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シリアでの化学兵器使用疑惑事件をめぐってロシアに非難の矛先を向ける欧米諸国

青山弘之東京外国語大学 教授
https://www.opcw.org/(2023年1月27日)

化学兵器禁止機構(OPCW)は1月27日、シリアでの化学兵器使用疑惑事件にかかる調査識別チーム(IIT)による報告書(139ページ)を、技術事務局の覚書(S/2125/2023)として公開し、2017年4月7日にダマスカス郊外県ドゥーマー市で発生した化学兵器攻撃に関して、シリア空軍が行ったと信じるに足る合理的根拠があると指摘した。

この攻撃は、ドナルド・トランプ政権下の米国、そして英国によるシリア政府支配地に対するミサイル攻撃のきっかけとなった事件だ。

シリア軍による化学兵器攻撃の断定

IITが報告書を発表するのは、2020年4月8日の第1回報告書(S/1867/2020)、2021年4月12日の第2報告書(S/1943/2021)に続いて3回目。

IITは、CWC(化学兵器禁止条約)締約国で化学兵器が使用された場合に加害者、計画者、支援者などを特定すべきだとした2018年6月26日の締約国会議での決定(C-SS-4/DEC.3)に基づき、OPCW技術事務局長が設置した組織で、2019年半ばに活動を開始した。

第1回報告書では、2017年3月24、25、30日にハマー県ラターミナ町での化学兵器使用疑惑事件について、OPCW事実調査団の過去の報告書の検証、事件発生時に現場にいたとされる人物へのインタビュー、現場で採取したとされるサンプルや残骸の分析、犠牲者と医療スタッフが証言した症状の検証、衛星画像をはじめとする画像の検証、専門家からの意見聴取をもとに、シリア軍戦闘機、ないしはヘリコプターから投下された爆弾やシリンダーからサリンと塩素ガスが飛散したと結論づけた。

また、第2回報告書では、2018年2月4日にイドリブ県サラーキブ市で発生した化学兵器使用疑惑事件を中心に調査が行われ、「トラ部隊」に所属するシリア軍のヘリコプター1機から投下された少なくとも1本のシリンダーに装填されていた塩素ガスが飛散し、12人が被害を受けたと結論づける合理的な根拠があると結論づけた。

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「トラ部隊」

「トラ部隊」とは、シリア国内でのイスラーム国や、シリアのアル=カーイダとして知られるシャーム解放機構(旧シャームの民のヌスラ戦線)が主導する反体制派に対する「テロとの戦い」の最前線で戦い、ロシア軍からもっとも手厚い支援を受けるシリア軍第25特殊任務師団の俗称である。「トラ」の愛称で知られるスハイル・ハサン准将が指揮する部隊であるため、この名で呼ばれることが多い。

第25特殊師団は、2022年2月にロシアがウクライナに侵攻を開始して以降、同地での戦闘にロシア軍とともに参加する「傭兵」としてその名が取り沙汰されている部隊である。

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第3回報告書は、2021年1月から2022年12月にかけてのIITの調査に基づくもので、標本、弾薬の残骸、ガス拡散のモデル、シリンダー投下実験、コンピューターモデリング、衛星画像、認証済みビデオ、写真、専門家、法医学機関からのアドバイス、その他の関連資料および情報に基づいて作成された。報告書によると、IITは、19,000以上のファイルを精査するとともに、1.86TBのデータを収集、女性5人を含む66人の証人から意見を聴取、70サンプルに関連するデータに検討を加えたという。

そして、同報告書は、「トラ部隊」に所属する精鋭部隊のMi-8/17ヘリコプター少なくとも1機が、ダマスカス郊外県のドゥマイル航空基地を離陸し、民間人が居住していた集合住宅2棟に塩素ガスを装填した黄色いシリンダー2本を投下し、43人を殺害、数十人に被害をもたらしたと指摘、改めてシリア軍の関与を断定した。

ロシアの関与を示唆

ロシアの支援を受ける「トラ部隊」、すなわち第25特殊任務師団の化学兵器攻撃への関与が断じられたのは、これが初めてのことではない。だが、第3回報告書は、以下の通り指摘し、ロシアの存在をことさら強調した。

6.8. シリア軍は2018年2月18日、ロシア軍の支援を受けた「トラ部隊」、シリア人や外国人の民兵とともに、東グータ奪還に向けた全面地上攻撃を開始した。

6.12. 複数の情報源を通じて、ロシア軍部隊がドゥマイル航空基地で、「トラ部隊」と共に駐留していたことを裏づける信頼できる情報を受け取りました。

報告書はまた、ドゥーマー市での事件がホワイト・ヘルメットによる自作自演だとするシリア当局やロシアが示した調査内容やシナリオを徹底追跡したが、それらを裏づける具体的な情報を得ることはできなかったとしたうえで、シリア国内の事件現場にアクセスできないなどの課題に直面した指摘、このことに遺憾の意を示した。

シリア政府の反論

シリアの外務在外居住者省は28日に声明を出し、IITによる第3回報告書に関して、徹頭徹尾否定すると非難した。声明の内容は以下の通り。

いかなる正気な人間、あるいは専門家も、この報告書の作成者らによる誤った結論にいたることなどあり得ない。彼らは当事国、専門家、学者、信頼にたるメディアのレポート、豊富な知識と経験を有するOPCWの元調査官らによって提起されたすべての客観的な見解を無視した。これらの見解は、科学的、法的、工学的な方面から疑う余地がない。また、OPCWに任命されて、現地での作業にあたっていた専門家らが行った実験は、この事件が完全に捏造されたものだと裏づけている。

報告書の作成者からは、「これらの結論に達する合理的根拠がある」との欺瞞的な表現を用いた。これは、IITが報告書の結論に完全に納得していないことを示している…。この誤った報告書が、シリアにとって驚くべきものではなく、信頼性を欠くOPCWのすべての報告書に対する同国の姿勢が正しいことを改めて明らかにした。シリアとその他多くの国々は、正当性を欠いたいわゆるIITを承認することに反対してきた。なぜなら、OPCWにおけるほとんどの締約国はその設置に賛成票を投じていないからだ。

シリアはいかなる場所、いかなる場合、いかなる状況においても化学兵器が使用されることを改めて非難する。すべてのCWC締約国と国連の機関であるOPCWに対して、自らの責任を果たして、OPCWの独立性、信頼性、そして将来を保ち、米国および多くの西側諸国がその活動や役割に対して覇権を及ぼし、その任務を政治利用し、自らの政治的目的を実現するための手段として利用し、それによってシリアに対する侵略を正当化することがないよう要請する。

ウクライナを侵攻するロシアを非難・追及するツールとなった調査

シリア政府の反論はいつものことだったが、これに対して欧米諸国の非難の矛先は、ロシアに向けられた。

米国、英国、フランス、ドイツの4ヵ国の外務大臣は、同じく28日に次のような共同声明を出したのだ。

OPCWは本日、2018年4月7日のドゥーマー市に対する恐ろしい化学兵器攻撃にアサド体制が関与していることを突き止めたとする報告書を発表した。

報告書は、2018年4月7日現地時間19:30頃、シリア空軍のMi-8/17ヘリコプター少なくとも1機が、ドゥマイル航空基地を離陸し、「トラ部隊」が市の中心部にある住宅2棟に2本黄色いシリンダーを落とし、塩素を放出して、43人を殺し、さらに数十人に被害を与えた。

本報告書は、国連とOPCWのメカニズムによって、アサド体制による化学兵器使用が示された9件の事例である。

我々の政府は、シリアの体制がこうした恐ろしい兵器を繰り返し使用したことをもっとも強い言葉で非難し、アサド体制がCWCおよび関連する国連安保理決議が定める義務を直ちに順守することを断固として要求する。シリアは、化学兵器計画をすべて宣告、破棄し、OPCWのスタッフのシリアへの派遣を認め、自らが行ったことを確認できるようにしなければならない。

報告書はまた、OPCWのIITが、複数の情報源を通じて、ロシア軍が「トラ部隊」とともにドゥマイル航空基地に駐留していたことを裏づける信頼できる情報を入手したと指摘している。IITはまた、攻撃が行われた際、ドゥーマー上空の空域が、シリア空軍とロシア空軍によって独占的に管理されていたという情報も入手した。

我々は、ロシアに対し、化学兵器の使用に対する説明責任からシリアを保護するのを止めるよう求める。クレムリンからのいかなる偽情報も、アサド体制を扇動する手を隠すことはできない。2018年4月7日のシリアの化学兵器攻撃を受け、ロシア軍憲兵隊は、シリアの体制がOPCWによる攻撃現場へのアクセスを妨害し、現場の消毒を試みるのを支援した。ロシア軍とシリア軍はまた、この事件の捏造された物語を支持するために、後にオンラインで拡散されることとなった写真を公開した。

我々は、OPCWスタッフの独立した、偏りのない、専門的な仕事を称賛し、場所、誰、いかなる状況下でも、化学兵器が使用されることを非難する。我々はまた、シリア内外でのすべての化学兵器攻撃の加害者に責任を負わせることに専念することを再確認する。

IITの第3回報告書にしても、4ヵ国の外務大臣による共同声明にしても、終始ロシアを非難、追及するような文言によって彩られていた。シリアのバッシャール・アサド政権を追及するはずだった化学兵器使用疑惑事件をめぐる調査は、真相究明ではなく、ウクライナに侵攻するロシアをバッシングするためのツールになったかのように感じられた。

東京外国語大学 教授

1968年東京生まれ。東京外国語大学教授。東京外国語大学卒。一橋大学大学院にて博士号取得。シリア地震被災者支援キャンペーン「サダーカ・イニシアチブ」(https://sites.google.com/view/sadaqainitiative70)代表。シリアのダマスカス・フランス・アラブ研究所共同研究員、JETROアジア経済研究所研究員を経て現職。専門は現代東アラブ地域の政治、思想、歴史。著書に『混迷するシリア』、『シリア情勢』、『膠着するシリア』、『ロシアとシリア』などがある。ウェブサイト「シリア・アラブの春顛末記」(http://syriaarabspring.info/)を運営。

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