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がん公表から8年目、ピッチに立つ塚本泰史にインタビュー(後編)

平野貴也スポーツライター

9月24日に行われる、大宮アルディージャの「クラブ創立20周年記念OBマッチ supported by 竹内電機株式会社」(NACK5スタジアム大宮)で浦和レッズとのOB戦に出場する選手として、2010年に右大腿骨骨肉腫(足の骨にできる、がん)を患ったことを告白した塚本泰史の名前が発表された。「もう一度、ピッチに立つ」という目標が8年越しに実現する。

塚本は、2011シーズンをもって選手登録を解除。2012年からはアンバサダー(大使)に就任し、2016年からは、ホームタウン担当のスタッフとしてもクラブを支えている。選手とは異なる形での生活や挑戦も少しずつ見えてきているところだ。現在の仕事についても話を聞いた。

(※インタビュー内容は、前編中編後編の3回に分けて掲載)

――2016年からは、ホームタウン担当のクラブスタッフとしても働いていますよね

塚本  2015年までは、クラブハウスに行く機会は多くなかったですし、スタッフがどういう仕事をしているのかは、無知でした。でも、見てみてビックリしました。みんな、朝から晩まで働いて、何をモチベーションにして働いているんだろうなどと思うこともありました。最初は、机に座って仕事なんて面白くないとも思いました(笑)。それが会社というものなのでしょうけど。

――クラブスタッフとしての、現在の目標は?

塚本  昨年からスクールキャラバンを任されるようになって、ちょっと生き生きした感じが自分の中にあります。目標は、子どもたちにサッカーというか、体を動かすことを好きになってもらうことです。もちろん、アルディージャを好きになってくれたり、スクールに入ってサッカーを続けてくれたりしたら良いなと思っています。また、今年からはホームゲームでも子どもたちが参加するイベントを担当するようになりました。子どもたちと接する機会が多いので、子どもたちの未来を支えるというか、何かアシストできればいいなという気持ちになります。

――子ども向けのサッカーの普及と地域貢献ですね

塚本  アルディージャが好きで応援してくれている子どもは、実はすごくたくさんいます。でも、どこか遠慮がちだなと感じます。アルディージャが好きだ! と、胸を張れていないように感じるんです。隣にビッククラブがあって、成績面でも負けているからなのかな。それでは、クラブとしてダメだと思っています。トップチームには、強く誇らしくなってもらわないといけません。子どもたちが、胸を張って「アルディージャが好き」と言えて、スクールやアカデミーに入ることが誇りで、親の車にマグネットをベタベタと貼ってしまうとか、普段着でユニフォームを着てしまうとか、そうなってほしいです。子どもたちは、僕が選手だったことを知りませんから、OB戦では、もうひと花咲かせたいですね(笑)。

――最後に、試合を見に来る方、インタビューを読んでくれた方にメッセージをいただけますか

塚本  病気になってから、本当にたくさんの人に支えられてきました。手術に挑めたのも、治療を乗り越えられたのも、アンバサダーになってから毎年のチャレンジの時も、たくさんの人が応援してくれました。辛いとき、苦しいとき、本当に皆さんの声が聞こえてきて、僕の背中を押してくれました。皆さんのおかげで、今の僕があると思っています。病気になってから約8年、長いようで短くて、突っ走ってきました。あのピッチに立ちたいと思って、ずっとトレーニングに励んできたので、どう思われるのかは分からないですけど、感謝の気持ちと、僕の成長した姿というのを、見せたいと思います。背番号2のユニフォームが似合うかどうか分からないですけど(笑)、あのユニフォームを着て、またあのピッチに立つことができるのは嬉しいですし、目指してきたところでもあります。ぜひ、NACK5スタジアム大宮に足を運んで下さい。やるからには、勝ちたいと思っていますし、できればゴールを決めて喜びたいと思っています。

2012シーズン、開幕前のキャンプに塚本はいなかった。ようやく理由が分かると注目した記者会見は、骨肉腫(骨にできる、がん)の罹患というショッキングな内容だった。手術以降、塚本とは取材時に訪れるクラブハウスやスタジアムで少しずつ言葉を交わしてきた。足が思うように動かなくてもめげずにトレーニングをする姿は、アスリートのまま。一方で、アンバサダーをやれば「サイン会なんて、やりたくない。もうオレのことなんて、知らないんだから」と気を落としたり、ホームタウン担当のクラブスタッフを経験してみて「デスクワークなんて面白くない」と嘆いてみたりと、社会人としては若いだけに不満を漏らすこともあった。

それでも、難しい目標にチャレンジし続けてきた8年間を見てきて、彼の中には消えない闘志があると感じていた。支えになっていたのが、サッカーという生き甲斐なのだと、今回のインタビューで感じた。彼の姿は、今でも「目標や夢が、どれだけ人を前に向けてくれるか」、「応援してくれる人の存在が、どれだけ背中を押してくれるか」ということを教えてくれる。2012年の東京マラソンを完走したとき、塚本は「応援に来てくれた人が見えている間は、角を曲がるまでは絶対に歩けない」と言って感謝をしていた。

病気が判明し、医師には「サッカーは無理」と言われた。再びJリーグでプレーすることは現状、かなわない。それでも放った「諦めない」という言葉には、どういう意味が込められていたのか。手術以前の姿に戻る――夢のような完全復活ではない。それでも、再びユニフォームを着て、NACK5スタジアム大宮のピッチに立ち、声援を受けながらプレーする。彼は、その姿で意味を教えてくれるのではないだろうか。

■塚本泰史(つかもと たいし)

1985年7月4日生まれ、33歳。埼玉県出身。浦和東高校、駒澤大学を経て、2008年に大宮アルディージャに加入。2年目の2009年に右サイドバックのレギュラーとして活躍したが、翌年2月に右大腿骨骨肉腫の罹患を公表。2011シーズン終了時に選手としては退団したが、翌年からクラブのアンバサダーに就任。2016年からはクラブスタッフとしてホームタウン担当も務めている。

スポーツライター

1979年生まれ。東京都出身。専修大学卒業後、スポーツ総合サイト「スポーツナビ」の編集記者を経て2008年からフリーライターとなる。サッカーを中心にバドミントン、バスケットボールなどスポーツ全般を取材。育成年代やマイナー大会の取材も多い。

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