4500勝を達成したレジェンドを、世界が祝福。ルメールの言う現在の武豊とは?
さすがの騎乗で達成
「モノ見をしていたそうですが、完全に勝ったと思いましたけどねぇ……」
5月12日の東京競馬場、第2レース。JRA通算4500勝を達成した武豊の2着に敗れた田辺裕信はそう言った。
天才ジョッキーの操るウェットシーズンを1度は完全にかわしたのが田辺騎乗のタンゴバイラリン。しかし、差し返されて頭差の2着。レース後のメモリアルセレモニーでは「田辺君が空気を読んでくれました」とレジェンドは言った。しかし、当の田辺は「あの態勢から差し返されたくはなかったので、必死で追っていましたよ」と言い、苦笑した。その表情は「さすがユタカさん」と呆れているようにも、見えた。
「さすがです」
実際にそう語ったのは、勝ち馬を管理する調教師の田中博康。騎手時代「フランスで乗りたい」と言うので、サポートさせていただいた。その際、紹介したのがフランスでの騎乗経験も豊富な武豊だった。年齢が離れている上に東西別の所属だったため、それまでは「たまに競馬場が同じになると挨拶するくらい」(田中)で交流がなかったそうだが、そこは同じ騎手。田中のフランス遠征を機に、一気に距離が縮まった。
「ユタカさんのメモリアルに貢献出来て良かったです」
世界の名手が祝福
フランス繋がりで言えば、先日、鞭を置いたばかりのオリビエ・ペリエ元騎手からも通信ツールのWhatsAppを介し、当方に祝福の言葉が届いた。
「Super」
最初の一語はそう書かれていた。それに続き「祝福のメッセージを送りたいのでユタカさんの電話番号を教えてください」という旨の言葉が、英語で記されていた。
「セレモニーの時、ターフィー君を渡しました」
嬉しそうにそう語るのはクリストフ・ルメールだ。
「最初に知り合ったのはユタカさんがフランスに来ていた時です。僕と同じエージェントだったので、紹介してもらいました。それから注目して見るようになりました。最初から綺麗な騎乗フォームで、さすが日本のナンバー1ジョッキーと感じたし、僕の目標のジョッキーの1人になりました」
それから月日は流れたが、その思いは今でも変わらないと続ける。
「多くのジョッキーは年齢を重ねると身体に固さが出て、乗り方が変わります。でも、ユタカさんは今も昔と変わらない。それどころか今でもインプルーヴ(改善)して良くなっているように感じます」
ルメールが言う現在の武豊とは?
彼等の他にもマイケル・キネーンやジョン・ハモンドら海外の騎手や元騎手、元調教師等からも当方に祝福の言葉が届いた。武豊がアナログ(失礼)で、通信ツールをいくつも持っていないため、こちらに連絡が来ているのだと思うが、お陰で改めて“世界のユタカ”を感じる事が出来た。
2000年にはアメリカで腰を据え、01、02年にはフランスに長期滞在した。他にも二十年前後、毎夏フランス競馬に参戦していた時期があった。それだけ日本を留守にしていながらの4500勝。毎年100勝したと仮定しても45年かかるナンバーだ。しかし、以前「ずっと日本にいたらあと何勝多くなったのか?」といった旨の話をレジェンドにしたところ、彼は次のように答えた。
「確かに物理的には海外にいる間、日本での数字を伸ばす事は出来なくなります。でも、日本とは少し違う競馬を経験した事が活きて、勝てたというレースも山盛りあります。だから一概に日本にいればもっと勝てたとは思いません」
以前に比べ頻繁に海の向こうへ行く事のなくなった昨今だが、ついこの前も「またアメリカに長期滞在してみたい。フランスも良いかな……」等と言っていた。こういったチャレンジスピリットが、ここまで勝ち鞍を伸ばし、55歳となった今もまだ彼をトップジョッキーとして君臨させているのだろう。
ちなみにルメールは、最後にひと言、次のように言っていた事も、記しておこう。
「ユタカさんのフォームは今でも誰よりも綺麗だし、1番上手なジョッキーだと思います」
4500という“前人未到の通過点”を超え、果たしてこの金字塔はどこまで高くなるのだろう。現役でいながらレジェンドに昇華したジョッキーのこれからに改めて注目したい。
(文中一部敬称略、写真撮影=平松さとし)