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3度目五輪届かなかった奥原希望、世界女王との激戦で見せた「生き様」

平野貴也スポーツライター
3度目の五輪出場はならなかったが、奥原は最終戦で強烈な爪痕を残した【筆者撮影】

 奇跡の大逆転は起こらなかった。バドミントンのパリ五輪出場権獲得レース最終戦であるアジア選手権(中国、寧波)の女子シングルス1回戦、奥原希望(太陽ホールディングス)は、1-2で世界ランキング1位のアン・セヨン(韓国)に敗れた。奥原は、五輪レースランキングで日本勢3番手。2番手に上がり、同ランキングで16位以上に入れば、逆転で五輪出場権を得られる立場にあったが、順位を上げられなかった。

試合前日に涙、垣間見えた覚悟と不安

 連戦の中、負傷明けでコンディションを整える難しさに直面している時期。相手は、23年世界選手権の女王。試合前日に会場で話を聞いたが「一人だけの力だったら、ここまでチャンスはつながっていない。みんなの思いを背負って戦って来た集大成を見せたい。もし(五輪出場に)つながらなくても、1試合1試合を戦ってきたことが、奥原希望の生き様、ストーリーとして、きっと残る。最後まで私らしく戦うことが、私のやるべきこと」と困難に挑戦する覚悟を示した。

 まだ試合前だが、涙が頬をつたっていた。2019年に実業団を辞めてプロとなり、勝つことこそが選手の価値の証明だと自身に言い聞かせて来た奥原が、勝つことよりも挑む姿勢を重視するには、葛藤があったはずだ。取材を終えると「生き様を見せるとか言って、ボコボコにやられたら、どうしよう」と笑ったが、単なるジョークではなかった。今の状態で勝負になるのか、不安を抱えていた。

負傷を抱える者同士の対戦、対照的な表情と仕草

トップパフォーマンスは出せなかったが、粘り強く戦い、世界ランク1位を苦しめる健闘を見せた【筆者撮影】
トップパフォーマンスは出せなかったが、粘り強く戦い、世界ランク1位を苦しめる健闘を見せた【筆者撮影】

 試合が始まった。アンも右ひざに負傷を抱えており、最近のパフォーマンスは少し落ちている。時折、奥原がラリーでアンを振り回して会場にどよめきが生まれたが、全体的にはアンのペース。体格に恵まれるアンは、守備範囲の広さが特長。小柄な奥原が必死で食らいつき、コースを狙って配球をしても、アンは次々に返してきた。負傷箇所をかばって身体の反応が遅れ、自分のエンドに落ちるシャトルを見送る奥原は、落下点を恨めしそうに見つめ「そこに来るのは分かっているのに!」と言わんばかりの表情。コートサイドでわずかに聞き取れるくらいの声で、悔しさをつぶやいていた。1点取っても、2点を取られる展開で、第1ゲームは15-21。

 しかし、第2ゲームで奥原が意地を示した。アンは、痛みと疲労を隠さず、表情に出す。長いラリーをすれば、大きなため息を吐いた。苦しいのは奥原も同じはずだが、表情には出さない。静かに闘志を燃やし続けた。相手が楽をしようとした瞬間、スピードを上げて点を奪う。相手の集中力が高くなるときは、丁寧な球回し。奥原の特長は、運動量や守備力、ストロークの精度だけではない。相手を観察し、心を読み、駆け引きをする。そして、容赦なく、自分が勝利するストーリーに引きずり込む強さがある。

「相手は、若い。ラリー間の仕草で隙が見えて、自分の気持ちが楽になる部分はある。そこで、自分が先に集中できたので、駆け引きは上回れたかなと思います」(奥原)

 現・世界女王と、負傷を抱えて戦って勝てるもの。そのすべてを活用した戦いに、アンの歯車が狂い始めた。

会場の空気一変、大逆転の可能性を感じさせた激闘

ファイナルゲームで勝機が見えるところまで迫る大激戦だった【筆者撮影】
ファイナルゲームで勝機が見えるところまで迫る大激戦だった【筆者撮影】

 第2ゲームは、10-11で折り返した。16-13から4連続失点で逆転を許したときは、敗戦が見えた。しかし、アンは、ラリーの終わりに倒れ込むなど、早く試合を終えたいという気持ちを見せていた。それならばと、嫌がる相手にラリーを展開。焦れる相手のミスを誘い、疲れた相手が軽い球を打ち始めると、すかさずスピードを上げて攻撃。奥原は、17-18から4連続得点で逆転。第2ゲームを奪い返した。

 ファイナルゲームは、10-17と突き放されたが、ネットインを返すなど諦めないプレーで粘りを見せた。アウトと判定された球がビデオ判定で覆った得点で14-17と迫ると、大逆転の可能性を感じ取った観客の空気が一変した。直後、ロングサービスのバックアウトで点を失ったが、3連続得点で17-18まで猛追。しかし、最後はアンがスピードを上げ、容赦なく球を返して17-21で勝負は決着した。女王をあと一歩のところまで追い込み、底力を示した。

3度目の挑戦は、度重なる負傷との戦い

 3度目の五輪出場への挑戦は、苦しいものだった。奥原は2016年リオデジャネイロ五輪で銅メダルを獲得。翌17年には世界選手権で史上初の日本人王者となった。19年の世界選手権でも銀メダルを獲得。世界の頂点を争ってきた。金メダルを狙った東京五輪は、ベスト8。パリ五輪での再挑戦に意欲を示した。

 しかし、負傷に泣かされ続けた。世界選手権は、21年冬も東京で行われた22年夏も欠場。右足太もも、左足ふくらはぎ……度重なる負傷で、試合に出られない時期が続いた。23年5月に五輪レースが始まっても試合の強度に耐え切れず、初めて1試合を戦ったのが、23年7月のダイハツジャパンオープン。五輪レースランキング144位の状況で「焦りは、とっくのとうに過ぎている」と厳しい出遅れを受け入れていた。

 同年8月の世界選手権でベスト8に入った後も調子は上がらなかったが、12月には、格下の国際大会で2週連続優勝を果たすなど復調。24年1月には、五輪レースランキングを18位まで引き上げた。しかし、完調ではない中の連戦でコンディションは向上せず。その後は、大堀との直接対決に連敗。苦境に追いやられたが、強行出場を続けてわずかでも加点。最終戦のアジア選手権での大逆転の可能性を残した。

もがいて知った、勝つこと以外に示せる価値

【筆者撮影】
【筆者撮影】

 残り1大会での五輪切符獲得は、最低でもベスト4進出という難しい条件だった。しかし、完全な出遅れを考えれば、最終戦まで可能性をつなげたこと自体が、驚異的だ。その挑戦の中で、奥原は一つの大きな変化を受け入れていた。試合後、奥原は、思いを明かした。

「プロとして、結果を出すことがすべてと思ってやってきたけど(思うように勝てなくなって、それでも支えを受けることで)周りの人の存在の大きさを感じ始めた。そういう存在に気付かせてくれることが、今回、パリに向けて戦っている中での、学びでした」

「リオ、東京とは全然違う(勝つことがすべてではないという)思いと、やっぱり戦いたい、(大きな舞台に可能性を)つなぎたい思いと(両方がある)。でも、ここにいることが、やっぱり幸せだなというところに、行き着きます。簡単には、ここには立ち続けることができないし。私も(キャリアが)残り少ないので、後半には完全に差し掛かっている中、どこまで自分ができるか、自分の限界に挑戦していくことが、一つあるのかなと思います。だから(レースの)後半は、あまり五輪(だけを)と考えているのではなく、一戦一戦、ベストを尽くす。それ以上でも、それ以下でもないと思ってやってきました」

 涙を流しながら、様々な言い回しで思いを表現した。話し方や表情から、多くのことがうかがいしれた。五輪の大舞台を目指す挑戦の最後になる可能性の認識と緊張感。その試合に万全のコンディションと自信を持って臨めない、悔しさ。それでも周囲の支えや応援を受け、勝つことを期待されて試合に臨めるプロ選手としてのやりがい。勝たなくても挑戦に価値があると知った喜びと、勝たない可能性を認める自分になることへの抵抗。勝負の世界に身を置き続けたことで得た、すべてが溢れてくるようだった。

ユーバー杯で、日本を世界一へ「次世代に伝えたいものもある」

4月末開幕の国別対抗戦ユーバー杯では、日本女子代表の一員として優勝を目指すつもりだ【筆者撮影】
4月末開幕の国別対抗戦ユーバー杯では、日本女子代表の一員として優勝を目指すつもりだ【筆者撮影】

 3度目の五輪出場を目指す戦いを終えて、どこへ向かうのか。大きな挑戦だっただけに、引退もあり得るかもしれないと思って確認したが、何を言っているんだという表情だった。

「(近々の引退は)全然、ないです。現実的な話をすれば(その場合は)スポンサーさんとの話し合いも必要。まだ、私は話をしていません。歩みを止めるところまで、どういう道を描いていくかを考え始めなければいけないとは思っていますけど。五輪は大きな価値のある大会だけど、それだけがすべてでもない。バドミントン競技という大きなくくりで見た時には、自分がもっと追求できる部分はあると思っている。競技として追求したり、伝えたり。現役中にできることは、もっといっぱいあると思う。そういったものを、求めてもらえるものがあるなら、自分が今度は(与えてもらって来た立場として恩を)返しながら、どこまでできるかをいろんな方と相談しながらやっていけたらなと思います」(奥原)

 奥原は、4月27日から行われる女子国別対抗戦ユーバー杯の合宿メンバーに選出されており、団体戦で強い日本を証明することもターゲットとして重視しているという。未来のエース候補、宮崎友花(柳井商工高校)の名前も挙げ「次世代に向けて伝えたいものもある」とも話した。大きな挑戦を終えて、いまだ闘志衰えず。苦労した五輪レースで気付いた、価値あるバドミントンプレーヤーとして生き様を見せる歩みは、まだまだ止まらない。

スポーツライター

1979年生まれ。東京都出身。専修大学卒業後、スポーツ総合サイト「スポーツナビ」の編集記者を経て2008年からフリーライターとなる。サッカーを中心にバドミントン、バスケットボールなどスポーツ全般を取材。育成年代やマイナー大会の取材も多い。

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