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タバコ問題の背景には「健康格差」がある

石田雅彦科学ジャーナリスト、編集者
(ペイレスイメージズ/アフロ)

筆者が住む横浜市では、各区ごとで平均寿命がかなり異なる。

2011(平成23)年の調査によれば、男性の場合、都筑区(82.49歳)と青葉区(82.04歳)が上位の1位2位、中区(76.41歳)と鶴見区(78.76歳)がワースト1位2位だ。女性は栄区(88.08歳)が1位、やはり中区(84.57歳)が最下位となっている(※1)。男性の平均寿命で都筑区や青葉区と中区との間には、約6歳もの差があるのだ。

筆者の年代には懐かしいテレビドラマに『金曜日の妻たちへ』(TBS系、1983年)がある。

古谷一行や小川知子などが出演した一種の不倫ドラマだが、その舞台に想定されていたのが横浜市青葉区にある東急田園都市線沿線の新興住宅街「美しが丘」だ。80年代の昭和後期に開発され、30代や40代の比較的高学歴、高収入の世帯がここに住宅を建てた。

定収入低学歴ほど喫煙率が高い

当時、働き盛り不倫盛り(?)だった美しが丘の世代も少しずつ高齢化を迎えているが、このあたりに住んでいる人たちは高齢者と言っても経済的に恵まれた階層だろう。前述した横浜市の「保健統計データ」は、この地域に住んでいる人たちの平均寿命の長さをあらわしている。

また、青葉区の住民は「健康意識が高い」と言われている(※2)。80年代に住み始めた住民、とりわけ高学歴高収入の男性にその意識が強く、周辺のファミリーレストランの「分煙化」をいち早く働きかけたりした。青葉区の喫煙率は、横浜市18区の中で最も低い(※3)。

一方、中区や鶴見区は対照的だ。中区には「日本三大ドヤ街」の一つと言われる地区がある。鶴見区は京浜工業地帯にあり生活保護世帯も多い。これらの区は、横浜市の中で貧しい階層が比較的多く住む地域とも言え、高齢化はそれほど進んでいない。また、中区や南区の喫煙率は高いのだ。

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1993(平成5)年から1997(平成9)年の間、横浜市の18区では急性心筋梗塞粗死亡率(男性)にも違いがあった。青葉区の美しが丘に住む「金妻世代」の男性はその頃40代50代になっていたはずだが、急性心筋梗塞に限れば中区の約半分の死亡率だった。※図:水嶋春朔ら「横浜市における地理情報システム(GIS)を用いた循環器疾患死亡率に関する小区域保健統計解析」厚生の指標、第49巻第6号、2002年、から引用改変した。

喫煙率との「格差」には深い関係がある。貧困である学歴が低い、といった経済的な格差、社会的な格差と喫煙率の間には相関関係があり、貧困なほど、また低学歴ほど喫煙率は高い、と言われてきた。

日本では、所得が200万円未満の世帯と600万円以上の世帯とで喫煙率が、男性で約6ポイント、女性で約10ポイントの差となっている(※5)。

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世帯所得別(男女)の喫煙率。興味深いことは、2010(平成22)年の調査と比べ、女性の200万円以下と200〜600万円の所得世帯で喫煙率が上昇していることだ。この4年の間に所得の低い女性で喫煙率が上がっているのかもしれない。2014年「国民健康・栄養調査」の概要より。

低所得者に対する調査では、18歳から24歳までの男性以外の全ての年齢性別で喫煙率が高く、低所得者の喫煙率の割合が最も大きかったのは25歳から39歳の男性だ。また、住んでいる地域でも喫煙率が異なる。都市部の男性は喫煙率が低い傾向にあるが、女性では都市部のほうがむしろ高くなり、結婚の有無は高齢者以外で喫煙率を押し下げる要因になる(※6)。

別の調査では、医療保険の加入で喫煙率に差があることがわかっている。受動喫煙にさらされている程度では、学歴が高いほどその割合が低くなる傾向がうかがわれた。

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医療保険では、無保険と生活保護を含む層で男女とも最も喫煙率が高い。また、中卒、高卒の学歴の者は男女ともに受動喫煙にさらされている率が高い。※地域医療振興協会のファクトシート「健康格差是正の観点からのたばこ対策」より(作成担当:田淵貴大:大阪府立成人病センター、中村正和:公益社団法人地域医療振興協会)。

米国や英国ではより顕著

喫煙率と経済格差、社会格差との関係では、米国や英国でも同じような結果になっている。

英国の禁煙団体「ash」による調査では、特に貧困層で喫煙率が高く、タバコによる死亡率で社会的な貧困層が2〜3倍も高くなっていたことがわかった。また、貧しい社会集団に属する人たちは、16歳よりも前に喫煙を始める傾向がある。

米国の調査でも喫煙率と学歴の関係に大きな違いが出ている。高卒以下と大卒以上では約3倍もの違いがあった(※7)。

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英国の職業と喫煙率の関係。管理職や専門職の喫煙率は、肉体労働や単純労働の従事者の喫煙率の半分以下になっている。ash, "Health inequalities and smoking." June, 2016より引用改変.

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米国では大卒以上で格段に喫煙率が下がる(Collegeを短大とした)。National Survey on Drug Use and Health(NSDUH)2012.の調査より引用改変。

なぜ、喫煙と非喫煙が所得の差に関係しているのかはよくわかっていないが、米国アトランタの経済学者が調査したところによれば、喫煙者は非喫煙者の約80%の所得しか得ていなかった。また、1年以上前に禁煙に成功した人は、生涯タバコを吸わずにいる人より、7%多く所得を得ていたのだそうだ(※8)。

喫煙者は「長期的な不利益よりも短期的な利益のほうをより尊重する性向を持つ」と言われる。時間選好率(Rate of time preference)が高い(将来に消費するより現在に消費するほうを好む)、というわけだが、同時に喫煙者はリスクを回避せず(Risk aversion)、リスク愛好(Risk loving)な傾向がある、とも言われている(※9)。

さらに同じ論文によれば、過去に喫煙していたが現在はタバコを止めている人は、生涯ずっとタバコを吸わずにいる人よりも時間選好率は低く、リスク回避度も同じように禁煙した非喫煙者のほうが生涯ずっとタバコを吸わずにいる人よりもリスク回避的らしい。

禁煙成功者のほうが、ずっと非喫煙の人より所得が高い、ということと、非喫煙者よりも低い禁煙成功者の時間選好率と高いリスク回避度には何か関係があるのだろうか。

なぜ喫煙率と所得や学歴に関係があるのか

高所得者や責任のある仕事に就いている人は、自分の健康と社会的な役割を考えることが多い。健康を維持するライフスタイルは、社会的な責任や貢献度に関係している、と考える。健康維持のためにジョギングやジム通いなど、肉体的なトレーニングを行うことも多く、肉体的なトレーニングに対する喫煙の悪い影響を実感できるのかもしれない。

こうした人たちは、現在の誘惑に耐性があり、将来の利益のために現在の利益を犠牲にする、という強い意識と意志がある。

一方、低所得者は、健康維持や食生活などにお金をまわす余裕がない。時間選好率が高くリスク回避度が低く、射幸心が強い傾向があるだろう。そうなれば、朝食を抜いたり睡眠時間が不規則になるなど生活習慣は乱れ、肥満になるなどし、経済的にも心理的にも健康診断や歯科治療に行かなくなる。

喫煙習慣がこうしたことに関係しているとすれば、タバコ問題には社会格差や所得経済格差がからんだ「健康格差」が背景にあるはずだ。簡単には解決できない問題だが、もしそうならば社会経済的な格差是正も視野に入れたタバコ対策が求められる。

タバコは「生活習慣の問題」とも言える。生活習慣の問題は、健康格差の問題でもある。生活習慣を整えることで成人病が減り、健康寿命が伸びれば将来の医療費を押し下げることができるはずだ。タバコを止めることは、喫煙者の生活習慣を整え、直していくための「きっかけ」になることが期待できる。

若年層の喫煙率低下の理由には、タバコの値段が上がり気軽に手を伸ばしにくくなっている、ということもある。社会的な弱者ほど喫煙率が高くタバコに依存しているとすれば、タバコの増税や値上げは効果的なはずだ。

1日一箱20本、460円のメビウス(旧セブンスター)を吸う場合、1年で約16万8000円かかる。値上げの影響をより受けるのは低所得者であり、喫煙率を押し上げている彼らがタバコを止めれば全体の喫煙率も下がっていくだろう。

また、こうした社会階層はタバコの健康被害についての知識が不足している、という側面もある。タバコの弊害についてのメディアキャンペーンなどを繰り返し、長期にわたって展開していくべきだ。

政府・厚労省は、受動喫煙防止対策の強化(健康増進法の改正)で、飲食店などでの規制を「骨抜き」にした自民党案に歩み寄るらしい。

ここまで書いてきたように、タバコ対策が健康格差の是正と関係しているのは明白だ。さまざまな「格差是正」に目を背けてきている政府は、ここでもまた譲歩するのだろうか。

関連記事:

※1:横浜市衛生研究所の保健統計データ。男女別平均寿命(PDF)

※2:横浜市青葉区「区民が考える青葉区『長寿』の要因

※3:横浜市の「健康に関する市民意識調査」平成28年度。毎日吸っている割合は青葉区で17.8%で最も低く、中区(24.5%)や南区(25.1%)は高い。

※5:厚生労働省、2014(平成26)年「国民健康・栄養調査」の概要。

※6:Y Fukuda, K Nakamura, T Takano, "Socioeconomic pattern of smoking in Japan: income inequality and gender and age differences." Annals of epidemiology, 2005.

※7:US Department of Health and Human Services:The health consequences of smoking - 50 years of progress. A report of the Surgeon General, 2014.

※8:J Hotchkiss, M Pitts, "Even One is Too Much: The Economic Consequences of Being a Smoker." FRB Atlanta Working Paper Series 2013-3, 32 Pages Posted: 26 Nov 2013.

※9:T Ida, R Goto, "Simultaneous Measurement of Time and Risk Preferences. Stated Preference Discrete Coice Modeling Analysis Depending on Smoking Behavior." International Economic Review 50, 1169-1182, 2009.

科学ジャーナリスト、編集者

いしだまさひこ:北海道出身。法政大学経済学部卒業、横浜市立大学大学院医学研究科修士課程修了、医科学修士。近代映画社から独立後、醍醐味エンタープライズ(出版企画制作)設立。紙媒体の商業誌編集長などを経験。日本医学ジャーナリスト協会会員。水中遺物探索学会主宰。サイエンス系の単著に『恐竜大接近』(監修:小畠郁生)『遺伝子・ゲノム最前線』(監修:和田昭允)『ロボット・テクノロジーよ、日本を救え』など、人文系単著に『季節の実用語』『沈船「お宝」伝説』『おんな城主 井伊直虎』など、出版プロデュースに『料理の鉄人』『お化け屋敷で科学する!』『新型タバコの本当のリスク』(著者:田淵貴大)などがある。

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