米国はシリア南東部の占領地にあるルクバーン・キャンプの惨状を解消できるか?
シリアで4月27日、米軍の使節団が、ヨルダン国境の緩衝地帯にあるルクバーン・キャンプ(ヒムス県南東部)を訪れ、住民(国内避難民(IDPs))の生活状況を視察した。
米占領下のルクバーン・キャンプ
ルクバーン・キャンプは、イスラーム国がシリアとイラクで勢力を増した2014年にUNHCR(国連難民高等弁務官事務所)などの支援を受けて設営された。このキャンプに収容されている住民は、シリア国内での戦火を避けて、ヨルダンに逃れようとしていた。だが、60万人以上のシリア人を難民として受け入れていたヨルダンは、さらなる難民の受け入れを拒否、避難民は緩衝地帯に留め置かれることになった。キャンプには最大で45,000人とも70,000人とも言われるIDPsが身を寄せていた。その後、多くのIDPsがシリア政府の支配地に帰還したが、キャンプには、現在でも約22,000人が収容されている。
キャンプの北東約20キロには、イラクとシリアを結ぶタンフ国境通行所(イラク側はワリード国境通行所)がある。この通行所は、2015年3月にイスラーム国がシリア政府から奪取したのち、2016年3月に米主導の有志連合がこれを制圧し、基地を設置した。基地には、米軍が200人規模の部隊を、英軍が50人規模の部隊を駐留させるとともに、革命特殊任務軍(現在のシリア自由軍)や殉教者アフマド・アブドゥー軍団といった反体制武装集団が拠点を設置し、米軍がこれらの組織に対する教練を行った。
米軍はまた、タンフ国境通行所から半径55キロの地域が、領空でのロシアとの偶発的衝突を回避するために2015年10月に両国が設置に合意した「非紛争地帯」に含まれると主張、占領を続けた。タンフ国境通行所一帯地域は以降、「55キロ地帯」(55km zone)と呼ばれるようになった。
有志連合による55キロ地帯の占領は、イスラーム国による「テロとの戦い」を根拠としている。だが、シリア領内での有志連合の軍事行動に法的根拠を与える国連安保理決議は存在せず、またシリア政府もこれを了承していないため、基地設置と駐留は、国際法上も国内法上も違法である。
支援に消極的な米国
かくして外界から孤立したルクバーン・キャンプに対して、米国をはじめとする有志連合諸国は積極的な支援を行おうとはしなかった。ヨルダンもキャンプにイスラーム国のスリーパー・セルが浸透していると主張し、支援に否定的な姿勢を示した。シリア政府支配地からの支援も届かず、難民は深刻な人道危機に苦しむことになった。
シリア軍が反体制派支配地を包囲し、人道支援を妨害し、人々を飢餓に追い込んでいるように見えた。だが、事実は逆だった。シリア政府とロシアは、UNHCRとともに、人道支援に向けた努力を重ねたが、キャンプへの接近を禁じる米国と反体制武装集団がこうした試みを阻止し続けた。
4月27日にルクバーン・キャンプを訪問したのは、タンフ国境通行所の基地に駐留する米軍部隊の使節団だった。彼らは、ルクバーン・キャンプ内の病院(シャーム病院)、パン製造所、学校、警察の分所、市場などを視察、住民らと面談した。視察には、シリア自由軍の士官らが随行した。
途絶える食料品の供給
視察は、キャンプと外界を繋ぐ唯一の(合法的な)ルートであるシリア政府支配地とルクバーン・キャンプを結ぶ街道を4月18日にシリア政府側が封鎖し、砂糖、米などの食料品の供給が停止したことを受けて行われた。
使節団と面談した住民は、ヨルダン、イラクとを結ぶ人道回廊を開設するよう懇願した。また、タンフ国境通行所の基地に拘留されている家族の釈放を求める者もいた。
使節団はまた、ルクバーン・キャンプの自治を担う地元評議会のメンバーと面談し、キャンプの生活状況を聴取、生活難を解消するための根本的な取り組みを行うことを約束した。
なお、ルクバーン・キャンプ地元評議会は4月23日に声明を出し、生活状況が悪化するなかで、米中央軍(CENTCOM)やタンフ国境通行所に駐留する有志連合に対して、キャンプ住民を、「シリアのアル=カーイダ」として知られる国際テロ組織のシャーム解放機構(旧シャームの民のヌスラ戦線)が支配するシリア北西部、トルコの占領下にあるシリア北部、トルコが「分離主義テロリスト」とみなすクルド民族主義組織の民主統一党(PYD)が実効支配するユーフラテス川東岸に移動させるための安全な通路を確保するための即時行動を求めていた。
米軍は、住民や地元評議会の悲痛な叫びに耳を傾けたようではある。だが、ルクバーン・キャンプ、タンフ国境通行所を含む55キロ地帯の現状を変更しようとする意志を感じとることはできない。そして、そのことは、ルクバーン・キャンプが忘却の彼方に追いやられたままで、住民の惨状が解消されることはないことを意味する。