さよなら、福井ミラクルエレファンツ さよなら、田中雅彦監督
■「エレファンツファンへの感謝のつどい」
福井ミラクルエレファンツが来季はBCリーグへの加盟更新を行わないことを発表し、田中雅彦監督も福井の地を去ることになった。
2017年にバッテリーコーチとして着任し、翌年から2年間、指揮を執った田中監督は、接しやすい兄貴のような存在として選手たちから慕われてきた。
誰よりも率先して動き、常に選手のことを考え、チームのために非常に尽力した監督だった。
10月31日、毎年開催される「シーズン報告会」を「エレファンツファンへの感謝のつどい」と形態を変更し、これまで応援してくれたみなさんとの別れを惜しむ場が設けられた。
そこで田中監督に福井での3年間を振り返ってもらった。
■田中雅彦監督へのインタビュー
――田中監督にとって福井球団とは
まず、僕が福井球団にお世話になろうと決めたきっかけっていうのは、やっぱり新谷(隆美)社長の人柄なんですよね。
現役を引退して指導者になりたい、指導者を目指したいという思いがあったから、そういったステージを探していて、そこで新谷さんという方と知り合って、人柄に惚れて福井にお世話になることに決めました。
黒田(英之)常務もそうだし、球団のスタッフもそう。スタッフの人たちがみんな心温かく、アットホームというか、本当にいい人たちばかり。
人としてみんなのことが好きだったから、この福井球団をなんとかしたいなという気持ちで3年間やらせてもらいました。
――指導者としてどんな3年間だったか
岩本(輝)や片山(雄哉)、松本(友)っていう選手たちとも一緒にプレーさせてもらったりして、ほんとに選手が一生懸命で、純粋に上を目指している選手たちがたくさんいる。
僕が選手たちに一生懸命にさせてもらえましたね。
(選手に)言って撥ね返ってこなかったら、やっぱりやる気もモチベーションも下がるけど、やったらやっただけ撥ね返してくれていたから、みんな。
「こいつらのためなら肩が潰れても投げてあげよう」と思えるから、一生懸命できていたというか、いい思い出が作れたと思います。
――思い出は尽きない中、とくに挙げるとすれば
福井に来て、一番思い出に残っているのは何かっていわれると、優勝したりとか(教え子が)NPBドラフトにかかったりっていうのはもちろんいい思い出だし、なかなかできない経験をさせてもらったんですけど…。
でもやっぱり、今シーズンのようにすごく苦しい思いをいっぱいしたことかな。
もともと僕が指導者を目指したいと思ったきっかけというのがあって…。
自分がNPBで成功した人間じゃなくて、失敗を繰り返して繰り返して、現役を辞めるときに「もっとこうしとけばよかった」とか「もっとこうやっていれば、俺はもうちょっと頑張れたんじゃないか」っていう思いがあったんです。
だから、NPBを目指している選手たちに少しでもそういう思いをさせたくないとか、遠回りや無駄な努力をしなくていいよう、コツというかヒントを伝えられたらなぁと考えたのが指導者になりたいと思ったきっかけなので。
選手たちが苦しんでいて結果が出ない思いだったりとか、試合でうまくいかない気持ちっていうのがすごくわかるつもりではいました。
なので、楽しい思い出もいっぱいあるけど、やっぱり一緒に苦しんだ思いっていうほうが、思い出というか気持ち的には残ってるかなというのが正直なところですね。
――残る選手たちへの思いは
選手を育成するっていう強い思いの中でやったシーズンで、その選手たちが本当に成長してきているのが目に見えてあったので、そういった選手たちを最後まで見送ってあげることができない。
最後まで選手に尽くすじゃないけど、寄り添って、僕のすべてを注げて終われていたら一番よかったんですけど、そうできないまま辞めていくというのは、とても心残りな部分ではあります。
――どんな選手たちだったか
僕が関わった選手たちはみんな、いい子たちでした。
一生懸命の度合いは多少違ったりもするかもしれないけど、人として一対一として接すれば、ほんとに素直な子たちばかりでした。
僕が接している中で、悪い子っていうのはいなかった。だからほんとに、みんなかわいかったですね。
――これから離れるが、選手のことは気がかり
もちろん。そりゃそう、そりゃそう。
選手たちには、いつでも連絡してこいって言ってるんですけど。まぁ、「電話してこい」って言ったところで、しづらい部分もあるかもしれないけど(笑)。
でも、やっぱり僕はこうやって会えるのは縁だと思うので。人と人とは縁でしかないと思うので。そうやって知り合えた縁っていうのは大事にしていきたいし、僕もやっぱり縁をずっと大事にしてきたので。
こうやって一緒に関わった選手たちっていうのは、やっぱりどこにいても繋がってるもんだと思うから。今の時代、携帯もありますしね。
だから、僕がいないからできないとかじゃなくて、やっぱり自分で一人立ちできるようにしてほしい。
選手にはやるべきことは伝えているし、もしわからないことがあるなら電話してきて、それで俺からできるアドバイスはいくらでもするしという話もしているし。
これでもうキミたちとは関わりないっていうことじゃないので、決して淋しいだけではないと思うんですよね。
もちろん、そりゃ一緒にいて見るに越したことはないですけど、いずれはそうなるわけなので。
会えないのは淋しいかもしれないけど、いつでも連絡は取れるから。
――巣立っていった片山選手や松本選手も、いまだに「心の師匠」「特別な存在」だと言っている
嬉しいですよね。
僕自身も、自分が選手だったころの監督と選手の関係とは全然違うと思います。それよりは数倍しゃべりやすいだろうし、近いと思います。もちろんそれを意識してやってきましたから。
何かあったら連絡してほしいと思うし、今後の進路のことでも相談にも乗りたいと思っています。
――最後に
毎日毎日が自分にとって成長できた、選手たちよりも僕が成長させてもらえた3年間だと思っています。
ほんとに選手たちに感謝しているし、過去の選手たちにも感謝しています。
(インタビュー・完)
どの選手に聞いても、「田中監督のおかげで」「田中監督がいたから」と感謝の言葉、慕う気持ちが溢れ出てくる。
そんな選手たちの田中監督への思いは次回、紹介する。
【田中 雅彦(たなか まさひこ)】
捕手
PL学園高―近畿大―千葉ロッテマリーンズ―東京ヤクルトスワローズ―福井ミラクルエレファンツ(バッテリーコーチ―監督)
175cm・75kg/右投右打/A型
大阪府出身
(撮影はすべて筆者)
《田中雅彦監督*過去記事》
《石川ミリオンスターズ》