「当事者としての発信はこれっきりにしたい」伊藤詩織さん会見7月20日(本文1)
被害者の負担はものすごく大きい
一方で課題も見えるなというところも感じています。訴訟をこれだけ継続しますと被害者への負担はもうものすごく大きいです。長期化するという点において、被害者は精神的にも経済的にも負担を強いられてきます。また、民事訴訟では加害者からの反論が、内容によってはさらに被害者を傷つけるということも起こります。本件でも、地裁でも高裁でも当事者による意見陳述が行われましたけれども、高裁の最後の口頭弁論においての意見陳述は、加害者のほうから、あなたのうそと思い込みで社会的に殺され、取り返しがつかない被害におとしめられたというようなことを、たびたび詩織さんのほうを向きながら言われています。こういったことが法廷で堂々と行われていました。加害者から裁判上でも被害者がさらに痛めつけられるということは、法廷の場で行われるべきではないと思っています。被害者の負担が重かったということは、今後改善に取り組んでいかなければいけないことだなというふうに、課題であるというふうに感じました。私のほうの振り返りは以上になります。
高裁判決は非常にバランスが悪い
佃:佃です。最高裁の決定を受けて、若干、5分ほどお話をしたいと思います。最高裁は高裁の判決の結論を是認しました。高裁の判決は、山口の性的加害行為を認めて伊藤さんへの損害賠償を山口に命じたと。しかしその一方、伊藤さんに対して、『週刊新潮』のインタビューに応じたこと、それから著書で述べたことが山口氏に対する名誉毀損、プライバシー侵害に当たるとして、伊藤さんが損害賠償を命じられもしました。この高裁判決の結論を最高裁は是認したわけですけれども。従って、まず高裁判決自体をちょっと論評しなきゃいけないんですけれども、高裁判決、非常にバランスが悪い判決だと思っています。性的加害行為の存在自体を認めながら、その被害を訴えた、媒体を通して訴えた、あるいは性的加害行為をもみ消されそうになった状況にあって、どうしようかと思って社会に訴えようとした、そして社会に訴え出た、その言論行為を違法と判断した。それが高裁の判決なんですね。 そのような判決になった理屈なんですけども、ちょっとここからは法律の理屈の話をしますけれども、いわゆる真実性・真実相当性の法理という理屈を裁判所は用いました。メディアの皆さんはご存じだと思いますけれども。言ったこと、摘示事実に公共性があって、公益目的があって、言った人に公益目的があって、そして摘示した事実が真実であれば、あるいは真実相当性があれば名誉毀損に当たるものであってもセーフにしましょう、書いた側に責任を問わないようにしましょう、そういう理屈なんですけれども。高裁判決はその法理を用いて、伊藤さんがデート・レイプ・ドラッグを用いられたということについて、証拠をもってちゃんと立証できなかったじゃないかと。だとしたら、それは真実性・真実相当性の法理で救うことはできない。従って伊藤さんの言論は違法である、名誉毀損である。それが高裁の判決だったわけです。 しかしもともとこの真実性・真実相当性の法理というのは、報道機関、マスメディアの人たちが事件報道をするときのための法理。マスメディアの人たちの報道の自由を救済するための法理なんですね。紛争の当事者、紛争に巻き込まれた当事者が、その被害を社会に訴えるという行為において用いられるべき規範ではないはずなんです。