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未婚男女「恋愛は面倒くさい」が6割なのに、繰り返し恋愛や結婚をしてしまうワケ

荒川和久独身研究家/コラムニスト/マーケティングディレクター
(写真:イメージマート)

恋愛なんて面倒くさいという未婚男女

恋愛は面倒くさいと思うだろうか?

単純に、それを未既婚で比べてみれば、明らかに未婚の方が既婚より「恋愛は面倒くさい」と答えると思うだろう。実際その通りで、20-50代未既婚男女に対して「恋愛は面倒くさい」と思う割合について聞いた2020年での結果が以下の通りである。

未婚は全体的に6割が「恋愛が面倒」と答えている。未既婚ともに、20代以外は女性の方が「恋愛は面倒」と思っているのが興味深い。

一方で、既婚男性は3割程度、既婚女性も多くても30代の4割で、未婚男女と比べれば圧倒的に少ない。

これを見る限り、やはり結婚の有無は「恋愛できるかどうか」に左右されると思うかもしれない。少なくとも、「恋愛が面倒」と思うタイプは、結婚どころか恋愛自体もしないわけで、これだけを見てしまうと「イマドキの若者は恋愛離れ」だと思いたくなるかもしれない。

若者の恋愛離れは大嘘

しかし、同じ質問を6年前の2014年にも実施しているが、実は未婚男女の割合はほぼ同じである。変わっていないのである。もちろん、昭和の時代に同じ調査はしていないので、40年前の若者は違ったといわれてしまえば、それに反論するエビデンスは少なくとも私は持っていない。

が、「恋愛は面倒か」という直接的な質問かどうかは別にすれば、国の基幹統計の出生動向基本調査での1980年代も2020年も「恋人のいる割合」はまったく変わっていないことは事実である(参照→40年前から「恋愛強者は3割しかいない」のに「若い頃俺はモテた」という武勇伝おじさんが多い理由

同時に、デートの経験率でさえ、40年前の高校生と現代の高校生で差があるわけではなく、全く同一である(参照→「デート経験なし4割」で大騒ぎするが、40年前も20年前も若者男子のデート率は変わらない

結果としての恋愛経験や、デート経験から類推するに、令和の若者も40年前の昭和の若者も大差はないのである。つまり、「イマドキの若者が恋愛離れ」しているのではなく、いつの時代も、恋愛できる割合に変化はない(恋愛強者3割の法則)ということなのだ。

それでも、未婚と既婚とでは「恋愛を面倒」と考える割合が明らかに違うではないかという指摘もあるだろう。

しかし、これは「恋愛は面倒と思う人間は結婚しない」というわけではない。そもそも既婚者ですら「3割は面倒くさい」と思っているのだ。要するに、「恋愛は面倒でも、結婚はする」という人もいるのだ。

恋愛経験有無別に見ると?

実際に、付き合った人数がゼロの人間と、最低一人以上付き合った相手がいる場合とで分けてみると以下のようになる。

特に、未婚男性で顕著であるが、20-30代は恋愛未経験の方が「恋愛は面倒ではない」と思っているのに対し、40-50代になると「一度も恋愛をしたことがない」者ほど「恋愛は面倒だ」と考えてしまうようになるのである。実に80%を超える

むしろ、これは「一度も恋愛をしたことがない」ゆえに、「恋愛とは面倒なものだから俺はそんなことはしないのだ。それが正解なのだ」と思い込もうとしているのかもしれない。たとえ、しないのではなく、本当はできないのだとしても、自らの意思でしないのだと思いたいのかもしれない。それは、心の安定のためのバイアスのひとつであり、仕方のないことだろう。

しかし、問題は、恋愛経験ありでも「恋愛は面倒だ」と思う割合は男女も5-6割も存在することだ。データは割愛するが、これは、恋愛経験人数が4人以上となればもっとあがる。恋愛経験が1-3人以内がもっとも「恋愛は面倒なものではない」という割合が高い。

つまり、恋愛経験がゼロでも、恋愛経験が豊富すぎても、いずれにしても「恋愛は面倒だ」という結論に達するのである。

ちなみに、結婚している夫婦の結婚相手は、恋愛経験人数3人以上4人未満が最頻値である。恋愛が面倒にならない前段階で結婚しているともいえる。

1980年代まではお見合いや職場結婚が大半を占めた。恋愛相手1人目と結婚する例も多かった。そして、その時代の離婚率も極端に低い。

何事も経験とはいうが、恋愛は無駄に多くの相手と恋愛をすると藪蛇な場合もあるのかもしれない。経験を経て、最善の相手が見つかるというのなら別だが、なまじ経験を経ると、同じゲームをまた最初の画面から始めないといけないのと同様「あ~、またこれの繰り返しか…面倒くさい」と思ってしまうのかもしれない。

写真:イメージマート

但し、恋愛経験ゼロの「面倒」と恋愛経験ありの「面倒」は質が違う。後者は「面倒だと思っていてもまた恋愛してしまう」のだろう。

恋愛は脳のバグ

そもそも「恋愛なんてものは面倒なもの」なのである。

恋愛物の映画やドラマは必ず主人公同士の恋愛に面倒が起きることから物語が始まる。むしろ、面倒がなければ物語として成立しない。江戸時代、歌舞伎や浄瑠璃で人気を博したのは、この大抵「面倒な恋愛」のもつれの末の心中話(曽根崎心中)や怪談話(東海道四谷怪談)などである。他人の恋愛の面倒はエンタメコンテンツになるのである。

虚構だけではなく、実際に何度か恋愛を経験している人にはわかると思うが、恋愛は始まる前も何かと面倒といえば面倒である。

どこにデートに行くか、その時の服装はどうするか、どういう会話や態度をすればいいか…一旦、客観的に俯瞰で見てしまうと面倒なのである。そして、それはいざ付き合った後も続く。浮気や二股という事件が発生する場合もあれば、予期せぬ第三者や環境によって発生する降りかかる面倒もある。借金などの金の問題が起きることもある。

これは恋愛に限らず、結婚生活でも同様だ。むしろ、結婚後の面倒の方が多いかもしれない。

しかし、不思議なもので、そうして発生する面倒も当人にとっては面倒と感じない場合がある。客観的にその事象だけを取り出せば面倒と判断するかもしれないが、人によるのだ。その相手との間で発生する問題は面倒ではないと思う場合がある。「どこにデートに行くか、その時の服装や会話はどうするか」ということすら、面倒ではなく楽しみに感じる場合もある。

他人からみたら「それ、面倒くさそう」と思うことも、「それが楽しい」と思えてしまうのが、恋愛という脳のバグなのかもしれない。

写真:イメージマート

脳科学的にいえば、恋愛脳というものは存在せず、それは「子育てで感じられる脳の快感」の疑似体験というバグなのだそうだ。

結局、バグった方が、恋愛も結婚も子育ても楽しめて、しあわせを感じられるのかもしれない。

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独身研究家/コラムニスト/マーケティングディレクター

広告会社において、数多くの企業のマーケティング戦略立案やクリエイティブ実務を担当した後、「ソロ経済・文化研究所」を立ち上げ独立。ソロ社会論および非婚化する独身生活者研究の第一人者としてメディアに多数出演。著書に『「居場所がない」人たち』『知らないとヤバい ソロ社会マーケティングの本質』『結婚滅亡』『ソロエコノミーの襲来』『超ソロ社会』『結婚しない男たち』『「一人で生きる」が当たり前になる社会』などがある。

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