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がん公表から8年目、ピッチに立つ塚本泰史にインタビュー(中編)

平野貴也スポーツライター
「もう一度ピッチに立つ」目標を目指した8年の歳月には、葛藤もあった【筆者撮影】

9月24日に行われる、大宮アルディージャの「クラブ創立20周年記念OBマッチ supported by 竹内電機株式会社」(NACK5スタジアム大宮)で浦和レッズとのOB戦に出場する選手として、2010年に右大腿骨骨肉腫(足の骨にできる、がん)を患ったことを告白した塚本泰史の名前が発表された。「もう一度、ピッチに立つ」という目標が8年越しに実現する。

塚本は、2011年3月に、右ひざに人工関節を移植する手術を受け、さらに抗がん治療を行った。クラブは2011年まで選手契約を継続したが、シーズン終了時に登録を解除。翌年から、塚本はアンバサダー(大使)としてクラブの広報活動に参加。2012年の東京マラソン完走を皮切りに、富士登山やトライアスロンに挑戦。14年には大宮から仙台、16年には大宮から佐賀と長距離を自転車で走破するなど、様々なチャレンジ企画に挑戦してきた。

挑戦する目標は、塚本の生きがいとなったが、その間も時計の針は進む。8年の挑戦は、同時に選手ではなくなっていく自分と向き合う葛藤を抱える時間でもあり、心境は大きく変わっていった。

(※インタビュー内容は、前編中編後編の3回に分けて掲載)

――ところで、OB戦の出場が決まったときの心境は?

塚本  うーん……。嬉しかったんですけど……結構、複雑でした。そこで(これまで続けて来た挑戦が)終わってしまうのかなという思いもありましたし、なんか、そこで(ピッチに)立つのは違うのかなって思うところもありました。

――目指していたゴールが来てしまう、感覚?

塚本  はい。そうですね。でも、クラブの人たちは「ひとまず、何も考えずに楽しもう」と言ってくれました。ピッチに立って、試合を終えれば、また違う見え方になるだろうし、まずは楽しんでやってみて、その後のことは、それから考えようと思っています。口では「もう一度、ピッチに立つことが目標」と言い続けてきましたけど、トレーニングを続ける中で、なかなか成長が見られないというか、すごく地道なところもあって、ちょっと難しいのかなとも思っていたので、まさか、ここまで動けるようになるとは思いませんでした(※詳細は、前編)。スタジアムのピッチに立つということは、本当に最終的な夢というか目標のようなもの。立ってみて、どう感じるのかは、実際に経験してみないと分からないです。

――病気の公表から今までの8年間、いろいろな変化がありました。最初は、2011シーズンでの契約満了と、2012年のアンバサダー就任でした

塚本  正直に言えば、選手登録を続けさせてほしいという思いはありました。それが、一つのモチベーションになっていましたから。でも、やっぱり現実的に考えれば、僕よりも絶対に使える選手が契約満了になっていく世界で、それは無理です。クラブは、僕のことをすごく考えてくれていて、もう一度ピッチに立つという目標を目指すトレーニングと、今後の生活に必要な仕事をするということを両立できるように、クラブ初のアンバサダーという職を用意してくれました。ありがたかったですし、嬉しかったです。すごく、感謝しています。

――ただ、アンバサダーを続けていくうちに、時の流れを感じて苦しんでいた時期がありましたよね

塚本  あの時期は、すごく、複雑でした。12~13年くらいまでは、良かったです。クラブが、アンバサダーとして、色々なイベントの先頭に立たせてくれました。でも、14年くらいになると、みんなの記憶から自分の存在が薄れていくのを感じていました。もちろん、僕のことを知らない新しいファンの方も増えてきます。周りが僕のために良かれと思って先頭に立たせてくれているのは分かっていましたけど、お祭りでサイン会をやって「えっ、この人、誰?」みたいな顔をされたときもあって、すごく辛く感じる時期もありました。自分はサッカー選手なんだという感覚が抜けきれない部分があったのだと思います。今は、クラブのために何ができるかという考え方になったので、そういう気持ちにはなりません。昨年からスクールキャラバンを担当していますが、小さい子どもたちは僕のことなんて当然、知らないですしね。

――8年を振り返って、どんなことを思いますか

塚本  病気になって、いきなり「サッカーはできない」って言われたときは、今までサッカーしかしてこなかったから、命を取られたというか、そんな感じでした。当時は、とにかくサッカーがしたいという思いでした。でも、病気をして、年齢を重ねて、アンバサダーになっていろんな経験をさせてもらう中で、自分は幸せなんだと思うようになりました。当時は、そんなふうには考えられませんでしたけど。

――2012年のアンバサダー就任後は、いろいろな挑戦を行いましたね

塚本  はじめは、とにかく、がむしゃらでした。目標に向けて、突っ走って来た感じでしたね。でも、最近は、どちらかというと、自分のチャレンジというより、骨肉腫を患ったこどもたちとか、そういう人に思いを届けられたら良いなという思いが強くなってきています。手術後は、ここまで体が動くようになるとは思ってもみなかったので、繰り返しになりますけど、普通に毎日を元気に過ごせて、やりたいことをやって、サッカーもできるようになって……今がすごく幸せだなって感じています。

後編に続く

スポーツライター

1979年生まれ。東京都出身。専修大学卒業後、スポーツ総合サイト「スポーツナビ」の編集記者を経て2008年からフリーライターとなる。サッカーを中心にバドミントン、バスケットボールなどスポーツ全般を取材。育成年代やマイナー大会の取材も多い。

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