認BBQ上級インストラクター

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