シリア北西部を支配するシャーム解放機構指導者の兄が政府支配地でクリニックを経営していた事実が発覚
「シリア革命」の牙城とされるシリア北西部のイドリブ県で新たなスキャンダルが発覚した。
「解放区」で続く反シャーム解放機構デモ
同地は「シリアのアル=カーイダ」として知られる国際テロ組織のシャーム解放機構(旧シャームの民のヌスラ戦線)が軍事・治安権限を掌握、シリア救国内閣にその行政を、シューラー総評議会に立法を委託、実効支配を行っている。「シリア革命」が息づく「解放区」などと呼ばれている地域ではある。だが、そこには「シリア革命」を美化する国内外の活動家らの主張とは裏腹に、「自由」や「尊厳」は存在せず、シャーム解放機構の統制のもと、言論、政治・社会活動は著しく制限されている。
2月以降、北西部の各所で連日、シャーム解放機構の指導者であるアブー・ムハンマド・ジャウラーニー(本名アフマド・フサイン・シャルア、1982年、サウジアラビアの首都リヤド生まれ)の打倒、同機構の治安部門である総合治安機関の解体、逮捕者の釈放、刑務所の開放などを訴える抗議デモが行われているのは、これまでにも度々指摘してきた通りだ(「「シリア革命」最後の牙城を支配するアル=カーイダ系組織シャーム解放機構の打倒を訴えるデモが各地で発生」などを参照)。
ジャウラーニーの兄の過去
こうした状況下で、5月1日、シャーム解放機構の法務官を務めていた元幹部メンバーの1人アブー・ヤフヤー・シャーミーがテレグラムのパブリッシング・ツール「Telegra.ph」を通じて「イドリブはバッシャールとマーヒル...シャルアの手に握られている」と題した記事を公開、ジャウラーニーの兄で、シリア救国内閣の保健副大臣を務めるマーヒル・フサイン・シャルア(1974年、首都ダマスカス生まれ)が、シリア政府の支配地で長らくクリニックを経営していたことを暴露、彼の副大臣への任命が、政府支配地での職務経験のある人物の登用を禁じたシリア救国内閣の決定に反していると批判した。
シリア政府の支配は、バッシャール・アサド大統領、そして弟でシリア軍第4機甲師団の実質司令官であるマーヒル・アサド准将の「強権」がしばしば非難を浴びる。アブー・ヤフヤーの記事のタイトルは、これをもじったもので、シリア政府の支配地もシャーム解放機構の支配地も「独裁者」とその兄弟のマーヒルによって牛耳られているという痛烈な批判が込められている。
アブー・ヤフヤーによると、シャルアは、イスラエル占領下のゴラン高原に近いクナイトラ県ハーン・アルナバ市のハドル通りで2020年末まで泌尿器科のクリニックを経営、その後アラブ首長国連邦(UAE)を経て、ロシアに入国した。そして、2022年夏頃まで同国に滞在したのち、トルコに渡り、イドリブ県のバーブ・ハワー国境通行所(トルコ側はハタイ県のジルベギョズ国境通行所)を経由して、シャーム解放機構の支配地に入った。
トルコを拠点とする反体制派サイトのイナブ・バラディーによると、ジャウラーニーは2016年にシャルアが実の兄で、シャーム解放機構のメンバーであることを明かしていたが、シリア政府当局はシャルアを取り締まることはしなかった。
釈明するシリア救国内閣
これに関して、シリア救国内閣は、シャーム解放機構の支配地における医療スタッフなどの不足に対処するために、シャルアを登用したと釈明している。
シリア救国内閣の発表によると、シャルアは1973年(1974年ではなく)に首都ダマスカスで生まれ、1999年に女性外科、生殖補助医療、手法外科、形成外科の医学博士号を取得、医療システム管理学科を修了した。その後、2004年から2012年まで保健省の産婦人科部長を務めたが、2012年に当局によって逮捕され、その後脱獄し、女性外科の顧問としてアラブ諸国や西欧諸国に定在、2022年から2023年にシリア北部で、トルコ・シリア大地震の被害対応などに従事したという。
シャルアの登用に異議を唱える学生ら
ジャウラーニーとシャルアをめぐる新たなスキャンダルの暴露を受けて、北西部では、5月4日、イドリブ市にあるシリア救国内閣の本舎前で、大学生らがシリア政府支配地の大学の卒業生の雇用に反対するデモを行い、シャルアの登用に異議を唱えた。
欧米諸国による経済制裁やシリア政府支配地との断交により、進学、就職などの社会的機会を著しく制限されている北西部の若者にとって、シリア政府からもシャーム解放機構からも優遇される「特権階級」としてのシャルアの存在は、シャーム解放機構の支配下で活動を認められている自称「革命家」や「革命組織」と同じく、怒りの対象以外の何ものでもないことは、容易に見当が付く。