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国民は舐められている「少子化対策・子育て支援といえば簡単に増税できる」味をしめた政治家

荒川和久独身研究家/コラムニスト/マーケティングディレクター
(写真:イメージマート)

少子化対策にならない子育て支援

「子育て支援では出生減は改善されない」

この事実は何度もエビデンスをベースに説明してきた。日本に限らず、欧州などにおいてもそれは同様で、子育て支援政策予算というべき欧州の「家族関係政府支出GDP比」は軒並み日本より高いが、とはいえ出生率も出生数も下がり続けている。そもそも予算の多寡と出生率とは無相関である。

参照→「異次元の少子化対策」を検証する~子育て支援は出生率に影響するのか?

子育て支援予算を拡充したら出生率があがるのならば、30兆円も予算を投じた韓国の出生率が0.72と世界最下位なのはどういうことだろうか。

参照→日本が学ばなければならない「韓国の少子化対策の失敗」出生率激減の根本理由

シンガポールも1980年代から「3人以上の子どもを持とう」というスローガンを掲げて子育て支援予算を投じてきているが、結局一時的に回復したように見えても持続性はなく、あれよあれよと日本より下の0.97にまで低下した。まるで介入しても円安が止まらない状況のように。

参照→「出生インセンティブ政策では出生率はあがらなかった」シンガポール出生率0.97

子育て支援を否定しているのではない。それは少子化であろうとなかろうと必要なことである。しかし、子育て支援に予算を投じたからといってそれが出生増や出生率改善につながる少子化対策にはならない。

その意味で、子育て支援偏重の政府の異次元の少子化対策は的外れであるし、子育て支援金などという新たな国民負担増に至っては、「これから結婚して子を持とう」という若者の意欲をそぐボディブローとして効いて、ますますの少子化が加速していくだろう。

「第三子1000万円支給」の的外れ

同様に「第三子に1000万円支給」などという案も的外れとしかいいようがない。

「経済的な理由で第二子や第三子をためらっている夫婦への支援」というものからきているらしいが、少子化における要因としての経済的問題はその通りで否定しない。しかし、経済的問題の本質は、すでに結婚して出産した夫婦側よりも、「結婚や出産を希望しながらそれが実現できない不本意未婚と不本意無子」の問題である。

そもそも、第三子は減っているのか?という事実を確認しよう。

婚姻数と出生数および第一子、第二子、第三子それぞれの出生数の推移を2000年を1として比較したものである。

一目瞭然だが、実は第三子の出生数は、第一子・第二子と比べても減少幅は小さい。

確かに、2005年頃までは第三子の減少幅がもっとも多く「少子化は第三子が産まれない問題だ」というのはその時期までは正しい。しかし、その後は、むしろ第三子だけが回復している。当然、第三子出生数は第二子が産まれなければ発生しないので、絶対数としては減るのだが、その全体の出生数が減る中でも第三子出生数だけは健闘しているといえるのである。

ちなみに、第一子を産んだ母親が第二子を産む割合は、2000年75%に対して2022年79%、第二子を産んだ母親が第三子を産んでいる割合は、2000年32%に対して2022年では36%である。出生絶対数は減っているが、第二子、第三子を産む割合は増えている。

つまり、真の問題は、そもそも第一子の絶対数の減少なのである。

第二子の減少はほぼ全体の出生数とリンクしている。全体の出生数が減っているが、それでも第二子を産む割合は減っていないことを意味する。しかし、第一子は、全体の出生数減少以上に減っており、なんなら婚姻数の減少よりも減っている。

本質的な問題

以上の通り、少子化の問題とは「第三子以上が産まれない」ことではなく「第一子が産まれない」問題であり、第一子が産まれなければ将来の第二子も第三子も産まれない。逆に言えば、第一子が増えれば自動的に第二子、第三子も増える。

さらに、第一子が産まれない問題は婚姻数の減少の問題であり(一部結婚しても無子割合夫婦も高まっているが)、婚姻数の減少は中間層の若者が置かれた経済的・社会的環境の問題でもある。

ここを無視し続けていては少子化対策にはならないのである。

参照→少子化は「20代が結婚できない問題」であることを頑固なまでに無視する異次元政府

「未婚率は改善されないので、今結婚している夫婦がもうひとり産めばいい」などという論法は、まさしくエビデンスを無視した話でしかない。

もちろん、結婚を強制するものではない。若者のうちから選択的非婚を決め込んでいる割合は2割弱に達しているが、一方で、結婚したいと思っているのに結婚できない不本意未婚は4割存在する。前者の非婚の生き方は尊重されるべきだが、後者の不本意未婚の若者のことを透明化してはならない。

「第三子に1000万支給」などというものは、「大きな大河の向こう岸まで泳いで渡れば報酬をあげるよ」的なもので、泳げる者は何の苦労もなく報酬を得られるが、泳げない者は途方に暮れるだけだ。それに対して「泳げないのは努力が足りないからだ。自己責任だ」とでも言いたいのだろうか。それとも、泳げない者までも飛び込ませて溺死させたいのだろうか。

大河を渡るということを前提とするならば、本来政治がやるべきは「金をやるから泳いで渡れ」と言うのではなく、船を用意したり、橋をかけたりすることではないのか。

写真:イメージマート

加えて「第三子に1000万支給」は子有vs子無の無用の精神的対立分断を深めることにもなるだろう。

そもそも、自治体ごとにもらえるところともらえないところが発生することの弊害はどうなのだろう。たとえ、全国一律だとしても、何年生まれから1000万円支給と決めたとして、それ以前に生まれた第三子との不公平感はいかにするのだろう。同じ年に生まれた子でも、1000万円もらえた子ともらえなかった第一子・第二子の子がクラスで混在するわけだが、それで波風は立たないと言い切れるだろうか。

それって政治家の都合ですよね?

「少子化対策にはいまこそインパクトのある政策が必要」などという政治家がいるようだが、政策にインパクトを求めたいのは政治家の都合でしかない。選挙活動や遊説でウケのいい演説をしたいがためのものだろう。守るつもりのない選挙公約などいくらでも言える。

政策にインパクトなど不要である。

地味であろうが実効性のある政策こそが望ましい。単純に年少控除などの復活などで十分子育て世帯の可処分所得は増える。

本当の子育て支援というのであれば、現金給付よりも、保育環境の整備や教育費負担の軽減など受益サービス部分で対応すべきである。現金給付は所詮「今いる子のために使われる貯蓄」として計上されて、新たに子を産もうという動機につながらないことは、いままでの政策と結果を検証すれば明らかである。

むしろ現金による給付金などは余計な作業や中間中抜きが発生するだけで、無駄が多い上に、利権に群がる業者を喜ばせるだけだろう。

提供:イメージマート

子育て支援と言えば増税できる

それでもなお、与党も野党も政治家がとにかく児童手当などの給付金をバラマキたがるのは、「俺がやってやった」という感を出したいがためのものでしかないのだが、そうした政治家の見栄のせいで、「給付はされるがそれ以上の負担金が課せられる」という結末に陥る。

それは、今回のこども家庭庁の子育て支援金しかり、2009年の旧民主党の子ども手当と引き換えに年少扶養控除の縮小しかりである。

支援どころか結局やっていることは増税ではないかという話だ。

多くの子育て世帯の人たちでさえ、すでにその欺瞞に気付いており、「余計なバラマキはいらないから取るな」と声をあげている。

子育て支援といえば簡単に増税できると政治家や官僚が味をしめているのだとすれば、そろそろそこに明確なNOを突きつける時ではないだろうか。

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独身研究家/コラムニスト/マーケティングディレクター

広告会社において、数多くの企業のマーケティング戦略立案やクリエイティブ実務を担当した後、「ソロ経済・文化研究所」を立ち上げ独立。ソロ社会論および非婚化する独身生活者研究の第一人者としてメディアに多数出演。著書に『「居場所がない」人たち』『知らないとヤバい ソロ社会マーケティングの本質』『結婚滅亡』『ソロエコノミーの襲来』『超ソロ社会』『結婚しない男たち』『「一人で生きる」が当たり前になる社会』などがある。

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